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What is(本人がいるところ)で出会う③ 〜すれ違い 〜 失敗クラブ

この記事は続きものです。
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②の終わりに書いた3つの問いを繰り返します。

・ 私も相手も誰もが最善を尽くしていて、誰も悪くないとしたら、
  この状態をどう捉えることができるのだろう?

・ 応援したい気持ちや、こうだったらいいな、と望み、望んだ通りで
  あればお祝いしたい気持ちがすれ違い、ストレスになるのはなぜなの
  だろう?

・ そして、それが本当に応援やお祝い、ニーズを満たす力として発揮
  できるとしたら、それはどんな感じなんだろう?

もし、「私も相手も誰も悪くないとしたら、そしてお互いがやっていること、やっていないことが少なくともそれぞれのニーズを満たそうとしているとしたら、どんなニーズを満たそうとしているのだろう?」と考えていて、たどり着いたのは、最初に私がプレッシャーを感じた時も、次に相手がプレッシャーを感じた時も、”自主・自律”、”選択”が満たされない感じがしたのかな、ということ(自分はそうだと感じていて、相手のは推測)でした。

そこまでは最初の体験でもつながっていたので、それでもスッキリしない、全体像が見えない感じ、この二つの共通点はなんだろう?と考え続けました。

一つには、どちらも「お互いに望んでいるであろう」と考えての発言だった、ということ。

もう一つは、それを表現することで相手も喜んでくれると想像していた、ということ。

それなのにすれ違って痛みを感じたのはなぜだろう?とまずは自分ごととして考えました。(相手のことは考えてもわからないから、yes/noがわかりやすい自分に問うのが有効だから)

そうしたら、「”ありのままの、現時点でそうである自分"ではないものを求められている感じがして嫌だった」というのが出てきました。

それはとてもしっくりしました。

「誰だって、目の前にいる人に、今のありのままの自分をまずはそのまま丸ごと見留めて、認めて、受け入れてほしい」と私は思っています。

少し話が逸れる感じですが、私が一月に選んだ"今年体現したい漢字一文字"
は「」です。

自分が自分でいることに寛ぐ(くつろぐ)、そのためには自分に気づき、見留め、認め、受け入れ、思いやりとケアを持って自分を抱きしめる(&ホールドする)を目指して日々の選択をしようとしています。

自分が自分のどんな部分でも認められたら、他の人のことも「最善を尽くしている」し「ニーズを大切にしようとしての言動」だと実感を持て、自分だけでなくあらゆる人のことをありのままでいてくれてありがとう、と思えると考えています。

そして、私も「”ありのままの、現時点でそうである相手"ではないものを求めている」感じがすることを伝えていたし、私が最初に反発したいような受け入れられないと感じてストレスを感じていたのもこの「ありのままの自分を見留めて、認めて、受け入れてほしいからだ」と気づきました。

どんなにポジティブに思えることでも、それを本人が「ありのままの自分を見留めて、認めて、受け入れていない」と受け取ったら・解釈したら、それはお祝いにはならない、ということに気づきました。(応援を"応援してくれているんだね"と受け取り、お祝いを"お祝いしたい、してくれたいんだね"と受け取れたらまた違う感情や反応が出てくると思います)

モヤモヤのおかげで、自分にとってとても大切なことにたどり着けたことに感謝しているので記事として残したくて書いてみました。

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