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【わたしの旅行記】歴史を学んだ休日【福島県会津若松/出張グルメ番外編】※歴史クイズ有り

今年のGWはある程度日時に余裕はありましたが、午前中仕事・午後フリーのような日が多かったため、遠出の旅行は難しかったので「折角だから福島県内を見直そう!」ということを決意し、会津若松鶴ヶ城付近を散策しました。

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私は福島県で学生時代を過ごしましたが、小学生・中学生の際の学習旅行以外では、会津若松どころか会津地方に関しては、一・二度仕事で訪れただけです。

会津若松(会津地方)は、スキーやスノボなどウインタースポーツをする方の他は、福島県民でも意外にも訪れる回数が少ない地域です。

私が会津若松を訪ねたのは学生時代ですから、
「白虎隊の少年たちは可哀そう」
「(会津漆器の体験で)漆は肌に付くと痒くなる」
「おみやげに木刀を買うかどうか…」

くらいの記憶しかありません。

若いときはディズニーやUSJのような、煌びやかなテーマパークなどに対しての興味が大きかったですが、年齢を重ねるにしたがって、京都の寺巡りのような歴史関連の旅がどんどん好みになってきました。

ですので、今回鶴ヶ城・武家屋敷・県立博物館を半日がかりで周ったところ、新しい発見がたくさんあり大変有意義でした。

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1.会津武家屋敷

江戸時代中期の家老・西郷頼母の屋敷を復元した建物です。
三十八の部屋と三百二十八枚の畳がある広大な屋敷です。
重役しか通されない格式高い部屋から、女中部屋など使用人が使う部屋まであり、江戸時代の生活の雰囲気を味わうことが出来ました。

ここで、お食事処九曜亭さんで遅めの昼食休憩を取りました。

大海老天ざるそば 税込み¥1080(2023年5月時点)

お昼時からズレた時間帯に入店したためそれほど混雑していなかったので、注文してから時間をかけずに、揚げたてでサックサクの海老天ぷらとそばを堪能出来て大満足でした。

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2.会津鶴ヶ城

GWの初め、4月28日から天守閣がリニューアルオープンされており、興味のある方が多く、入城までかなり長い行列になっていました。

天守閣からの眺めは、天気が良かったこともあり遠くまで見渡すことが出来、大変すがすがしい気持ちになりました。

遠くに見える山々は(恐らく)飯豊連峰

これほど景色が良いと、昔の方々が「お殿様になりたい」「お殿様に憧れる」「お殿様は恐れ多い存在」などと考える気持ちも少し分かったような気がします。

場内では、「企画展・刀」も開催されており、それほど刀に詳しくない私でも知っているような

和泉守兼定(新撰組副長・土方歳三愛刀)


が展示されており、かなりテンションが上がりました笑

この企画展・刀については7月2日まで行われていますので、私よりも刀に詳しい方(刀剣乱舞好きの方など含む)や、私のように幕末などの歴史に興味のある方でしたら、かなり楽しめると思います。

城外では、子供たちがベコイザーR?というご当地ヒーロー?と写真を撮っていたり、木刀を兄妹四人全員で持っている家族を見たりと、様々なところでほっこりすることが出来、良い息抜きになりました笑

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3.福島県立博物館

福島県立博物館は鶴ヶ城に隣接している立地のため、この機会に訪問しました。

GW中は「Go!Go!5世紀」という、日本がアジアの国々との交流で取り入れた新しい文化や技術についての企画展が開催されていました。

五世紀とはいえ、今でも通用するような見た目の動物などの埴輪があるなど、中々歴史を感じることが出来ました。

連休を取得した場合には、遠くの綺麗な観光地を巡ることも良いのですが、地元を再発見するための小旅行も良いものだと再認識しました。

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ここからは、折角ですので、今回の旅(会津若松関連)で得た知識で、他の方との話題になりそうなものに関して、クイズ形式で記載したいと思います。

☆会津歴史クイズ


問1.新五千円札のモデルになる津田梅子さんは、岩倉使節団の一員として欧米へ留学し、アメリカでは当時の先進的な女子教育を受ける機会を得ました。
さて、その津田梅子さんと共に留学した会津出身の女性がいましたが、その方の名前は?


問2.会津藩主に、武芸で数々の戦功を上げただけでなく、文化面にも造詣が深かった蒲生氏郷さんが着任した時代がありました。
その際、現代にもつながる歴史的に重要なことを行いましたが、それは何でしょうか。


~ヒント~
その時代は、安土桃山時代・豊臣秀吉が天下人でした。




答えは下にあります。




答えを見ても大丈夫でしょうか?





答え1 大山捨松さん。
捨松という名前は、留学させる際に、母親が「もう二度と会えると思っていない(捨てた)と思って、帰りを待っている」という意味でつけたそうです。
母親の気持ちを考えると複雑ですね…

答え2 千利休の息子を匿った。
蒲生氏郷は茶の湯に深い理解があり、千利休に師事していたこともあり、千利休が豊臣秀吉に切腹を命じられた後、息子である千小庵を会津に匿ったそうです。
鶴ヶ城や武家屋敷には、その際に建設した茶室が残っております。
その後、千小庵は千家を興し今の茶道につながっております。



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