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独立には向き、不向きがある(フリーランス時代編 番外編)

前回の続き。

この項目、長くなりそうなので、ぼくなりに感じている真理を書いてしまおう。

独立には向き、不向きがある。

これは間違いない。

先日話題になっていた「社畜」という言葉。

『社畜(しゃちく)とは、主に日本で、社員として勤めている会社に飼い慣らされてしまい自分の意思と良心を放棄し奴隷(家畜)と化した賃金労働者の状態を揶揄したものである。「 会社+家畜」から来た造語かつ俗語で、「会社人間」や「企業戦士」などよりも、外部から馬鹿にされる意味合いを持つ。』

これって、「会社」という枠を「社会」に置き換えてみれば、社会に飼い慣らされている社畜はたくさんいる。クライアントや代理店の言うままに作業するクリエーターとか、下請けみたいにどこぞの会社の名刺を持って働くフリーランスとか。それはもはやただの非正規社員。

逆に言えば、会社に所属していても飼い慣らされない人はたくさんいる。独立して成功する人は、おそらく会社にいたとしても自分で判断し、行動し、なにかしらの成果を出す可能性が高いのではないだろうか。

「自分で何かを成す気持ちを持てるかどうか」。それがぼくの考える独立の向きと不向き。そうした気持ちを持てない方は、所属する器が会社か社会かの違いでしかないのだから(※)、独立したとしても残念ながら成功するのは難しいと思う。

『(※)斎藤毅『明治のことば』(講談社学術文庫)によると、「会社」も「社会」も、本来は古代中国語の「社」に由来することばです。古代中国語の「社」とは、土地の守り神のことを表します。日本風に言えば「村の神様」のことで、この神様をまつるための村人の集まりを「会社」とか「社会」とか言ったようです。つまり、この2つの熟語は、本来は同じ意味だったのです。』(抜粋)

話がそれるけど、ぼくが「脱社畜」という言葉に違和感を持つのは、本来は「何かを成す」という目的があり、その手段として「会社を辞める」となるはずが、「会社を辞める」ことが目的になってしまっていること。

もし、自分が独立に不向きだと思っている方がいたとしたら、会社に所属したままでもよいので、自分なりの目的を見つけてみたらどうだろうか。そこに喜びが見出せるようになったら、社会という器でも充分にやっていけるようになると思う。

独立には向き、不向きがある。でも、それは自分の意識で変えることができる。

ARCHIVES

[SHIBUYA PARCO] pre-autumn promotion (2006)

cliant: SHIBUYA PARCO / JMM
art direction + graphic design: SHIBUI YUICHI (RASSLIN' DESIGN WORKS)
photograph: SEKI NOBUYUKI

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