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【詩と散策】暑さと寒さの「間」に

先週まで、クーラーを使用していたのに、今週は、もうそろそろフリースを箪笥から出しておかなきゃという気温になった。夏から秋のはずだが、秋はあっという間に終わり、一気に冬に突入しそうだ。
気候変動の影響を受けているのだろう。
暑さも寒さもそれほど厳しくない、過ごしやすい時期、
夏と冬、冬と夏の「間」の時期が一段と短くなっている気がする。

韓国の詩人のエッセイ「詩と散策」(ハン・ジョンウォン・著、橋本智保・訳、書肆侃侃房)に収められている「猫は花の中に」は、「間」をテーマにした一篇だ。

著者は、春から夏にかけて、桜が散り、気温が上がり始めると、人が口癖のように「もうすぐ夏なんじゃない?中間ってものがないよね」ということを取り上げて、次のように書いている。

いや、中間はある。花が咲き、散るときだけを貼ると呼ばなければ。
毎日、散歩をしている人なら、季節はある日突然変わるものではないことを知っている。二月に入った頃からすでに春は存在していた。土が膨らみ、木の枝は色を変える。虫が這い出し、猫が騒ぎ始める。(中略)春の気配はこんなに散りばめられているのに、都市のビルの中で私たちが関知できないだけだ

「詩と散策」P120

著者は、季節だけではなく、散歩の途中で見かけていた猫たちとの関わりから、生と死の「間」にも目を向け、金子みすゞの詩「蜂と神様」を引用して、紹介している。

蜂はお花のなかに、
お花はお庭のなかに、
お庭は土塀のなかに、
土塀は町のなかに、
町は日本のなかに、
世界は神さまのなかに。
さうして、さうして、神さまは、
小ちやな蜂のなかに。

「詩と散策」P124
出典:金子みすゞ「蜂と神様」(『金子みすゞ、ふたたび』小学館)

「あとがき」の中でも、著者は、冒頭で取り上げた詩人のオクタビオ・バスが、『詩の留まるところは、「間(あわい)」だと言っていることに触れ、『詩だけではなく、この世界を形作っている真心や真実も、この『間』にあるのではないかと思います』と書いている。

人の言葉や行動、出来事があると、そのことに注目し、気をとられてしまうが、言葉と言葉の「間」、行動や出来事など何も起きていないように見える「間」に目を凝らすと発見があるのかもしれない。

本書は、秋の夜長に、一人で静かに読むのにピッタリの1冊だ。
季節や自然の移り変わり、人の心の中にあるささやかな感情の動きに、改めて目を向けさせる。多忙な毎日の中で見過ごしている事柄に気が付かされ、自分の心の中を見つめることになる。ページをめくるうちに、自分の心の中が穏やかになっていた。


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