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page 11『 曖昧な色の落とし物 』ノンフィクション

第5章「 10年目の真実  」

 翌朝まだ辺りの薄暗さも僅かに残る頃、玄関から「ガッ...チャン」という低く鈍い音が聞こえた。それは父が外へと出掛けた音である。
おそらく、今朝も散歩へと向かったのだろう。
仕事がリモートワークになってからというもの、天気が良い日は決まって、早朝のウォーキングやストレッチへ出かけることが父の日課となっているという。
 父が出掛けた後の室内はしーんと静まり返っており、他の誰かが起きている気配は全く感じられない。

一体、今は何時なのだろう?

 時間が気になり、私はベッド脇に置かれた携帯電話に手を伸ばした。ホームボタンを押し、画面を覗くと4:30の表示が見える。
アラームが鳴るのは、まだ1時間以上も後のことだ。再度眠りにつこうかなと思った矢先、気持ちが急にそわそわとし始めた。
不意に、これからのことが頭をよぎったのだ。
先のことが気になり始めると、張り詰めたような気持ちになり、不安と緊張は少しも離れてはくれない。
 もう眠りにはつけそうもなかったが、アラームがなる迄、このままベッドの上で私は過ごすことにした。

今日は金曜日。初めて病院へ行く日だ。
そして、夫が夕方から出張へと向かう日。

「君の現状が強迫性障害の病気によるものからだと分かってはいても、正直全てを理解することは難しい。だけど、隣で寄り添うことはできるから」

 病院受診から逃げ続けていた私に対して、そう言い続けてきてくれた夫は、今では私の1番の理解者だ。
結婚した頃は病気の気配すら全くなく、以前の私も今の私も、どちらも知っているのはただ1人。
夫だけなのである。
そんな夫が不在の中、パニックを起こさずに両親とうまく過ごしていけるのだろうか。
はっきりと言って自信はこれっぽっちもなく、
不安だけが私に付き纏っていた。

 息子と2人だけの生活であれば、何度も経験して慣れている。しかしそれはあくまでも、手の状態が良い時の話なのだ。そういう時はやはり不安も少ない。
 結局のところ、手が荒れてさえいなければ頻繁に手を洗うことは可能だから、不安を感じることがないのだろう。例え忙しくても、1つ1つ物事をこなしていけばいいだけ。事を進めることは問題なくできるのだから。
 けれども今のぼろぼろの状態の手では、頻繁に手を洗うことはできない。それが出来ないという現実が、不安の塊となって私に大きくのし掛かっていた。

でも、もう私には逃げられる道はない。

 ベッドの上で私はあれこれと考え続けていた。
すると突如、マンションエントランスからのインターホンが室内に鳴り響いた。その音に驚いた私は慌ててベッドから飛び起き、リビングへ向かった。そしてインターホンのモニターを覗き込むと、案の定そこには父の姿が映っている。
家の鍵を持たずに出掛けてしまった父は、マンションのエントランスを解錠できなかったのである。

私「おかえりー」
父「ただいま。ありがとう」


 母が作ってくれた朝食をみんなで食べ終え、息子を学校へと送り出した後、私は約束通り病院へと向かうことにした。自宅から歩いて直ぐの総合病院の精神科である。母も夫も、先生に聞きたいことがあるそうで、一緒に付き添ってくれている。

 病院へ到着し、母と夫と私の3人で精神科のあるブロックへと向かうと、そこには沢山の人達が診察の順番待ちをしていた。
緊張した面持ちの私は、待合室の椅子にじっと静かに座る。もうすぐでお昼という頃に、案内板に私の番号が表示され、1人で診察室へと入った。
診察室に入ると、1人の男性医師がPCの前に座っていた。

一見、少し厳しそうなおじさん...?

そんな印象を受けた。
この医師がこれから私の担当医となる、M先生である。

先生「今日はどうされましたか?」

私   「何年も前から、強迫性障害の様な症状が
     あって...」

先生「どんな症状がいつからある?」
       〻
  「巻き込みの症状は?」
       〻
  「現在の生活状況は?」
       〻
それらの問いに対して、私は詳細に答えていく。

次に「生い立ちから、現在に至るまでの私自身のこと」「家族のこと」を詳しく紹介することになった。その都度、先生からの質問も交えながら1つ1つ返答していく。

その後は「子供の頃にいじめや不登校はなかったか」「虐待はなかったか」等の質問に答えていく。

結果は直ぐに出てしまった。
強迫性障害(不潔恐怖)との診断がついた。
しかし素人の私の目からも、先生の反応を見ていれば、途中から結果は出ているに等しい状況であることは理解できていた。

先生「 強迫性障害がかなり酷い状態だから、カウンセリングは、ほぼ効果は出ない。やりたければやってもいいけど」

先生にもそう言われてしまう程、状態は酷かったのである。私の場合、清潔と不潔の気になる対象物が広範囲に広がりすぎているという。
長年放置し続けてきた影響は、やはり大きいようだ。

先生「治療は不安を抑える薬を服用して、行動や考え方が変わっていくかどうかを見ていく。
始めのうちは副作用を強く感じやすいから、今日の夜から6日後の次回受診日までの間、最低量の薬を服用して身体に慣れさせていく。
その後は徐々に薬の量を増やすよ」

私「はい」

そして、先生はまた徐に話し始めた。

先生「家族への巻き込みは、絶対にダメ。環境を変えることもダメ 。環境を変えることは、一見良さそうに感じるけれども、実は今の状況から逃げているだけ。
逃げた先でもまた、同じことを繰り返してどんどんエスカレートしてしまうことが多く、かえって深みにはまっていってしまう可能性がある」

私 「分かりました」

最後は薬の副作用についてと、これからの治療の流れを確認した。
こうして、私は初めての受診を終えた。
母と夫は私と入れ替えに診察室へと入っていく。

精神科受診を終え、会計待ちをしている間のことだった。ふと、疑問が出てきたのである。

私は何が嫌で、何年も病院を拒み続けていたんだっけ...

落ち着いて考えてみると、結局のところ、私は病院(精神科)を受診することが嫌だった訳ではないようだ。

徐々に外出すること自体が苦手となり、病院や外から家に帰ってきた時の自分の全身が汚れてしまったような感覚。あの感覚を味わいたくなかっただけ。

単に、不安になってしまいそうなことから、前もって逃げていただけ。

逃げることばかりを選んできてしまったから、その分できないことが、どんどん増えていく。

できないことを、自ら作り出してしまっていたみたい。

そんな真実が、新たに発見できた1日だった。
けれども、当時は発見できただけ。
そこから先、具体的には何が大切なのか。そこまではまだ理解できてはいなかったのだろう。

この日、私は病気発症10年目にしてようやく病院へ行き「強迫性障害 (不潔恐怖)」の診断を受け、治療を始めることを選択した。
やっと、はじめての一歩を踏み出したところだ。
結局自分自身の力だけでは、前に踏み出すことさえ、できてはいなかった。

そのきっかけを作ってくれた夫、そして両親と
息子の後押しにも感謝しなければ...
私はこの時、そう強く胸に刻んでいた。

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