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生活保護はみんなのものだ→分かる


たまには旅行→ちょっと何言ってるか分からない

 10/1に行われた生存権を求める京都デモが物議を醸している。というのも、生活保護者が生活扶助の基準額引き下げに対して、反対を訴えるデモで「たまには旅行に行きたいぞ」、「たまにはオシャレもしたいぞ」、「たまにはウナギも食べたいぞ」と主張していたからだ。

 私はかつて都内で周辺的正社員として、手取り13万円で生活保護と大差ない生活をした事もあった。このような「お前が終わってんだよww」と煽られてしまう境遇の労働者からすれば、フルタイムで働いても生活は一向に楽にならず、ファッションはユニクロが関の山。旅行や鰻を食べるのにも窮する懐具合なのが実情かつ多数派だろう。

 手取りが大差なくても、医療費などを負担しなければならないことを考えたら、どちらの方が健康で文化的な最低限度の生活を営んでいるか分からず、そんな状況で「最低限度」の域を超えて、もっと寄越せと主張すれば、ルサンチマンが生じるのは当然と言える。

 働いている人よりも生活水準が高いことへのやっかみで、あまりにも辛辣なコメントを記す人が多いから、話がややこしくなり物議を醸している訳で、単に贅沢がしたくて、デモする元気がある位なら、自分で稼いだらどうだろうか?で終わる話だと個人的には思う。

 あくまでも健康で文化的な最低限度の生活を営む権利であり、働かず悠々自適に生活できる特権階級ではないのだから、そこを履き違えて付け上がるのは違うのではないか。

 生活扶助の基準額引き下げにより生活が困窮し、セーフティネットとして機能しないレベルなら、それを主張すれば良い訳で、旅行したいとか鰻食べたいと主張しても、ナマポバッシングを増やすだけで、活動家の意図がちょっと何言ってるか分からない。

みんなのベーシックインカムが理想的。

 そもそも現在の社会保障制度では、本当に支援が必要にも関わらず気の弱い人ほど水際作戦によって受けられず、今回のデモのように、いやお前ら働ける元気あるやんw的な、口の上手い強かな奴ほど、必要か定かではないにも関わらず、手厚い支援が受けられてしまうような構造上の欠陥がある。

 というのも、橘玲さんによると、説明を読んで役所の手続きをするには偏差値60程度の能力が必要らしく、自力で申請できるような人は、能力の高さ故に、そもそも支援が必要な立場になることがあまりない。

 逆に自力で申請することが難しい人ほど、支援が必要になる可能性が高いが、自力でできない以上、社労士などに頼るか、あきらめるしかなく、本当に支援が必要な人ほど、経済的に困窮しているために他者に頼めず後者を選び、結果として支援が行き届かない。

 これを踏まえると、セーフティネットがない状態がデフォで、手続きをすることで支援が受けられる構造よりも、全国民に一律の社会保障を提供する方が、生活保護よりも不公平感がなく、セーフティネットとして確実に機能するのではないだろうか。

 その点で現行の年金制度を、全年齢に広げたベーシックインカムは有力な選択肢になるように思う。年金制度を廃止する代わりに、国民年金の満額に相当する、およそ78万円/年(6.5万円/月)を一律で配る。

 家賃の安い地方なら、これだけでも働かずに暮らせる金額で、都市部で便利に暮らしたいとか、旅行に行きたいとか、オシャレしたとか、鰻を食べたいなら、足りない分を稼げば良い。

 稼いだ分の税負担は確実に重くなるだろうが、ナマポと違って稼いだ分だけインカムが減額される訳ではないため、受給者の就労意欲が削がれる問題もなくなる。

 Googleを筆頭に、資金力のある企業が便利ツールを無料で提供することで、その界隈で働いていた人達が食えなくなる状況は、今後も加速することが想定されるため、いつ何時失業しても最低限度の所得は、ベーシックインカムで保障される状態が理想的ではないだろうか。

自走式なら誰にも文句を言われない。

 とはいえ、ベーシックインカムを公約にしている野党が出てきた位で、近い将来に実現するかすら定かではないのが現状である。

 税金という名の血税で悠々自適に暮らそうとすると非難轟々だが、不労所得もとい資産所得を自前で構築すれば、働かずとも文句を言われることなく、旅行したり、オシャレしたり、鰻を食べられる。

 幸い日本株には株主優待というガラパゴス制度が、先細り感はあるものの健在で、旅行であれば交通機関の割引や、ホテルの宿泊券があり、使い方によってはタダ同然で旅に出ることもできる。

 私は服飾に無頓着で疎いものの、アパレルブランドやショッピングモールの優待券を活用すれば、それなりにオシャレできるのは、優待名人の桐谷さんが身につけているものが全部優待で賄われていることからも想像に難くない。

 鰻も外食銘柄を保有すれば、毎年優待で頂ける訳で、優待+配当で悠々自適に暮らすような、自走式なら誰にも文句を言われないだろう。

 巷では生活保護でFIRE的な価値観もあるが、社会保障制度によって生活が支えられている状態を、経済的な自立(FI)と捉えるのは無理があり、一般的には権利ばかり主張して義務を果たさない痛い人と、世間から冷たい目で見られるのがオチだろう。

 労働せず悠々自適に暮らしている優越感に浸りたいのなら、自前で相応の資産を築き上げるために然るべき対応を取るべきであり、他人から与えられたものを、さも与えられて当然だ。もっと寄越せ。と主張するのは筋違いではないだろうか。


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