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映画『アリータ:バトル・エンジェル』感想

予告編
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違い


 百聞は一見に如かず!……ってなると映画感想文そのものを根底から否定することになり兼ねませんが笑、本作のCG美を伝えるには実際に観て頂く他にない。アクションシーンも激しさばかりの押し売りではなく、スローな瞬間を散りばめることで緩急を生み、さらには息を飲んだり、感情が昂ったりなど、登場人物の心情とリンクするようにスローなシーンが使われています(スローを多用し過ぎの感はちょっと否めないけど)。

 そんな本作の最大の魅力は、エンタメ的な面白さにばかり繋がりがちなその “映像の美しさ” という側面が、作品の性質やテーマとリンクし、その “シンボル” となっていること。そしてそれが押しつけがましくない、鬱陶しくないものであるということ。裏テーマとさえ呼べるかもしれません。


 この物語で描かれている幾つかの “違い”。特に印象的なのは、身分の格差、身体的差異、そして何より、機械と人間の違い……。『アリータ』の世界観は、徹底された銃規制、目覚ましい科学進歩を遂げた未来の世界ですが、差別意識や優位性に縛られたり、或いはそれを誇示する者の存在によって、どれだけ発展していても人間(社会)は代わり映えしないということを浮き彫りにする。これら多くの違いがアリータ(ローサ・サラザール)とヒューゴ(キーアン・ジョンソン)を傷付け、そして皮肉にも2人のドラマを盛り上げる。


 ——「君は誰よりも人間らしい」——。記憶を失っていること、好きになった相手と体や能力が違うことを理由に、自身の存在意義やアイデンティティーを問う彼女に対してヒューゴが口にするこの言葉は、本作だからこそ一際輝く。見た目、出自、能力、体……。一体、人間の本質とは何なのか?なんて思わされます。作品全体に亘って描かれている気さえするその問いに対する明確な答えは、言葉にこそされていないけれど、まるでその代わりと言わんばかりに、あるものが上手く使われているんです。

 それに関して個人的に好きなシーンがあって、敵側であるはずのチレン(ジェニファー・コネリー)がとある理由でアリータの涙を拭ってやるシーンがあります。元夫のイド(クリストフ・ワルツ)との間に起った哀しい過去によって、それまで冷徹な側面しか見せていなかったチレンがとても人間らしい優しい心を見せるシーン。

 実は物語の序盤でも、イドが同様にアリータの涙を拭ってあげるシーンがあり、その反復の演出と、チレンの心情の変化のギャップによって、(もちろん他のシーンでも様々な形で描かれてはいますが)涙は心を視覚化したものであり、本作における重要な要素の一つなのだと気付かされる。

 ここからの畳み掛けというか、作品としての矜持を具現化したかのようなこのシーンを皮切りに、物語がもっと面白くなっていく。実はPG-12指定ではあるものの、徹底して性的描写が排除されている本作。しかし恋愛があり、キスもする。“機械と人間” という、決して結ばれることのない関係だったけど、アリータの心臓とヒューゴの頭部を繋げ、心臓を介して血を分けるという予想外の方法によって突然に繋がる。(それは直前のシーンで描かれた、先述の反復の演出が “イドとチレン” という元夫婦間での演出であったという事実のせいもあるけれど)性的表現が排除された世界においてSEX以外の形ではキスが限界だと思っていた自分にとっては、こんな形で繋がることを描くとは、とても衝撃的でした。


 ここまで来ると、いよいよ “違い” が不明瞭になってくる。賞金を稼ぐために体中を機械にして、文字通り血も涙もない人間も居れば、人間らしい優しい心を持った兵器も居る。

 ようやく本項の冒頭に話を戻しますが、この “違いがわからない” という性質は、どこからがCGでどこまでが実写なのかと驚嘆せしめる『アリータ:バトル・エンジェル』の映像美そのものを説明しているようなんです。

 白状すると、私は原作漫画『銃夢』を読んでいません。知り合いにチラッと画像だけは何枚か見せてもらった程度ですけど、はっきり言って別物なのかもしれません。しかしながら映画だからこそできる表現に長けた面白い作品だと思います。「原作と違うから」で観ないのは構わないけど、毛嫌いはしないで笑。


 本作の主題歌を歌うのは、デュア・リパ。その歌詞にある通り、本作で描かれているのはスワンソングではない(本作主題歌『Swan Song』の歌詞より。もともとデュア・リパが好きということもあり、もちろん購入済み笑。意味までは書いていられないので割愛します、悪しからず)。

 要するに、「死」や「終わり」ではない。彼女の物語はまだ続くのだ。あわよくばそれが “続編” という意味であって欲しいと願ってしまうのは、野暮とわかりつつも本作の虜になった者の心に芽生える必然の感情に他なりません。


 この先、戦いの道を進んで行く彼女が天使のままで在れるのか、或いは修羅となってしまうのか……。そう思ってしまうのは、クライマックスのシーンで、それまで幾度となく人の心の象徴として描かれてきた “涙” を断ち切る姿を目にしてしまったから。その行為は悲しみを断ち切り、過去を乗り越え、前へと進もうとする決意の表れかもしれないけれど、もしかしたら彼女が人の心を捨ててしまったことを意味しているのかもしれない。けれどもしも修羅となろうとも、その美しさに変わりないことを疑わない自分が、ここに居る。


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