見出し画像

世界の美しい瞬間 16

16 かもしだす

京都にて、新しいクラフトビールのブリュワリーが初仕込みの樽を開けるというので、足を伸ばした。

行ってみると、オーナーや店長は日本人ながら、仕込みは外国の方で、お客さんの半分は外国人で、盛況だった。

若いスタッフの皆さんの対応が心地よく、しかも英語使いで、皆が居心地よさそうに、うまい!とビール片手に色んな話をしていた。

なかには、お茶の風味がしっかりするのにビール!!という味もあり、しゅわしゅわと発泡する細かい泡と、8種類出されていたビール各種の色彩が透き通るグラスに美しく映え、しかも被ることなく豊かで、なんとも全てが繊細なのだ。

超粗雑なくくりと感想をしてしまえば、和のクラフトビールって感じだ。うまいーーーーー。

そして、なんと東京から歌舞伎座で演奏されている三味線の先生とお弟子さんのライブもあった。

よい。かっこいい。 めちゃくちゃ。

醸造中の樽も、あの演奏を聴いたはずだ。

何飲んでも新しい感動があった。

ところで、ビールは喉ごしで、ごくごくごく、ぷはーーの飲みものであるというイメージだが、それはそれとして、昨今のクラフトビールの様々な繊細で絶妙なかんじ、大好きだ。

じっくり楽しめる。味わえる。

まるで日本酒のようだと思う。

とはいえ、日本酒も最近はなんともポピュラーになった。わたしの日本酒の好みは、杜氏さんがいて、昔からの倉で、木の樽仕込みで、すでに麹菌が建物そのものに住み着いているところで、その年にできたお米で、その年にしか出来ない色とか味とか独特の匂いがするお酒が好きだ。なっかなか遭遇しないけど…。

微生物話の続編になるが、発酵とは人が思うようにコントロールしてみても、できるのは一定のものだ。均一化したものは安心や安定を感じる一方、一定以上は絶対に越えない。

そのアンダーコントロールの域を越えようとするならば、受け継がれて来たすばらしき伝統に加え、自然界や偶然、時代や環境、人との繋がりと言うようなさまざまな出逢いのミックスアップが醸すものの現れをひたすら待つに尽きる、できることは全てした上で。

常に同じものは、最早純粋なホンモノからは微妙に外れているのだ、と感じた。

常に一緒もあっていい。だからこそ救われるなにかはあるのだろう。

だが、自然は微妙に変化し続ける。環境、気候、雨量、湿度、温度、その場に何が介入したか。

同じ味を出すことができる料理人の方も、そのために日々の微妙な変化を調整するのだろう。

発酵って、なんだかよくわからないけれど、やってみた。できるだけのことをして、環境を整えた。
そしたら、思っていたのとは違うかんじだけど、びっくりな、想像以上の感動的なものができた!
という、神の領域があると思う。

なんてゆうようなことを思いつつ、単純にきゃーーうまいーーーとクラフトビールを飲みながら囲うカウンターの雰囲気は、入れ替わり立ち替わり、色んな人がいるからいいな、と話しながら始終笑っていた。

似たような人生を送っている人は、一人もいない。
だからお互いに補い合え、しかも出逢いは発酵するのだ。

カウンターの向こう、若い店長さんやスタッフさんたちは、忙しいながら、ぴかぴかの顔をしていた。

わたしの人生も、よりよい発酵が現れますように。
また、わたしの存在も、よりすてきな何かの発酵に関わることができるなら、幸せである。

また、同じ時空間を過ごすのであれば、人生そのものが発酵している人と一緒にいたい。

わたしも、自分の人生を、じっと感覚を研ぎ澄ませて、腐らぬように発酵させ続ける。そう在りたい。

こんどまた、賀茂氏の神社に行ってみようかな、そして…と帰りのバスに揺られながら、思っていた。そして、ほどよく酔った家路の途中、欲しかった本に遭遇した。

発酵の神さま万歳。

本日のおかずは味噌汁にしよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?