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語れぬ程に、この一歩に集中したのなら。

 いつの間に目を覚したのか、気づいたら少し黄色がかった白い天井を見つめていた。ここ数ヶ月スッキリとした朝を迎えることができなかった僕は、自分の体とは思えない状態に、困惑と清々しさに少しの間天井を見続けた。5分くらい経った頃やっと体を起こそうとした時、これまた自分の体とは思えない程重く、そして乾いた関節や筋肉の存在に気づく。そうだ、たった8時間前に、15時間の死闘を終えたばかりだったのだ。軋む体を引きずりながらトイレへと向かった。


 2023年8月11日(金)午前9時32分。僕たちは鎌倉駅の西口で落ち合った。街にはすでに観光客の姿がちらほら見えていて、おしゃれをした女子大学生やカップルの姿を横目に、半袖短パンに、ランニングシューズを履いた男二人は、これから始まる死闘に備え、6席しかない駅前の喫茶店で戦いの腹ごしらえをする。そう、毎年恒例の“帰宅マラソン”またの名を“ウォーキングデッド”が開催されるのだ。

【帰宅マラソン、またの名をウォーキングデッド】とは
「遠いとこまで電車で行って、走り、または徒歩で家に帰る」という至ってシンプルでハートフルな企画。
初開催は2013年。今回で7回目の開催となる。

 今回は鎌倉からスタートし、鼻の下を伸ばしながら由比ヶ浜、七里ヶ浜、江ノ島を歩いたあと、そのまま北上し相模原の実家へ帰宅する計画だった。事前情報では40km程度となっていたが、予測通りにいかないのがこの帰宅マラソン、またの名をウォーキングデッドの醍醐味。35度の猛暑と容赦無く照りつける太陽、壊れていく筋繊維に、なぜか姿を消した声帯。僕たちは正気にしがみつくことに必死で、後半の3時間はずっと道に迷い続け、気づけば夜の12時を過ぎていた。道に迷い始めた3時間前に僕たちの身体は限界をとっくに超えていた事もあり、ついに身体も精神のエネルギーもそこで「0」となり、ゴールまでおよそ2~3kmの地点でリタイヤを決断した。
 年に2回、このような挑戦をしては、失敗を繰り返す僕たちに失望する数万人のファンの方々には申し訳ないが、タクシーを降り、実家のソファーに腰掛けた僕たちは、ファンの皆様の気持ちとは裏腹に、自分達に誇らしささえ感じていた。

語れなくなって気づいた、自分の弱さと、僕たちの強さ。

 身体の痛みと、失踪していた声帯も帰ってきたので、今回の死闘を振り返ると、「自分は弱いな〜」ということと「俺たちは強くなったな〜」という2点を感じた。

無意識下の僕は、なかなか変えられないから。

 おそらく30kmを超えたあたりの頃。足裏、ふくらはぎ、股関節が悲鳴というか絶叫して、立っているのもやっとの時「後何kmなんだろう」「あと何時間歩けば着くのだろう」と先のことばかりに目を向けてはダンマリを決め込んでいた。(というか何故か喉がやられて喋ることができなかったというのもあるが)
 しかしその度に「今ここに、集中する」と意識的に自分に言い聞かせていた。それはアドラーってそこそこ有名らしい人が語っていた心理学で、そう綴られていたからだった。ちょうど鎌倉に到着する5分ほど前に読み終えた「なんとかの勇気」って本に書かれていて、とにかく「今ここ」に集中して励めというメッセージを間に受けていたからだ。それが結果として今回の死闘を誇らしく感じられる結果を招いたわけだが、こうして意識的に思わなければ、僕という人間は少し先のことばかりに目を向けて現実から目を逸らしているというのも表していたので、この事実を直視するのも少し苦しく感じた。
 でもアドラーってそこそこ有名な人は「自己受容」の大切さも語っていた。僕の無意識下の根っこはそうそう変えられるものではないし、それを否定するのではなく、今回わかったことは「今ここ」に意識的に集中することの大切さと、やればできるということ。自分は弱いな〜と感じる一方で、その弱さを踏まえた人生の戦い方も少し理解できた気がした。

「チームワーク」という幻を、僕らが肯定しないから。

 何度も訪れた苦しい局面でも、一緒に挑戦したパートナーと僕はリタイヤの選択を仄めかす事すらしなかった。いくらでも辞める決断ができたし、筋繊維や関節の悲鳴が鳴り止むことはなかった。それでも今回、夜12時のリタイヤ宣言をするその時まで弱音を吐かなかったのは、今回実施するにあたり「完遂」をテーマに取り組んでいたからだ。このテーマについて深くは議論しなかったが、各々がその「完遂」のテーマについて解釈し、取り組んでいたからこそ、「チームワーク」などと語らずとも限界を何度も超えられたのだろう。
 目的さえ、お互いの解釈で理解していれば「チームワーク」なんて必要ない。目的に向けて、自分ができることを精一杯することが結果として、チームのためであり、目的に近づくことに貢献するんだ。
 と、かっこつけてみたものの、夜12時を回った時に見た地図アプリに表示された「残り1時間13分」の表示にKOし、リタイヤの決断は2秒でなされた。


 トイレを終え、1階にある事務所(通称、アジト)に軋む足を運ぶと、そこにはすでにパートナーがソファーに座っている。カスカスになった声で挨拶をすると、ボロボロになった体をくの字に曲げて大きく笑っていた。帰り道につまずいて、盛大にこけてしまえば良いと思った。

総距離:50.2km
総時間:15時間13分
総歩数:72,321歩
結果:リタイヤ

もう2度とやらない。

「最後まで読んでくれた」その事実だけで十分です。 また、是非覗きに来てくださいね。 ありがとうございます。