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「人に迷惑をかけるな」という話は、「いつ」「誰が」言い出したのだろうか?

異文化理解の研修でよく次のような問いを受講者の方に投げかけます。

外国人から「日本人はなぜ割り込みもせず真面目に行列に並ぶのか?」と質問されたらどのように答えますか?

この問いの意図は「自分自身の文化背景」に目を向けていただくことですが、その際に9割以上の方から次の答えが返ってきます。

だって日本人は”小さい頃”から「人に迷惑をかけるな」と教わってきたから・・・以上!


まあ確かにそうなんですが、この「人に迷惑をかけるな」という教え方が実に厄介で、そもそも「何が迷惑行為なのか」という具体的な基準を子どもが判断できるはずもありません。

行列に割り込むことを迷惑行為だと捉える人は確かに多そうですが、世の中には「代表者だけが並ぶ」ことや、「替わりの人に並んでもらう」ことまで迷惑行為と考えている人もいるため、ただ「迷惑をかけるな」と言い出すと「あれもダメ!これもダメ!」になってキリがありません。

そんなわけで「人に迷惑をかけるな」と指導される側の子どもたちは大変そうですが、ふと気になったのは一体「いつ」、「誰が」このような教育を始するようになったのか?ということです。

昭和の頃から「人に迷惑をかけるな」と教育されていたのか?


日本は”大昔”から「人に迷惑をかけるな」と教育されてきたと思っている人がいますが、今から40年前~30年前の昭和後期~平成初期を振り返るとそうとも言い切れないような気がします。

事実として昭和~平成初期の頃は「他人に迷惑をかけまくる人」は今の時代よりもはるかに多く、以下のような「迷惑行為」はごく普通の光景でした。

  • 公共の場所での大騒ぎ

  • ゴミ、タバコの吸い殻のポイ捨て

  • 路上喫煙、禁煙の場所での喫煙

  • 立ち小便

  • 行列への割り込み

それこそ尾崎豊の曲に「盗んだバイクで走り出す~♪」なんて歌詞があるぐらいなので、「未成年の飲酒、喫煙」、「窃盗行為」などの明確な違法行為ですら「よくあること」として認識されていたと思います。

「スシローぺろぺろ事件」レベルのことはむしろ当時の基準では「かわいいもの」かもしれません・・・

私も中学校から日本の公立学校に通っていたのですが、学校の先生からは「〇〇をするな」という具体的な指導はあっても(それすら守っていなかったのですが)、「人に迷惑をかけるな」と言われた記憶はほとんどありません。(覚えていないだけかもしれませんが)

もちろん「やってはいけないこと」をやってしまったときは相応の”お仕置き”はあったが、それでもお恥ずかしながら今の中学生よりは確実に他人に迷惑をかけていました。

そんなわけで、昭和後期~平成初期の学校教育ではそこまで「人に迷惑をかけるな」とうるさく言っていなかったと思います。

「迷惑」の基準がいつの間にか変わってきた


昭和後期~平成初期を比べてみて一つ言えるのは「迷惑」の基準が大きく変わってきたということです。

昔の「迷惑行為」の基準は大雑把な言い方をすると「違法ではないが他人に大きな実害を与える行為」であり、それをやってしまうと確実にその場でトラブルに発展するようなことでした。

例えば公共の場所で大きな声を出しても見ず知らずの通行人から「うるせえ!」と怒鳴られることはあっても、いきなり殴られるようなことはありません。

そのため、「人に迷惑をかけない」というのは「目の前の相手を怒らせるようなことをしない」という認識で行動すればよかったと思います。


それが今の時代では「迷惑行為」の基準が「不特定多数の誰かが不快に感じる行為」と拡大解釈されるようになり、極端な場合100人中一人でも不快に感じたらそれは迷惑行為になってしまうと捉える人もいます。

そのため、誰かが「これは迷惑だ」と言い出せばあれもこれも迷惑行為になってしまうので、「人に迷惑をかけない」ことを実践しようとすると「全く面識のない赤の他人が不快に感じるようなことをしない」ということになってしまいます。

他人の快・不快の基準なんて知りようがないので、今の基準で「人に一切迷惑をかけない」のは私にはとても無理ですが、「人に迷惑をかけるな」と教育される子供たちはかなり高いレベルの知性と自制心が求められそうです。

やっぱりスマホとSNSの影響か?


では「迷惑行為」の基準が変わったターニングポイントが何時なのかということですが、肌感覚としてはスマホが普及した2010年頃ではないかと考えています。

というのも、スマホが普及するまえは他人を不快にする行為をしても、当事者同士のトラブルに発展しなければその場で完結していましたが、今では赤の他人が動画をSNSにアップすることができますので、全く関係ない第三者が介入してくる恐れがあります。

言うなれば「人の数だけ監視カメラがある」ような状態です。

そのため、今の親御さんにとっては「何が迷惑行為になるのかわからない、いつ誰に指摘されるのかわからない」ため、子供には「とにかく人に迷惑をかけるな」と教育するようになったのではないかと考えています。

ただし、「人に迷惑をかけるな」という言い方で教育すると、子供たちにとっては「あらゆる人の目を気にしなさい」ということをなってしまうので息苦しいことこの上ありません。

そして「人に迷惑をかけるな(人の目を気にしなさい)」と教育された子供が大人になると今度は自分たちの子供にも同じように教育していくのでその傾向は更に強くなります。

こうして世の中はどんどん品行方正になり、人に迷惑をかけるような人は絶滅危惧種になっていくと思われますが、それが良いことなのかどうかは私にはわかりません・・・

まあここまでの話はあくまで私の仮説ですので、もし「人に迷惑をかけるな」という教育の起源について何か学術的な調査でもあればぜひ教えてください。

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