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文体

最近、文章に色が見える、というか、文章ってどれも「文字」という全く同じ材料で作っているはずなのに、なんでこんなに、テンポとか、静謐さとか、呼吸の深さ浅さが、見えるものなのか、と驚く。


自分で書いていても、あきらかにテンションがおかしい箇所があると、そこだけ色がついて見えるような感覚が、最近ある。


noteは同じ人の文章をつづけて読めるけど、すぐ隣に別な人の文章もあるから、たのしい。フランス料理のフルコースも食べれるけど、中華もつまめるレストランって感じ。だから、フランス料理が好きでもときおり中華をつまんで「やっぱり違う味だな」と思い、でもどっちも好き、と気付ける、という味わい方ができる。


10万字の小説なら、書き手の個性が出るのは当然だが、2000~3000字のエッセイで、身辺雑記という同じジャンルでも、ここまで? というほどに、皆、文体が違う。



あいかわらず高石宏輔さんの文章の良さにひきつけられている。

「米がうまい」と書いてるだけなのに、米がうまいようにうまい。


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