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勇気をくれた、信じてくれる人たちの話。

どんなに失敗をしても変わらず自分のことを信じてくれる人がいる。
同じようにどんなことがあっても自分の中でずっと信じ続けることのできる人もいる。

こうした関係性がとても素敵だな、そうした人同士の与え合う影響力ってとても強いものだと僕は思います。
そんな繋がりと、思い出と、1つの学びを書いてみようと思います。

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50%は賞賛、50%は批判

あなたがどんな大きな失敗をしたとしても、それであなたの評価が変わることはない。
人は誰でも間違いをするもの。
それに、1つの間違い以上にあなたがどんなに素晴らしい存在であるかを私は知っている。

ふとした会話の中で、そんな言葉と考え方が僕の頭に浮かびました。

自分の信頼している人とそうでない人が同じミスをした時、
そのミスによる心象は同じではないことに気づきました。

そもそも信頼している人の場合、そんなミス1つでその人のことを悪く思ったりすることは少ない。
結局はその人と自分と、”どういった信頼関係を築いてきたか”がトラブル対応後のお互いの関係性に影響するのではないかと思います。

それってきっと、自分がミスをする立場に置き換えてもそうだと思うのです。
僕の失敗や間違い、起こす行動が原因で僕から離れて行く人はたくさんいる。
けれどその反対に、どんな事があってもそばに居てくれる人は確かに存在する。


いつか読んだ「モノの見方検定」という本にもこんなことが書いてありました。

自分への賞賛が50%,自分への批判が50%になっている。
それは人の数ではなく、言葉の強さや圧などの総量。
逆風があるから空高く舞い上がれる。

人生単位で応援してくれる人も批判する人も半々ずつ存在する。
自分がどんなに孤独に感じても、頼れる人がいなくても、知らず知らずのうちに誰かに支えられているのだと。


でもそれは理屈としての知識。
そうはいっても何の根拠もない中で、積極的に嫌われること、人が離れていってしまう感覚は怖い。

僕自身の話をするとちょっとした出来事があったから、
その本に書いてあったことやどんな形でも人生の半分は味方だと感じれるようになったのだと思います。

だからもう、怖くない。

このnoteを始めた時、とあるアカウントが僕のことをフォローし、記事をずっと”いいね”し続けてくれていました。

僕のnoteは”自分の感じたことを素直に書く”、それだけ。
もちろん”いいね”の数やフォロワー数は全てではないけれど、
この”誰かが見てくれている”という感覚は、時に書き続ける為の強くて大きな力になりました。

そうやって力をもらいながら書き続けて、ふと、いつも応援してくれるその人のことが気になりました。
そして何気なくその人が書いている記事を読んでみることに。

そのアカウントは匿名で、その人の抱えている今とこれからについてが書かれていました。
でも、僕はその内容に幾らか既視感がありました。
そして決定的だったのは、その人が訪れた場所の話が書いてあったこと。
僕の大切な友人と訪れた場所、訪れたタイミングが全く同じだったのです。

その匿名のアカウントは、
僕の高校時代からずっと側にいてくれた大切な友人のものであることに気づきました。

見えない誰かの応援が、本当はよく知る友人のささやかな心遣いだった事が、僕には本当に嬉しかった!

その友人は高校の3年間、本当にずっと近くにいた人で、
僕が浪人した時も一番近くで応援してくれた人でした。

僕は定期的に何か新しいことに挑戦してはつまづく。
そのつまづきを乗り越えるために必要なことは、
何も直接的に役に立つサポートをしてくれることだけではない、
こうやって影から見てくれていることも大きな力になるのだと、初めて感じた瞬間でした。


・・・

今、そのアカウントは消えてしまいました。
noteもやめてしまったのだろうか。
だから僕のこの記事を読んでくれているかはわからない。

けれど、その友人が今も昔もずっと側で僕のことを見守ってくれていた事実は消えない。
僕が何をしたところで、信じてくれる人がいる、応援してくれる人がいる。
その安心感があるからもう怖いことはない。

これまでの僕は周りの人からの批判が怖くて、人に嫌われない方法ばかりを求めてきました。
でもたとえ誰かに嫌われても、僕のことを信じてくれる誰かもいる。
だからもう、怖くない。
自分の納得できる選択をいつまでもし続けよう、そう思いました。

今でも定期的に会うその友人にこの話はまだしたことがありません。
だからいつか然るべき時に、自分の口で感謝を伝えたい。

”あなたのおかげで勇気が出たよ”と。

ライ

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