おばあさんかもしれない(ショートストーリー)

お母さんから渡されたお使いものを持って、おばあさんに会いにゆく。
おばあさんの家は隣町にある。私の家から歩いて15分ほどの距離。ここらは駅から少し離れているせいか、私の住む町よりどこかのんびりした空気が漂う。道路の端をトテトテと三毛猫が歩を進め、ふとこちらを見上げて「みゃあ」と鳴いた。どこかの家の庭先で、ひょろりと伸びた茎の先に花をつけたヒマワリが、かすかに揺れる。
お盆を過ぎたとはいえ、まだまだ午後の日差しはまぶしく、アスファルトを強く照り返している。どこからか、セミがジージー鳴く声が聞こえる。 

私はおばあさんの家の途中にある公園に立ち寄る。そこでお友だちのせいあちゃんとみぃちゃん、もこちゃんと待ち合わせをしている。今日は久しぶりにみんなと会える。私のおばあさんの家で、夏休みの宿題をするのだ。 

小学5年生になってから、みんな中学受験のための塾通いで忙しく、めったに遊べなくなった。
せいあちゃんもみぃちゃんももこちゃんも私立の中学校に行くらしい。
私は中学受験をしない。近所にある公立の中学校に通わせたい、とおかあさんが言ったからだ。
だから今年の夏休みも、私は家族と旅行したり、ガールスカウトでキャンプに行ったり、弟と映画を観に行ったりした。小学生のうちは小学生らしいことをさせたい、とおかあさんは言う。でも、中学受験が当たり前の周囲からしたら、どっちの過ごし方が“小学生らしい”のか、私には分からない。
せいあちゃんたちと私の夏の長さは、多分全然違うんだろうな、とだけ感じている。 

私たちの時間の流れは、既にずれている。 

◆◆◆

公園の大きな樹の木陰には、もう3人がいて私を待ち構えていた。
「久しぶりだねー」
「わぁ、日焼けしてる」
せいあちゃんが私の腕を触って笑う。
「うん。海に行ったから」
「いいなぁ」
屈託のない顔で言われた。私は風呂敷に包まれたお使いものをギュッと両手で抱え直した。
「荷物重いでしょ。カバンもってあげる」
みぃちゃんが私の肩掛けカバンを自分の肩にかける。もこちゃんはタオルハンカチで私の額に浮かぶ汗を拭いてくれる。みんなとっても優しい。
私たち4人はおばあさんの家まで急ぐ。


おばあさんの家の玄関ドアは、昔ながらのガラス製だ。私の家のドアより頼りなく、外の声も聞こえやすい。
私は声を張り上げて
「おばあさん…!」
と呼ぶ。
やがて、ずり…ずり…と衣擦れの音がゆったりした間隔で鳴り、玄関の前でピタリと止まった。
この衣擦れの音を聞くと、ドアの向こうがわは、こちらがわとは時間の流れがさらに違うと感じる。
カラカラカラ…
「来たが」
おばあさんが、クシャっとシワだらけの笑顔で現れた。
「うん。これ、おまんじゅう」
私は両手に持った風呂敷づつみを見せながら言う。
「おぉ、ありがとうね」
おばあさんは受け取り、上がり框にゴトリ、と置いた。
「汗いっぱいかいて。まずあがれ」 

畳の部屋にペタリと座って、氷の浮かんだ麦茶をごくごくと飲む。飲み終わると、おばあさんが大きなアルマイトのやかんでお代わりを注ぐ。みんなでまた、喉を鳴らして飲む。
何杯も飲んで、一息ついた。私たちは麦茶と一緒に出されたスイカに手を伸ばす。 

私たちは何故だかみんな、私のおばあさんの家が好きだ。私たちが住むマンションやモダンな一戸建てとは雰囲気の全く違う、昔話に出てくるような家が物珍しいのだ。私たちが小学校低学年の頃は、ここには絶対に“座敷わらし”がいると信じてたし、なんなら今でも“あやかし”が住んでいるんじゃないかとも、思っている。 

いや、もしかしたら、おばあさんそのものが“あやかし”なのかも。
おばあさんは、私のおとうさんのおばあさんだ。本当ならひいおばあさん、って呼ぶべきなんだろうけど、呼びにくいのでおばあさん、と言っている。
だからもう、おばあさんは90歳にもなる。

◆◆◆

私たちははしゃぎながら宿題の絵を描く。おばあさんは時折、私たちをニコニコしながら眺め、後はうつむいて繕い物をする。
ふと気づくと、おばあさんはコックリコックリと船を漕いでいる。
私たちはクスクス笑いながらおばあさんを見る。
おばあさんは猫のように眠る。
「ここにいると、時間が過ぎるのがゆっくりな気がするね」
せいあちゃんが、うーん、と伸びをしながら言った。
「そうだね。塾に行ったり家にいるとあっという間なのに」
みぃちゃんも頷きながら言う。
「私、眠くなっちゃった」
もこちゃんが、フワァっとあくびをしながら呟いた。
「私も」
私も言って、畳に転がる。
「お昼寝、しよっか」 

◆◆◆

私たちは畳の部屋でゴロゴロしながら目を閉じる。
うつらうつらとしながら、私は夢を見る。秋に差し掛かる午後、半分ほど気持ちの良い日差しが入り込んだ畳の部屋で、なんにんもの少女と老婆が井草で編んだ枕を頭に敷き、あちらこちらで体を丸めて寝ているのだ。
もちろん私もおばあさんも、せいあちゃんたちもそこで寝ている。

なんだかそれは、奇妙だけれど泣きたくなるような光景だった。

「あっという間だよ」
どこからか嗄れた声が聞こえる。
「魚のようにぴちぴちしている時代はほんの一瞬。その時間は夢のように過ぎ去って、いつの間にかおばあさんになってるんだ」
それは私がお昼寝をしてるくらいの時間なのかもしれない。
私のおばあさんも、おばあさんのお友だちも、みんな少女時代があり、勉強をして恋をして結婚して…命を紡いできた。
私もせいあちゃんもみぃちゃん、もこちゃんもきっとそうやってそれぞれの時間を生きていく。笑ったり悩んだり泣いたりしながら。でも、後で思い返すと一瞬のように短い時を紡いでいたにすぎないと知るんだ。
「あなたは、私のおばあさんなの?」
「私は、お前だよ」
その声は、歌うように頭のなかで響く。
「自分の目で、確かめてごらん」 

◆◆◆

そこでふっと、目が覚めた。
まぶたを開けて、自分の手を見てみる。やせて骨張って皺だらけだ。
そうか。私はおばあさんだったのか。
80年近くを、不思議な力であっという間に飛び越えてしまったのだ。
私たちの伸び縮みしていた時間が、いつの間にかビヨーンと伸びきってしまったみたいに。
本当は、私、おばあさんだったんだ。
そろそろと体を起こして周りを見る。
傍らで寝ているせいあちゃんも、みぃちゃんももこちゃんもおばあさんになっていた。
3人とも、80年経っていてもどこかに面影がある。せいあちゃんのキリッとした眉毛や、みぃちゃんの小造りの赤い唇や、もこちゃんの白くてふくふくとした肌も。

3人の寝顔をじっと見ていると、さっきまで10歳だった私たちの世界が夢で、おばあさんになった今が現実だったんじゃないかと思えてきた。
おばあさん4人で集まって、少女だった頃の話に花を咲かせていたような、そんな気がした。
私はまだ眠気の解けないボンヤリした頭で考える。
そうしたら夏休みの宿題はやらなくていいのかな。いや、でも一応やってしまおうか…。
私はシワだらけの手の甲をじっと見つめてから、ゆるゆると畳に横たわり、目を閉じて眠りにつく。

宿題のことは、起きたら考えよう。時の流れがどうなっているかを確かめてから。

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