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人類みなダメ人間。

鉄道員目線の終電模様。

 「酒が人間を駄目にするのではない。人間は元々駄目だということを教えてくれるものだ。」言わずと知れた立川談志さんの名言であり、酒呑みが己の愚行さを正当化するための常套句でもある。

 幼少期に周囲の大人から、ダメ人間になってはいけない的な刷り込みを受けるからこそ、社会に出ると勤勉な労働者像を演じがちで、無意識のうちに多かれ少なかれ、愚かな自分自身を抑圧している側面はあるのだろう。

 普段なら理性でセーブできている愚かさが、アルコールの魔力によって瞬く間にリミッターが外れると、次々に駄目さが露呈していき、成れの果てが金曜日の終列車(終電の正式名称)で見られるような、あの酒臭い車内や、プラットホーム上でマーライオンをしている地獄絵図である。

 利用者であれば早めに帰ることで、あの惨状を避けられるが、駅係員は逃げ場などない。終列車が出た後に閉店ガラガラをするために、どんな手段を行使してでも、叩き起こして追い出さなければならない。

 いやいや、それは遅番の話で、早番なら回避できるでしょう。と思う方は業界の内情に詳しいが、現場経験者としては、残念ながら土曜の初列車を利用する客層の方がタチが悪く、金曜の泊まりで早番をやる位なら、遅番の方がまだマシな印象が強いのは、終着駅の勤務経験があるからかも知れない。

金曜の終列車<土曜の初列車

 よく考えてみてほしい。終列車で帰る人たちは、日付は跨いでいるとはいえ、あくまでもアフターファイブの延長線上で、お家に帰って寝る前提で行動している層である。

 仮に寝過ごしても相当な距離でなければ、歩くなり、迎えに来てもらうか、タクシーを捕まえるか、方法は様々だが、深夜帯から明け方までに家に帰ろうとする傾向にある。

 では、土曜の初列車を利用する層は?変則勤務でもなければ、平日と異なり通勤で利用する人は殆ど居ない。

 これまで見てきた印象として、終電で酔い潰れて見事に寝過ごし、仕方なく駅前のネットカフェやカラオケボックスなどで、時間を潰したであろう、まだアルコールが抜け切っておらず、中途半端に覚醒して機嫌の悪いおっさんや、端から終列車で帰る気などない、オールで一夜を過ごした若年層が主で、金曜の夜とは比にならないレベルの酒気帯び状態であることは想像に難くない。

 駅を開けるや否や、ゾンビの如くホーム上のベンチに直行したと思ったら、ウトウトしながら初列車が来るのを待つが、列車のドアが開いて車内に入れる頃には夢の世界の体たらく。いつまでもベンチを占領される訳にもいかないため、今ここで叩き起こすしかない。

 伝家の宝刀、駅構内から追い出して強引に営業終了が、終列車と違って使えない分、面倒ごとに巻き込まれる可能性が高く、会社側も酔っ払いの暴力事件=深夜の先入観があるからか、終列車なら二人で対応するものを、初列車が動き出す時間帯はひとりきりで対応しなければならない。殴られたらそこで営業終了だよ。

駄目なら駄目なりに、潔く開き直る。

 自慢だが私は駅員時代、酔客とトラブルになったことは一度もない。偶然運が良かったのか、殴り甲斐皆無なもやし野郎なのかは定かではないが、根底にあるのは、酔客に限らず、全ての他人に期待していないことから、絵に描いたようなレベルのポンコツを見ても、それ単体で腹立つことがない性格の影響が大きそうである。

 理想としては、酒に頼らずとも、もっと駄目さを全面に押し出して許される、他人に期待されず、優等生を美徳としない社会になると、現代社会の息が詰まるような閉塞感や、なんとなくの生きづらさが解消されるのかも知れない。日本人は完璧主義に走りがちであり、顧客としてもそれを求めがちである。

 どうせ愚かな人間がやることである。いい加減で出来が悪くても、要点さえ抑えていれば、まぁこんなものだろう。まぁいいか。程度に流せる寛容さが社会全体で必要ではないだろうか。

 米国や欧州のように、外見から全く違ういわゆる人種が混在していない、アジア圏特有なのかも知れないが、他者の細かい違いに逐一反応していたら、社会全体が疲弊するに決まっている。

 海外でそのまま通じる日本語で「過労死」は有名だが、「根回し」も通じるらしい。裏を返せば、両者とも英語圏には存在しない概念で、某魔法少女アニメの、ウサギみたいなマスコットキャラ風に言えば、ワケガワカラナイヨ。どうして君たちはそんなに必死になって労働するんだい。必死という字は必ず死ぬと書くんダヨ。と脳内再生される。

 どこまで労働を美徳とするプロテスタント的思想が蔓延っているのだろう。欧州圏のように、年に一度のバカンスを楽しむために、仕方なしに割り切って労働して、みんながみんな長期休暇を取るから、会社や社会なんて大して機能していないのが当たり前位の適当さが欲しい。

 日本人はお金を払うことで、提供されること何かに対して、過度に期待する嫌いがあり、日本で提供されているサービス全般のコスパが、アンバランスなまでに安過ぎて、しかも、サービスの語源は奴隷と言われているように、労働者にはアルバイトに毛が生えた賃金しか還元されない。これはまさに札束の暴力である。

 私はお金を払う側が絶対的に偉いと言った、貨幣経済の権化とも言えるような価値観は、一周回って乏しさすら感じてしまい、自分自身はそれを助長したくないため、旅行の宿は素泊まりで、移動手段は18きっぷやLCCと言った具合に、コアとなる役務以外を一切提供しない、割り切りプランを多用する様にしている。

 必死になって労働しても、30年間横ばいで成長していない国である。どうせ駄目なら、駄目なりに潔く開き直って、みんなで適当に日常を謳歌して、ダメ人間っぷりを遺憾なく発揮した方が、今の社会よりも生きやすくなりそうに思えるのは私だけだろうか。


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