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都会者が地方移住した雑感。

物価は変わらない。コスパはバグってる。

 地方部は最低賃金が安いため、物価も安い印象を持たれがちである。しかし、物価が高いと思われがちな都市部でも、ディスカウントストアを駆使すれば、むしろ規模の経済性から価格だけを見れば都市部の方が安かったりする。

 特に本州と地続きになっていない、北海道、四国、九州、沖縄の場合は、輸送コストが本州以上に掛かる分、物によっては価格転嫁されていて割高な場合すらあり、Amazon Prime会員が娯楽も含めて生活インフラとなりがちである。

 まだ平常時の生活費用がデータとして収集できていないため、定量的に説明できないものの、肌感覚として生活コストは大きく変わらなそうである。

 それならば、賃金の高い都市部で生活した方が、経済的に余裕があるため良いように思えるが、個人的には費用対効果、コストパフォーマンスの面で地方部の方が満足度が高く、これらは定性的な情報のため見落とされがちである。

 地域にもよるとは思うが、食べ物に関しては地産地消の雰囲気が根強く、大抵のスーパーで地場産や産直品が豊富に取り扱われており、それが都市部のディスカウントストアに肉薄する価格帯で売りに出されている。

 もちろん、直売、直送しているから新鮮で美味しく、品質のバラツキこそあるものの、アベレージは高い。

 都市部でこれらを求めると、百貨店などの高価格帯のお店に行かなければ買うことができず、悪く言えば都市部のディスカウントストアで売られている、流通の過程で売れ残ったものとは一線を画するため、ことある毎にコスパがバグっていると感じる今日この頃である。

車社会。故に自転車は肩身が狭い。

 私は高校時代から20代の半分以上を、エセ都民として都市部での生活に費やしたものの、高校を出るまではベッドタウンという名の隣接県の郊外に住んでいたため、車社会での歩き方、自転車の走らせ方は心得ていた。

 都会と地方の双方を経験しているものとして再確認させられたのは、都民、特に23区内で純正培養されている人だと、「歩行者、自転車が優先で車は停まってくれるもの」的な感覚があり、地方民なら驚愕する程度に車の肩身が狭い。

 私はこれを知っているため、距離にもよるが23区内は自転車や原付が最速だと思い、免許は持っていても自家用車を保有する必要性を感じなかった。

 しかし、地方部ではこれらの関係性が逆転するため、都内の感覚で地方を歩くと、身の危険を感じること間違いなしだろう。たとえ横断歩道であっても、車は基本的に停まらないものと思い、自分の身は自分で守る。地方の常識、23区民の非常識。

 また、財政面で苦しい自治体が大多数のため、路面はバンピーで街灯も幹線道路にしか設置されていないため夜は真っ暗で、慣れないうちは防災無線が鳴り響いたら帰路に着くのが無難である。

 慣れたとしても側溝などの罠が、各所に散りばめられているため、夜間に車以外で移動する場合は、車相手に存在感を出すためにも、電灯が必須と言える。私は夜間に出歩く際、iPhoneのライト機能を多用している。

日中に若者がフラフラしている異端さ。

 9時17時などの日勤、土日休みで勤めている、世間一般のサラリーマンの方々は、営業マンでもない限り、平日の日中の街中を歩くことがないと思うが、想像の数倍は高齢者で溢れかえっている。

 そのため、現役世代の野郎が私服でフラフラしていると、最初はアウェイ感が半端ない。私は元々鉄道員で平日休みが当たり前な環境と、すぐに慣れたが、今まで勤勉に働かされていた人が、いざ資産所得で解放された際はアウェイ感を覚悟しておいた方が良い。

 特に地方部では都市部と違い、見知らぬ他人に干渉される可能性が高く、話しかけられた際に不審者と間違えられないように気を付けないと、面倒ごとに巻き込まれかねない。

 その点、20代で早期退職はしたものの、学び直しの体で社会人学生→学生へと変化した私は、日中にフラフラして話しかけられても、堂々と「大学生です」と答えられるだけでなく、地方部は若者の絶対数が少ないからか、たとえ20代後半でも、怪しまれた試しはない。童顔であることも一役買っている。

 どこの大学だと深掘りされても、コロナ禍でリモート授業に切り替わったため、東京の通信制大学と言っても、不信感は持たれなくなったどころか、不可抗力的に通学できない環境となった不遇さが共感されるのか、「頑張ってね」と応援されるのだから不思議なものである。所詮、ネオニートにも関わらず。

 やはり、日本社会は口の上手い外面の良い奴が得をして、口下手な仏頂面が損をするのだと、つくづく思う。

現金文化が根強い。

 都市部ではキャッシュレス決済が主流となりつつあり、現金主義の店を敬遠しても生活に困らないが、地方部だとそうもいかない現実がある。

 人口減少でそもそもの経営が厳しいため、決済手数料や売掛金のタイムラグを嫌い、現金主義を貫いている店舗が、個人に留まらずチェーン展開している上場企業でもある位だから、結構なカルチャーショックだった。

 これまではキャッシュレス決済に対応している店舗で現金払いをすると、決済手数料分上乗せされている商品を、ポイントなどの旨みのない状態で買っていることを意味したため、必ずキャッシュレス決済で通していた。

 しかし逆転の発想で、最初から現金主義でロープライスを貫く方針であれば、ポイント還元よりも現金値引きの方がありがたいのは、家電量販店を例に過去に記しており、支払い方法が混在しているお店で、何の還元もない現金で支払うのが、嫌なだけだと気付かされた。

 ATMで現金を引き出したり、家計簿アプリでの入力作業は面倒だが、こればかりは郷に入れば郷に従い慣れる他ない。

田舎がなければ、開拓すれば良い。

 そんなギャップは感じつつも、ローカルフードを食べながら食文化の違いを感じたり、マイナスイオン溢れる風光明媚かつ広大な自然を肌で感じていると、東京で身体がぶっ壊れるまで、見えない敵と闘っては、その度に絶望感に苛まれていた、これまでの生活は何だったのだろうかと思う程度に、これまで悩んでいたスケールの小ささを感じる次第である。

 私は人生史上、首都圏以外で生活したことはなく、コロナ前から帰る田舎などなかった。首都圏民の何割かはそれが当たり前となりつつある。

 しかし、近い将来、首都直下型や南海トラフの大地震が起きる可能性が高いと言われている。阪神淡路大震災は生前の出来事で、メディアでしか状況を知る術がないが、阪神高速道路の倒壊や、鉄道の被害状況を知るに、生活インフラが復旧するまでに、相当な期間を要するのは想像に難くない。

 現に東日本大震災の時に、東京は帰宅困難者で溢れかえり、流通網の被害から商品棚は空に。遠い東北地方の大地震ですら、機能不全を起こした首都圏である。直下型地震が起きようものなら、交通機関や流通はもとより、電気、ガス、水道すら長期間滞る可能性が高い。

 飲む水がない、食べるものがない、電気がない。生存欲求が満たされないだけでなく、スマホに支配されつつある現代で、電気の供給がなければ情報すら収集できない。そんな状況下で、逃げられる場所がないと思うとゾッとしてしまう。

 私の地方移住は単なる都落ちではなく、いい大人になってからでも故郷が創れるものか、実証実験を兼ねている。たとえ富士山が噴火しても、南海トラフや首都直下型地震が発生しても、物理的に距離があり、食料も地産地消で大きな影響を受けない。

 一度でも地方部で生活した経験があると、今後、都市部に居住して何か起きた際に、取り敢えず田舎に戻れば、避難所よりも良い環境で当面の生活が営めるだろう。そんな場所を、帰る田舎がない状態で生まれたからこそ、自ら創り出すために移住してみるのも、100年時代と謳われる人生で、より一層、深みが増すかも知れない。


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