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ヒロシマ原爆体験を継いで~「システム」に飲み込まれない私になる~

ライター:木戸亜由美

祖母「チヱ子」が亡くなってから
今月で20年になる。

ときどき
目を閉じると、彼女の「言葉」が蘇る。

チヱ子は、広島市街の病院で看護師をしており、
79年前の夏の、「あの日」の朝もいつも通り働いていた。

1945年8月6日 午前8時15分
広島市街地の中心に核爆弾が投下された。暑い広島の朝に広がる赤、青、黄色…七色に光る大きな、大きな球をチヱ子も見ていた。

「息が止まるほど綺麗な光じゃったんよ。
今まで見たこともないくらい綺麗な虹色でね」

祖母は、子供だった私にその日、病院で見た光景を話す。

「病院に運ばれてくる人々は、
どれだけ来たかわからんぐらい多かったんよ。
熱戦で真っ黒こげになり、
どんな顔をしとるんかわからん人。
腕の皮がずるんと剥け、どういうたらええんじゃろ…
幽霊のように腕をのそりと上げ茫然としとる人。
亡くなっている赤ちゃんを、
ぎゅっと抱いて泣くでもなく佇む女の人…。

病院の外にでて、大田川の方を見ると、
真っ黒い川に(※川の水が放射線で黒い雨になっている)、

『熱い!熱い!熱い!』と泣き叫び、
大勢の人が飛び込んで、そのまま人々が川に流されよった…

『どうしてこうゆうようなことが起こるんじゃろ?
なんでじゃろ?』って思いながら、
わけわからんけーがむしゃらに介抱しとった」

チヱ子は原爆にまつわる話を、
私が小学生の頃から繰り返し聞かせてくれた。

一方、母方の祖母も、
父方の祖父も戦争や原爆についての話はあまりしたがらなかった。

中国戦線に赴いた母方の祖父に関しては、
戦争の話を聴かせて、と語る私に

「その話だけは絶対にせん。しとうない」

と、語ることを一切拒絶したまま逝ってしまった。
「話をしない」ということもまた、
戦争が落としていった影の在りようなのだろう。

だから、祖母チヱ子は子供の頃から「戦争と原爆」を
伝えてくれた唯一の身内だった。

若い頃から勉強が好きで向学心があり、
女学生時代は「神とは何か?」という
根源的な問いの答えを探し求め、
キリスト教、イスラム教、仏教など世界の宗教について学び、
その過程で出会った、日系ブラジル人宣教師の男性と恋に落ち、
駆け落ちまでした過去を、祖父と出会う前に持っていた。

「なんでじゃろ?…」
戦後もきっと、
あの戦争、あの原爆が一体なんだったのかを、
彼女なりに問い続けていたのだろう。

だから、「いつもそばにある問題意識」として、
戦争や原爆について、孫の私に伝えることは、
とても自然なことだったのだと思う。

中3の夏のある日、
父の実家の1階でだらだらと一人でテレビを見ていたら、
2階からだだだっと、祖母チヱ子が降りてきた。

まず、私の食事の後片付けが不完全だったことを軽く説教したあと、
突然、真顔で話し始めた。

「あゆみちゃん、
政府が言うとることが正しいとは限らん。
テレビやラジオが言うとることが正しいとは限らん。
周囲の人…身内の人が言うとることさえ正しいとは限らんのよ。
自分の頭で考えんちゃい。
ええ?みんながそういうけぇ、
自分もそうだ、って思わんでええんよ」

そして、何故かそのあと薬についても話が及ぶ。
「薬を多用してはいけんよ。
ピルとか、ようないけぇ。薬はこわいことが多いけぇ、気つけんちゃいね」
と…。
中学生当時の私にとっては、
「食事の後片付け→自分の頭で考えろ→ピルとか薬はこわいよ」の展開が、やや唐突な感じだったのだけど…
(まあ、ピルに関しては「お年頃」になる前に、知識として知っておいてね、ということだったのだろうが)

どういうわけか、特にコロナ騒動が始まってからの妙な閉塞感の中、
あの時の祖母チヱ子の「2階からだだだっ」のメッセージが、腹に落ちる感じがある。

薬という切り口で考えても、
たとえば
「コロナワクチンを打つべきか、打たないべきか」
という命題を突き付けられた時、
政府やマスコミなどの「外部」の論調に惑わされず、
自らの身体感覚にピタっと来る方を、
選択できたのも、
祖母の言葉が根っこにあったからだと思う。

とはいえ…
令和の今日、
情報は溢れかえるほどあるのに何が正しくて何が間違っているのかわからない。自由な選択を許容されているようでいて、実は一つの方向に誘導されているようなチグハグな感覚。
この世界がまとう「違和」とでも言おうか。

その違和の正体がつかめず、
作家の村上春樹が作品の中で「システム」と表現するような、
大いなる力に、いつの間にか、のみこまれそうな、
ザワついたものが胸をよぎる。

「自分の頭で考えんちゃい」

なかなかに難しいのが今の世界。

「自分の頭で考えて、どうすればいい?」
目を閉じ、私は祖母チヱ子に問うてみる。

好きなことは無心になってやるんよ。
イヤなものはイヤだと言える勇気を持たにゃあいけん。

意見の異なる人の「正しさ」もちゃんと認めるんよ。
とにかく争わず、ごきげんに生きんちゃい。

チヱ子の言葉に従い、
大いなるシステムに飲み込まれない
私になる。そう決めた。

それにしても、ブラジル人と駆け落ちした祖母チヱ子。
曾祖父につかまるまで、広島港までふたり手と手を取り合って、
走っていったという逸話も…
港の向こうに見える海を目指し、彼女は何を思って走っていたのだろう。

今考えても、なかなかにファンキーな女性だった。

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