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老子曰く、幸せになりたくば「無知」になれ!

こんにちは、らるです。

不幸の原因ってなんでしょう?

モノが足りないことでしょうか?

いい家が買えない
カッコいい車が買えない
キレイな服が買えない
最新のゲーム機が買えない…

欲しいものは色々とあるでしょう。

手に入らなければ
欲求は満たされず、不幸を感じます。

しかし、それらは
『本当に』欲しいものでしょうか?

何も知らない子供の頃は
ただ、お腹いっぱい食べて
外で走り回って遊んでいれば、
幸せだったのではないでしょうか?

そこに、特別なモノなんて
必要なかった
のです。

一体、何が私たちを変えてしまったのか?

それは『欲』だと老子は言います。

欲望をたくましくするのが最大の罪悪であり、
満足を知らないのが最大の災禍であり、
物を貪りつづけるのが最もいたましい罪過である。
だから、満足を知るというその満足こそは、
永遠に変わらない誠の満足なのだ。

P149

欲が出てくると、満足が遠ざかります。

今、私たちは
欲を過度に刺激される環境にあります。

テレビや動画サイトのCMは
もちろんですし

SNSを眺めていても
「持っている人」が
ガンガン目に入ってきます。

「欲」が沸き起こり
モノを貪るようになれば
満足は遠ざかり、不幸になる…

いうことなのです。

「どうしよう…私、欲まみれだぞ…」
気づいたときに、
どうすればいいのか?

無知無欲となれ

と、老子は言うわけです。

ただ、「無知」なんて言われると
「バカになれ」と
言われてるみたいで
違和感がありますよね?

もちろん、
本当に何も知るな、と
言っているわけじゃありません。

得るべき「知」は
ちゃんとあります。

現象に動かされるだけの世間知は「智」とよばれる。
それをこえた聖人の英知は「明」といわれる。
「他人のことを知るのは智であるが、
 自分のことを知るのが明である」という(第33章)。
外に走る知ではなく、内に沈潜する洞察こそが、
すべてを見ぬく真知だというのである。

P252

要らない「知」
「現象に動かされるだけの世間知」=「智」

必要な「知」
「自分のことを知る」=「明」

だということです。

この「外部の現象」を知って得る「知」
=「智」 こそが際限の無い欲望の根源
なのです。

だから、この「智」を減らしていくと
不幸が遠ざかっていく

つまり、老子の言う
「無知無欲」とは「智」を減らすことだ
というわけです。

あなたを取り巻いている環境が
「これは美しい!」
「これは珍しい!」…等々と
欲を刺激することを言ってきても
それを意に介さず(=無知無欲

自分を本当に満足させるものだけを知る
すなわち「足るを知る」ということが
幸福への道となります。

まとめ

幸福に至るには無知無欲となれ!

ここでいう「無知」とは
外の現象=評判に左右されること=「智」に
対して「無知」であれ
ということ

自分を満足させるものを知る
=真の知識=「明」
を得れば
満足で幸福な人生になる。

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