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「ダサい」を好む人はいるのか

おはようございます。こんにちは。お疲れ様です。
昨日は地域づくりの視察研修に出かけてきました。県外の地域における活動やアイデアを実際に見て、聞くことが出来ました。
充実の時間と、やる気をもらいました。

またいつかこの話を、記事にしたいと思います。

デザイン

私は建築の勉強をしているのもあり、デザイン性を磨けなければならないと強く思っています。そしていつも自分のデザイン力のなさに落ち込みます。
センスも良くないと思うので、コンプレックスでもあります。

だからこそ人よりも多く建築やデザイン、アート等を見える必要性があると思っています。「遊び心」や「豊かさ」、多様な受け取り方が出来るような人間になりたい。

多摩美術大学のYouTube

PowerPointでスライドを作っては相談し、人生に悩んだら相談し、というようにいつも話を聞いてくれるお兄さんがいます。

そんなお兄さんからお勧めされたYouTube

無料でこんな素敵な学びが出来るなんて信じられません。
全ての人に、お時間を作ってぜひ見ていただきたいです。

全てはデザイン

お話の中でも出てきますが「デザイン」って森羅万象 すべてのことから切り離すことの出来ないジャンルになっていると思います。

洋服、家具、建物だけでなく、料理や家事も「デザイン」、自分自身の整容や体型をコントロールするのも「デザイン」

政治や行政だって、人の生活や経済をデザインしていると言えると思います。

とある日の話

「今年度使えるお金があるので、利用者のための何かを買ったり作るための資金としよう」という話が出ました。
物を買うか、利用している空き家をリフォームするか、と悩んだ時

真っ先に私は「戸」を替えた方が良いと思うと提案しました。

「戸」は外と中とを隔てる 人の心を掴むうえでも、建築の見た目を左右する重要な部分です。
中を見てみたいと思わせるような外観や安全性、バリアフリー性能を加味する必要があるにもかかわらず、その時の戸はデザイン性の感じられない安価で見た目も不良、いや壊れている機能の欠落した面を持っていました。

結局私の意見は通らなかったけど 苦

ダサい

デザイン力がないことを一言で表すとこれです。
人を呼びこみたい場所・集客したいと思うなら、見た目や使い心地の良さなどをひっくるめた、人が喜ぶ環境を作り出す必要があります。

自分が着る洋服が他人から見てださくても、いいと思います。
なぜなら、着る人の意思があって、その服が選ばれている理由があると思うからです。
「着やすいから」「温かいから」「汚れてもいいから」「色が好きだから」
他人がなんと思おうと、自分の意思を持って選択出来たら、それは立派なデザインの形じゃないでしょうか。

でも医療や福祉の中においては、「デザイン」と少し距離があると思います。服にしても、制度にしても、全てにおいて決まりがあって枠の中に納まらないといけないから。
「決められた」「ルール」「定型」があるから「個」というものが生かされず殺されています。

まあ病院側のデザインと言われたらなんとも言えないけれど。

人生をデザインしていく

これからを生きる私たちは、ジェットコースターに乗って人気の少ないところに突き進んでいくと考えています。

そしてその進む道は自分で敷いていくしかないと思います。今までの社会人の人生の多くは、路線が敷かれてあってどの道を選ぶか・その道をどのくらいのスピードで突き進むかとか、止まるかを操作するような操縦士だったと思う。

でもこれからを生きる人は操縦士でありながら、自分も実際に方向を決めて線路を敷いていかなきゃいけない、いや敷いて行けると思ってます。

人生のデザインをしていかなきゃなんじゃないかなと思ってます。

自分が敷いた道が他人から見て「ダサい」でも、「すごい」でもデザインしたのが自分なら納得して進んでいけると思います。

ああ、残り少しの午前中、お昼と午後の時間もデザインしていきましょう。

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