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日本的経営が社畜を生み、学び直しを阻む?


ニワトリが先か、タマゴが先か。

 8月31日「東が西武で西東武」でお馴染みの池袋で、百貨店のストライキが決行された。百貨店でのストライキは、1962年に決行された阪神百貨店以来、61年ぶりらしい。

 コロナ以降、赤字続きとなっている百貨店事業を売却したい経営陣の思惑と、雇用が維持されるか不透明な従業員との亀裂から、スト決行に至ったものの、翌日にアメリカの投資ファンドへの売却が決議された。

 ストライキそのものは労働三権によって、労働者の権利として保障されているものの、高度経済成長期だった昭和時代のストとは、労働組合の置かれている状況が異なる。

 かつてはストにより経済的な打撃を与えることで、従業員が居なければ経営は成り立たないことを経営陣に知らしめる効果があった。

 しかし、長期間のデフレ経済やICT化とコンテナの普及によるグローバル化で、競争が激化したことから、闇雲にストライキを行うと、ただでさえ厳しい採算を余計に悪化させる。

 企業体そのものが弱体化することは、リストラの口実につながり、却って労働者の首を絞めかねないことから、近年ストライキは避けられてきた。

 人員削減ならまだマシだが、日本的経営である年功序列、終身雇用に固執することによって事業再生を阻まれると、最悪のケースでは倒産して共倒れになりかねない。

 従業員が居なければ経営は成り立たない反面、経営が成り立たなければ、雇用は維持できず、ニワトリが先か、タマゴが先か問題に通じる、因果性のジレンマを抱えている。

経済低迷×日本的経営=社畜製造装置

 先行き不透明な時代だからこそ、雇用を守るべきだ。労働組合が比較的体裁を保っていたであろう、鉄道業界に身を置いていた私がよく聞いた言葉だ。この労働組合の言い分は、ご尤もに聞こえるが、見方を変えると正規雇用のシステムが、社畜を生み出しているとも考えられる。

 日本人は就職ではなく、就社だと揶揄される程度に、雇用の流動性が低く、一社に留まる人が多い。裏を返すと転職するよりも、一社で勤め続けるメリットの方が大きいと認識しているからではないだろうか。

 では、そのメリットとは具体的に何を指すのだろうか。

 勤続年数に応じて賃金が上がる定期昇給は、当然ながら若い時に安くこき使われ、生産性に応じた対価が支払われないことを意味する。

 働かないおじさんが典型だが、彼らは業績不振となれば、真っ先に人員整理の標的となるため、いくら若い時に人参をぶら下げられても、晩年にありつける保証はどこにもない。

 昇進に関しても、今や若手が管理職になりたがらない程度に、責任と対価が釣り合っておらず、評価基準もムラ社会らしく曖昧で、成果を上げても横並び意識から金銭的な報酬を得られることはない。

 退職金や企業年金も長期の経済停滞により、企業が面倒を見れるだけの経済的余力がなくなり、iDeCoを中心とした社員の自助努力に委ねられており、日本的経営のメリットは悉く失われている。

 それにも関わらず、周辺的正社員の言葉があるように、過酷なノルマや重責を低賃金で押し付けられては、理不尽な異動・転勤に従い、ムラ社会ゆえに一度、正規雇用の枠組みから外れると元には戻れず、事実上、再挑戦ができない社会システム。

 がんじがらめに束縛される割に、大してメリットが受けられないのだから、絶望するのも無理はない。経済が低迷している状況下で、日本的経営を守ることは、ブラック労働を助長し、社畜を生み出しているとも捉えられる。

凡人が学び直して、転職する誘因がない。

 その証拠に、警察庁が公表している令和4年自殺者の分布を見ると、年代別で50歳〜59歳、40歳〜49歳の順に多く、表7 年齢階級別、職業別自殺者数で内訳を見ると、半数は男性有職者となっている。

https://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/jisatsu/R05/R4jisatsunojoukyou.pdf

 就職氷河期世代の先頭が1970年生まれと、2022年時点で52歳となっているため、40歳〜49歳の有職者は、正規、非正規の差が激しく、一概には言い切れない難しさがある。

 しかし、50歳〜59歳男性有職者のマジョリティは、年功序列、終身雇用といった、正規雇用の既得権益で守られている層である。それにも関わらず、就職氷河期世代の男性有職者と同等の自殺者数であり、少なくとも雇用や経済的な安定が、自殺者の抑制に何ら寄与していないと考えられる。

 また、平均寿命も男性81歳、女性87歳と6年短く、フランスが同様、アメリカ、カナダ、ドイツ、イタリアは5歳差で世界平均、イギリスが4歳差と、日本人男性はG7や世界平均と比べて、早死にする傾向があり、本当に日本的経営の年功序列、終身雇用は守るべき制度なのか甚だ疑問である。

 日本的経営が社畜を生み出すことで、「飼い殺し」を助長する。なおかつムラ社会でよそ者を受け付けないがゆえに、雇用の流動性が皆無なら「しがみ付く」他なく、生きる希望を失う。

 そうなるとハイクラスな専門人材ではない、一般的なサラリーマンが学び直して、転職をするインセンティブはどこにあるのだろうか。

 高卒で社会に出た周辺的正社員として、薄給激務に身体が耐え切れず、20代半ばの若さで壊れたのを機に、斜陽産業であることも相まって見切りをつけ、通信制の大学で学び直している当事者として、現段階で答えは見つからない。

 学歴をアップデートして、資格を取得したところで、ブルーカラーかつ単純作業の職務経験しかないのだから、前職よりも高い賃金で雇われることはないどころか、ブランクから正規雇用すら怪しいだろう。

 経済的には踏み留まるのが最適解だったのかも知れないが、その選択は文字通り寿命を縮めているわけで、正規雇用ほど、こうした袋小路に陥る可能性が高く、そんな状態で学び直す意義は見出せない。

 雇用の流動性を高めるために、失業者のリスキリング支援も大切ではあるものの、それ以上に社畜製造装置と化し、機能不全を起こしていて既に既得権のカケラもない、日本的経営の抜本的な見直しこそが、現在の日本社会に求められているのではないだろうか。


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