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日本社会の好景気を知らない世代。

ガツガツしている若者が少ないのは当然。

 失われた30年。私たち若者世代は、そんな中で生まれ育っている。流石に30年も続くと、物心ついた頃からずっと不景気で過ごしてきた氷河期世代が、若手として社会に出てから既に中堅からベテランの域に達しており、氷河期世代以降に社会に出る世代も、もちろん好景気など知らないどころか、ずっと不景気が続くものだと諦めている節がある。

 保護者や学校では、我慢して勉強し、良い大学を出て、大企業に就職すれば人生安泰だと教えられて来た。しかし、蓋を開けてみると、経団連とトヨタが終身雇用のギブアップ宣言をしたり、幼い頃から夕張市の財政破綻や、日本航空の経営破綻、エレキメーカーの経営危機や不正会計、広告代理店での過労自殺など…。

 これらを目の当たりにして、安泰な場所など日本社会には残されていないのではないかと先入観を持つと同時に、世の中に絶対など無いことを、ことあるごとに感じながら社会に出ている。

 たとえ大卒で大企業の正規雇用でも、労働集約型だと初任給が20万円に満たないことはザラであり、薄給でも容赦なく奨学金という名の借金の返済が重くのしかかる。ベースアップはするものの、それを相殺する勢いで社会保険料が増加しており、可処分所得は減少傾向。

 雇用先も定年まで保つか定かではない。先行き不透明で明日は我が身だと気構えた状態で、家庭を持ったり、35年のローンを組んで住宅を購入するなど現実的ではない。

 しかし、マスメディアでは若者の〇〇離れなどと、いかにもシルバーデモクラシー的な、最近の若者は活気がなくてけしからんと悪者扱いまでされる始末でいい迷惑だ。

 単純にお金も時間もなく、一人当たりの業務量は増加して、体力や気力を労働に奪われ、将来に対しての希望も持てない社会なのだから、バブル期のようにガツガツした、しょうもないハングリー精神を持ち合わせていないのは当然であり、そんな日本社会を作り出したのは、最近の若者はけしからんと言っている世代側なのは皮肉が効いている。

金銭面の不安から少子化が加速する。

 そもそも現代の若者として社会に出始めているZ世代は、デジタルネイティブでインターネットが当たり前にある環境で育ち、多種多様な情報が可視化されて比較できることから、物事を現実的に考える傾向にある。

 Z世代の半数近くが結婚願望を持ち合わせていない統計もあるが、深掘りすると懸念材料となっているのは金銭面に起因するものが大多数だろう。そうした懸念材料を含めて半数近くが結婚願望がないと答えているだけであり、おそらく金銭面の不安が払拭されると結果はひっくり返るだろう。

 時間や体力面での不安も、ベビーシッターを利用できるような経済力や行政の補助があれば、大方解決するだろうし、最終的にはお金に帰結する。そう思える程度に、私のように社会システムの枠組みに嵌まりたくない意味で願望がない者は少数派なのが、同世代としての肌感覚である。

 つまり、抜本的な少子化対策を行うのであれば、20代が金銭面や将来不安を感じることなく生活できるような社会構造でなければならず、少なくとも現時点では社会がそのようになっていない。

 先述したように、成人するまで我慢して勉強して、社会に出てようやく自分でお金を稼げるようになったのだから、好きなものにお金を使いたい、いわゆる遊びたい時期が最初の数年はある。

 しかし労働集約型だと薄給で、貸与型奨学金を借りて大学を出た人は、平均288万円の借金を背負い社会に出るため返済が重荷となり、バブル期のようにパーっと遊べる訳でもなく、飽きるにも時間が掛かる。

 特にここ3年間はコロナ禍で自粛ムードだったから、遊びたい時期に遊べなかった若者・学生は相当数居ると思われ、5類移行で凍結期間を取り戻す勢いで遊んだとしても、気が済む頃には20代後半から30代になっている可能性が高い。

 奨学金の返済も真面目にコツコツ返している人なら、完済の目処がつき始める時期で、ようやく結婚や養育を考える時期に差し掛かるが、女性は出産のタイムリミットが迫る時期でもあり、期を逃すと不妊治療で100万円単位で費用が掛かってしまう。20代のうちなら掛からない可能性が高い費用である。

 日本の人口減少を食い止めるなら、平均2.07人の子供を産まないと1.2億人は持続しない。第一子出生時の母の平均年齢が2022年に30.9歳となっており、育児は体力勝負で20代ほど体力が有り余っていないことを鑑みると、第二子、第三子を考える頃には高齢出産の時期に差し掛かる。

 そのため、いかに子どもを持つことを希望する人の大多数が、20代のうちに育児まで漕ぎ着けられる社会構造にするかが大切ではないだろうか。

短大卒が食える社会なら、今より負担減。

 そんなことを考えると、現在の学歴至上主義社会は不健全であり、大学は本来の研究期間としての体裁を保つべきで、職業訓練校化すべきではないと考えるのが妥当な線だろう。

 日本の大学は入るまでが難しいが、卒業するのは入学するよりも簡単なケースが圧倒的で、世界の名門大学とは対照的である。この枠組みを煎じ詰めると、養老孟司さんの東大に合格した人には、卒業と同価値の合格証を配布せよにつながる。

 とはいえ一旦インフレした学歴至上主義社会が、非大卒上等社会に戻るのはあまり現実的ではない。落とし所としては、現実とは逆行するが、実学に特化している短期大学の活用が、実現可能性としては高い部類だろう。

 実態として大卒資格だけ欲しい、職業訓練校的な位置付けで大学に行く人が多数派なのだから、その目的なら短大で十分であり、研究分野に進みたい人だけ、4年制に3年次編入すれば、同じ大卒で棲み分けが可能である。学歴のために奨学金を借りるのも在学期間が半減するから返済額も半減する。

 平均の288万円を無利子と仮定し、ハイペースで毎月3万円ずつ返済しても8年要する。完済時には30代である。仮に同じ条件で、144万円であれば24〜25歳頃に完済可能で、毎月3万円のハイペースでなくても、多くが20代後半辺りに完済の目処が立つだろう。

 社会に出る時期を2年前倒すだけでも、20代で独立して生計を立てることが可能な期間が8年→10年となり、奨学金という名の学生ローンの返済総額を鑑みても、第一子出生時の母の平均年齢がマイナス2歳以上は期待できそうである。

 出産のタイムリミットが迫る中での2年は大きく、出産できる子どもの数が1人増えても不思議ではない。

 私は学力や経済面から高卒で一旦社会に出て、学歴至上主義社会故に不遇な扱いを受けてきた。それから通信や夜間の大学で学び直し、大卒と非大卒の両方を経験しているマイノリティだからこそ、次の世代が同じ苦しみを味わうことのない社会にどう創り変えていくべきか、社会を突き動かすだけの何かができそうな気がしてならない。


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