見出し画像

神様はひとりでしょうか⁈

神様はひとりでしょうか⁈


そんなことを思ったことはありませんか?

日本にも古今東西多くの神様がおられます。そして世界中に。またイエス•キリストも神の子であり、神様も声を伝える方であった神の子、主イエス様と言われます。


どの宗教のお話しにも真意があり、頷けるところや学ぶべきところが多くあります。

日本も赤ちゃんが生まれたり、年末年始など行事は神社へお参りに行きますが、亡くなられた時は仏教で行うことが一般的ではないでしょうか。


そういう我が家もそうです。しかし、仏教の宗派まであまり意識してなくて、夫の葬儀の時に間違ってはいけないので、親戚の方へ念押しの確認をしました。


とかく、わたしは無宗教ですと言われる方が日本人は多いそうです。これは、どの宗教も信じていないという方もいるかもしれませんが、私のようにどの神様への祈りの宗派はどれも正解で、ただ祈り方考え方がいろいろあるので、どれがいいか一つに決められないという場合も含まれているのではと推察します。


人生を山に例えると、山の頂上が人生最大のピーク、その方の最期であったとしたら、そこへ登る道は行く通りもあります。それがそれおぞれの宗教であって、ある道は凸凹で険しく、まるでたくさんの修行を行うものであったり、また別の道はとても平坦でたくさんの花が咲き町が飛び交う楽しい道ですが、すぐに登り切ってしまう、人生で考えると短い一生になってしまってるかもしれません。


今回はお葬式で考えてみましたが、これは結婚式でも同じことです。どの宗派で行うか、あるいは神前でないこともあるでしょうし、結婚式とお葬式の宗派が同じでない方が多いのではないでしょうか。例えば、結婚式は教会でキリスト教で行って、最後のお葬式は仏式の浄土真宗で行いましたのようにです。


違っていたからといって、おそらく神様は喧嘩したり、その人に悪さもしてはいないでしょう。

それほど懐が広いからこそ、神様なのでしょう。それならば、お葬式を有る宗教で行っても、次は別の宗教で行っても本当はいいのかもしれません。

冒頭の神様はひとりかの問いに答えはだせませんが、もしひとりでもすうめいだとしても、その神という存在に行くまでの導きをしている宗教がいくつもあるが、最後は同じ頂点に行くのではないかと思います。


人として行いの道を外れず、周囲を尊び、敬い、命を大切にすることで今を生きることにつながるのではないでしょうか。


リ・そうるけあ

高山和 たかやまあい