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映画『Firebird ファイアバード』感想

予告編
 ↓

R-18+指定


決して劣らない


 およそ半世紀前、1970年代のソ連占領下のエストニアを舞台に、二人の青年の愛の物語を描いた本作。主人公としても登場するセルゲイ・フェティソフ氏の回顧録が原作で、実話を基にした映画。監督のペーテル・レバネ、主演のトム・プライアーと共に、セルゲイ氏も共同脚本として参加していたそうです。
 正確には、ペーテル氏とトム氏が時間をかけてセルゲイ氏にインタビューを重ねながら脚本制作を進めていたそう。ところが、脚本が完成した矢先、セルゲイ氏が急逝。原作者の想いに応えるべく、そこから4年後、ようやく映画が完成。

 ……とまぁ、この辺の情報は観終わってからネットで調べて、初めて知った内容ではあるのですが、監督、主演、そして原作者が共同で脚本の制作に関わっていたことは、本作に宿る “作品としての強度” というか、実際に鑑賞して、僕自身が物語から感じた力強さを裏付けてくれるものだったように思います。あくまで「個人的に納得できた」というだけの話なんですけどね。

 ……本当に、“原作者の想い”って重要なこと。巷ではだいぶ騒ぎになっていますが。


 

 未だ同性愛に厳しいロシア。そんな地で、しかも半世紀ほども前のロシア、もといソ連占領下であれば尚の事。当時、同性愛は社会的に酷く虐げられていたことなのでしょう。
 しかし本作では、その点についてはあまり明確に描かれていなかったように思います。とにかく「バレたら“大変なこと”になる」という不明瞭な緊迫感が続くばかり。
「一体どんな酷い仕打ちが?」
「社会的制裁が?」等々、
得体の知れない息苦しさばかりに支配される感じは、迫害に立ち向かおうと声を上げることすら許されない当時の空気感を知らしめてくれるようでした。


 そんな空気感は、どことなくスリラー的なドキドキ感さえ生み出します。主人公のセルゲイ(トム・プライアー)とロマン(オレグ・ザゴロドニー)が海岸で泳いでいるシーン。それを遠巻きに、しかも “木の陰越し” に捉えるショットが挟まれることで、何者かに隠れて見られているような、第三者の視線の存在を意識させられる。二人にとっては楽し気な瞬間でも、観客に気を緩めることを許さないような見せ方。

また、「木の陰越し」という構図によって「隠れたところからの目線」を想起させたこの描写が、ズベレフ(マルゴス・プランゲル)がロマンの部屋に探りを入れに来たシーンでも活きていたのは印象的。“浴槽の蓋越し” のカットが誰の視線であるのかということ、そしてそれが “隠れている” という状況であることを際立たせてくれる。


 

 様々な見応えがある本作ですが、その中でも多く見受けられたのが、第三者の急な介入(上手く説明できるかな……?)。ロマンとの関係ももちろんのこと、セルゲイが、例えば第三者といった何者か、或いは周囲の環境などによって行動が左右されることばかりが描かれていました。

 冒頭、海岸で泳いで遊んでいると、軍人らに見つかりそうになり隠れる。隠れた先の岩場の影でルイーザ(ダイアナ・ポザルスカヤ)が指を重ねてくるも、友人に声を掛けられ、二人は離れる……。

 ある時は、上官から「(同僚の隊員を指し)こいつを殴れ」という理不尽な命令を突き付けられるも、兵舎内の緊急放送ブザーに救われる……。

 またある時は、ロマンと二人でいるところを、国境警備の人間に見つかりそうになり隠れる。それを機に距離が近付くかと思いきや、急な雨に見舞われてしまう……。

 もちろん挙げれば切りがありません。第三者の急な介入によって、阻まれたり、時には救われたりすることもあった。そんな描写の繰り返しは、セルゲイとロマンの関係、延いてはマイノリティな人々が、外部や環境によって何もかもが左右されてしまう——自由が無い——ことを象徴していたかのように感じました。

 

 そんな本作だからこそ、第三者の存在に左右されることなく描かれたクライマックスシーンが、より一層印象的なシーンになっていたんじゃないかな。

 ルイーザの部屋に訪れたセルゲイ。彼女の友人(?)が顔を出すも、ここでは邪魔することなく、すぐに帰っていく。まるでここでのシーン、ここから描かれるやりとりが特別重要であることを予期させてくれるよう。そして実際に、僕にとっては本作で一番心に残る瞬間でした。

 ルイーザの立場も堪ったもんじゃないことは重々承知の上ですが、それでもセルゲイの言葉には胸を打たれます。「自分の愛は、他人の愛と比べて劣るものではない」というメッセージ。即ち、同性愛が異性愛よりも劣っているだとか、汚れているだとか、不純・まやかしであるだなんてことは決してないのだと明確に主張してくれる。お互いに同じ人を愛した者同士が抱擁する瞬間は、胸が締め付けられるようでした。


 

 タイトルにもなっている『火の鳥』。本作では、同タイトルのバレエ公演を観に行くシーンがあります。セルゲイにとっての「黄金の羽」は何だったのか、「火の鳥」は誰だったのか、或いはそんなものは彼には無かったのか……。セルゲイとロマンの物語と対比させながら観るのも一興かもしれません。



 また、実はポストクレジットシーンが存在する本作。(ネタバレってわけでもないのですが、一応ご注意ください→)最期の最後になって、色んな想いで胸がいっぱいになっているって時にオマエが出てくんじゃないよ!!と思ってしまった笑。

 ……でも、ああいうのが存在し続けているから窮屈なままというか、居なくならないってこと自体が、当時の社会を象徴しているシーンになっていたのかな? いまいち理由が掴めないままの終幕……。どっかのタイミングでもう一回観直さなければ!


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