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ホロコースト教育から学ぶ〜加害の歴史との向き合い方〜

はじめに

早稲田から日韓の未来をつくる連載企画「ワセミレ」。第2回は、NPO法人ホロコースト教育資料センター(愛称:Kokoro)
で理事長を務める、石岡史子氏にお話を伺いました。
同団体は、アウシュヴィッツを訪ねるスタディーツアーや全国の学校への訪問授業など、ホロコーストを題材に様々な活動を展開しています。
一見すると「ホロコースト教育」は、日韓の歴史認識問題とは無関係に思えるかもしれません。しかし、今回のインタビューを通じて、能動的に歴史を見つめ直すための新たなヒントが沢山見つかりました。今まで抵抗感があった方にも、この記事が歴史を「自分ごと」として捉えるきっかけになれば嬉しいです。


【目次】
・ホロコーストの歴史から「人間を知る」
・主体的な思考を育む「問いづくり」のメソッド
・学生に考えてほしい論点
・「自分ごと」として捉えるには
・今大学生の私にできること
・日本とドイツ、戦争加害に対する空気感の違い
・「歴史修正主義」に対抗するには
・過去に対する責任は無いけれど、未来に対する責任がある

ホロコーストの歴史から「人間を知る」

ありさ)Kokoroの活動を拝見する中で、ホロコーストを生み出すような差別や偏見が、現在を含めどの時代にも何処にでも在って、それらに立ち向かうために歴史から学び、命や人権について考えることが必要なのだと理解しました。改めてホロコースト教育を行う理由や背景をお聞かせください。

石岡)「差別はダメ」ってことはみんなもう分かっているはずなんだけれど、それでも社会から無くならないのは何故なんだろう。最終的には一人一人がそれぞれの形で、差別に立ち向かえるようになることがゴールだとは思うんだけれど、私たちの教育活動ではそこから始めています。ホロコーストの歴史をケーススタディにして、カッコつけた言葉にすると「人間探求」という感じで。

当時の人たちの証言を見ると「差別はいけない」って分かっているんだけど、そういう感情をも打ち消してしまう何かがあった。それはなんだろうっていうのを突き詰めていくと「あれ?今となんか変わらないな」とか色んなことに気付けるんですよね。

もちろん当時の政治状況とか国際関係とか、そういうことも視野を広げていくと思うんだけれど、私たちのNPOでは「人間を知る」というところから先ず始めてみようということで。

ナチ時代のドイツに生きたある方の証言なんだけれど、その方は当時皆さんよりも若い10代で、ナチの政策やイデオロギーを推進する少女団のリーダーだった。
その人は「『良心に対する言い訳』を私たちはもう身に付けてしまっていた」というような表現をしていました。

差別はいけないって分かっているけど「でもやっぱり国益が大事だよね」、「私たちの生活が第一だよね」とか、色々あると思うんだけれど。
そのような「差別を許してしまう『良心に対する言い訳』ってなんだろう」「良い心が負けてしまうのはどういう時だろう」と探求してみる。
その次のステップとして「それを乗り越えるためには何ができるだろうか」というようなことを考えたりする時間を作りたいなと思っています。

ありさ)「良心に対する言い訳」というお話は、差別を合理化しようとする心の動きということでしょうか。

石岡)そうですね。例えば周りがみんなそうだったからとか。もう自分の頭で考えられなくなってしまっていた。そういうのをまず歴史から探求してみる。そして現代に置き換えてみると、私たちどういう言い訳をしているかな。色んな言い訳があると思いますね。


参考:カール・シュッデコプフ編(1987)『ナチズム下の女たち 第三帝国の日常生活』香川檀・秦由紀子・石井栄子訳,未来社.



主体的な思考を育む「問いづくり」のメソッド

ありさ)様々な活動をしていらっしゃると思うのですが、特に力を入れている活動はありますか。

石岡)よく聞いてくれました!実はもうすぐ団体設立25年で長いんですよ。なのでその25年の中で色んなことにトライはしてきたんだけど、今特に力を入れてるのは「問いづくり」というアクティビティです。早稲田の授業で何度も何度も、これでもか!ってくらいやったやつなんだけど笑
 何かお題を見て、①問いを作る、②分類する、③変換する、④選ぶ。本当に単純な幼稚園児から大人まで誰でもできるアクティビティで、事前の知識はいりません。何かポンと出した写真1枚とかを見て、自由にグループで問いを作ってみようっていうアクティビティなんですね。これが日本全国の学校教育でも、社会教育でも広まったら、これは革命だ!って思ってます。

 最近よく主体的に考えようとか、対話的にワークをやろうとか。お二人も今までの学校教育を振り返ると何度も「質問を積極的にしてください」って言われていると思うけれど、質問の仕方を習った記憶ってありますか?

ありさ)あんまりないですね。でも私はジャーナリズムのゼミに入っているので、記事を書く上で押さえておかなければならないポイントみたいなのは学ぶんですけど…。「どうやったら良い質問ができるんだろう」というのは常に考えながら、追求したいなって思っているところなんです。

石岡)そうなんです、ありささん。自分がどう聞くかで、どのような答えが返ってくるかは大きく変わってくるわけだから。そうなったら自分が何を知りたいのか、何を相手から引き出したいのか。この「問いづくり」はまさに良い質問を作るためのスキルを磨くワークで、アメリカの市民運動から生まれて、もう20年くらい掛けて開発されているメソッドです。これを繰り返すと、主体的に考えることに繋がるなと思って今特に力を入れてるんです。

ありさ)ただ問いを出すだけで終わらないのは、それぞれの異なる段階にどのような意図を込めてのことでしょうか。

石岡)まず発散思考というので、とにかく知識は関係ないから、お題を見てグループで思うままに問いを出してみる。それを一人でやってるとつまらないけれど、グループでやると「そういう質問もありか」って他者の問いから気づきも得られる。

そうして出た問いを分類する・変換するというのは、閉じた問いから開いた問いに変換してみるということです。例えば「これは何ですか」「コーヒーカップです」みたいな質問を、「そのコーヒーカップにはどんな思い入れがありますか」とか「そのコーヒーカップはどうやって作りますか」というように、自分が一度出した質問を別の視点から問い直す作業を経ます。

次に、ばーっと作った沢山の質問の中から、自分にとって最も重要な問いはどれかを思考をぎゅーっと収束させて1つ選ぶ(収束思考)。

最終的には、自分が選んだ1つの問いをみんなで共有して、なぜ自分はその問いを選んだのかというメタ認知をまたグループで共有したりするんですね。発散思考、収束思考、メタ認知思考っていう全てのプロセスに論理的な意味づけがあるんですよ

ありさ)質問を1つしか選べないとなると、その中で重みづけをしなければならないので、自分の価値観にも気付けるなと思いました。

石岡)ありささん、まさにそうなんです!それを見つけるプロセスでもあるんですよね。
私がなんでこれにハマっているのかというと、やることはこのシンプル4段階なんだけれど、その際にグループでみんなが作った問いを一語一句言葉通りに記録するんですね。そのアクティビティの方法がとても民主的なんですよね。一人一人の発想を平等に尊重する。

だから「なんでそんな単純な質問するの?」って言われたらどうしようとか、最初はそういう抵抗感もあったりするかなと思うんだけど、何を自由に質問してもいいんです。それは絶対否定されません。みんながその一人一人の質問に耳を傾け合う、ちょっとルールなんかも決まっていてね。そのプロセスがとても民主的なので、マイクロデモクラシーっていうちっちゃいことなんだけど、民主的な学びの場を作ることも意図されてデザインされているんです。


学生に考えてほしい論点

あやの)ホロコースト教育を通じて沢山の学生たちと接する機会があると思いますが、考えてほしい論点にはどのようなものがありますか。

石岡)そうですね、論点は本当にホロコーストの歴史の中でいろんな論点があるので、実は大学生くらいだとあまりこちらから絞らないようにしています。プロセスを経ていった後に最後に学生の皆さんに聞くんですね。

「いつどこで誰が何をしていたらこれは防げたんだろう」あるいは「二度と繰り返さないようにできるのだろう」

そうすると学生の中には、例えばジャーナリズムに関心がある人は当時のマスメディアの役割、プロパガンダに注目する人もいます。一緒にアウシュビッツに行った早稲田の学生は法学部で、法律の役割に注目して国際法を今勉強していたり。

あと医学部の学生とも一緒にアウシュビッツに行ったときは、医学の役割・体実験をしていたことに興味を持ったりします。大学生だとまずプロセスを一緒にたどって自分たちで論点をみつけてもらうようにしているかな。

小・中・高校のときは先生と話し合って、例えば「人権学習」という枠組みで授業依頼をもらったら、「人権」「国際理解」「命の尊さ」とかのテーマを設けたりすることもあります。

本当に色んな点から学ぶことができる歴史だと思うので、学生たちに見つけてもらいたいです。

あやの)ありがとうございます。確かに私も「平和・人権論」の授業で先ほどおっしゃっていたように質問づくりをしたのですが。

単純な質問とは思いつつも意外とグループの中では出ていなかったりして。自分から論点を見つけていくというお話には納得しました。


「自分ごと」として捉えるには

あやの)では続いての質問に行きたいのですが、これから歴史認識やホロコーストについて学びたいと思っている学生は、どのような議論・観点から学んでいくと「自分ごと」として捉えられるでしょうか。

石岡)これも2-1の項目とちょっと繋がるかな。「問いづくり」をする理由は、結局問いを作るというのは自分の中からしか出てこないから。

社会にあふれる情報とかTwitterで流れてくることよりも、自分の中から出てくる興味関心とホロコーストの歴史の接点はどこだろうというのを自分で見つけてもらいたい

春学期に受講してくれてた学生と、9月にドイツで開催された国際歴史フェスティバルに行ったんだけど。彼女ともベルリンで話してたときに「問いづくり」を通してこれまでは「ホロコーストとかちょっと怖いな」とか「関係ないな」とか考えていたんだけど、「問いづくり」を通して初めて自分事として捉えることができたと言っていました。これも2-1のお答えと同じで学生に自ら見つけてほしいです。

ありさ)その辺を(授業を企画するうえで)考えられていて筋が通っているから、やはり答えも繋がってきますよね。

石岡)そうだね!ホロコーストっていう歴史を教材にはしているんだけど、「問いづくり」を通して自分事として捉えることで最終的には日本の社会が今抱えている様々な課題に目を向けてほしい。

ホロコースト=「ユダヤ人可哀そう」という他人事ではなくて、やはり私たちの社会にも今マイノリティの立場で傷ついている人がいる。

ヘイトスピーチとか本当に暴言が投げつけられている。そういった現実には気付いてほしいという思いはあるけれど、それに学生自身が自ら気付いてほしいなっていうところはあります。

ありさ・あやの)ありがとうございます。


今大学生の私にできること

あやの)それでは次の質問に移りたいのですが、今大学生の私ができることには具体的な行動面でどのようなことがありますか。

石岡)とにかく自分の思いを言葉にして、一人でも周りの人に伝えてみるということ。対話の時間をできるだけ持つといいんじゃないかなとすごく思ってるんですね。

ちょっと次の質問(輪を広げいてくためにはどうしたら良いか。)とも重ねて答えてみても良い?

あやの)もちろんです。

石岡)輪を広げていくためにはどのようなことができるでしょうか。

実はコロナ禍で2年間、学校訪問授業ができなくなっちゃって、パニックだったの。もうNPOの活動ができないのかって。でもオンラインで何とか色んなイベントを2年間開催しているうちに、結構定期的に参加してくれる大学生が増えてきて。

その中から一人ある大学生が「ホロコーストの歴史を学んでもやもやする」と。

私があの時代に生きていたら抵抗できただろうか。あの時代はユダヤ人差別が正義で、それでも私はそれはおかしいよと抵抗できただろうか。それともその時の社会が正義とみなしているものに従うだろうか

とにかくもやもやして、辛くなっちゃったらしくて。このもやもやを誰かと話したいと思ったらしい。いつもオンラインで参加してくれる二人の学生に声をかけて「ちょっともやもやするので一緒に話しませんか」と。

そこからアイデアが飛躍してピースミュージアムを作りたいという発想が生まれて。ピースミュージアムというのは一つの「場」ということだよね、その場所を通じて見に来てくれる人と自分のもやもやを共有したいっていう彼女の強い思いが生まれてきて、3人でグループを作って私は相談を受けたんだよね。私は「いいじゃん!頑張れ!」と言って、とにかく背中を押しました。

そしたらさらに声をかけて9人グループが集まった。みんなオンラインで実際に会ったことがないメンバー同士、日本全国の学生がオンラインで集合して、ピースミュージアムを作ろう!ってスタートして。それから週に1回、準備が進むにつれて2回、3回と毎週ミーティングを重ねて、私たちは何がやりたいのかという話し合いから始まって…。

とうとう去年の夏に埼玉の図書館で『「わたし」と「れきし」展』
という展示会を開催するところまでこぎつけて。そんな取り組みをした学生がいたんですね。

コロナ禍で、対話の機会が本当にもう遮られてしまったと思ったんだけど、そんな中でも話したいって思った学生が「一緒に話しませんか」ってちょっと勇気を出して声をかけて、その輪が広がって。

その展示会を開催した場所では色んな人が見に来てね。その人同士で対話が生まれたりだとか。なので本当に輪を広げていくために「まず話してみない?」みたいな。そう声をかけてみたら何か生まれるんじゃないかなと、すごく私自身去年の学生の取り組みを見て思いました。

あやの)ありがとうございます。春学期の授業でも確か最後の方に、「今私にできることは」みたいなことを考える機会がありましたよね。

その際に私たちの班でも「友人に話す」というのが出て、私も家族に話したりして。そういうのをきっかけに、政治の話をするようになったので、こういった対話ってすごく大切だなって風に私も身を以って感じています。

石岡)それは嬉しい。大事なことだよね。


日本とドイツ、戦争加害に対する空気感の違い

ありさ)ドイツと日本の教育現場において、戦争加害の扱われ方にはどのような違いがあるのでしょうか

石岡)これについては、研究対象にしている専門家の方もいるので、私自身がドイツでのスタディーツアーを通じて感じた印象という形にはなってしまうんだけれども。

(まず社会全体の状況として)ドイツでとにかくびっくりするのは、例えば首都のベルリンで街中を歩いていると、3歩歩いたらナチ時代の加害の歴史を記憶するモニュメントに出会うというくらい、街の至る所に歴史を記憶する記念碑が点在していてね。公園の片隅とか、観光客が行き交うような場所とか。
もちろんそういう記念碑に抵抗意識を持っている人もいるんですよね。「もうナチ時代の歴史は充分反省したんだからいい加減いいだろ」みたいな考え方を持つ人だってもちろんいる。あるいはナチ時代の思想を彷彿とさせるようなイデオロギーを持つ政党も出てきたりしているので、ドイツを美化するわけではないけど。

私の印象では、例えばナチ時代の記念碑が何か傷つけられたり破壊されたり、壊されたりしたとすると、それが一気に社会全体に可視化されるんですよね。ニュースで取り上げられる、SNSで誰かが発信する。
さらには「記念碑を直すために今から募金活動をします」、「遠くて来れない人は何月何日に、自宅の近くにある記念碑を綺麗に磨いてください」と呼び掛けがあったりとか。
もちろん「ナチ時代の歴史なんて嘘だ」とか「うんざりだ」とかいう声もあるんだけど、そういうのが出てきた時に「そんなこと言ったらダメだよ」、「忘れちゃダメだよ」。
そういう声が両方聞こえてくるなっていう印象が私はあります。

ありさ)すぐ可視化されるというのはそれだけ常に見ている人がいて、メディアも報道すべき価値があると判断しているということですよね。

石岡)そうだよね。

ありさ)日本だと理不尽に「反日」というレッテルを貼られたり、反論したくてもしづらい空気感があると思うのですが、ドイツではそういった萎縮させる雰囲気はないのでしょうか。

石岡)そのように伝わってきます。やはり大きいのはドイツの場合は、政治家や外交官たちがそれを公の場で謝罪したり、「忘れてはいけない」ということを言葉にして発信しているっていうのは大きいですよね。
日本の場合、政治家がそれを「無かった」とか否定したりしていたら、やはり萎縮してしまうとかいうこともあるのかな。そこも一つ違いではあるけれども。

教育現場ってことでしたよね。ドイツの研究者から話を聞くと、高校では「ホロコーストは何故起きたのか」、「私だったらどうするだろう」というようなディスカッションを中心とした授業が行われているそうです。そういう授業風景は日本でも最近報道されていて。何か正解を導き出すというよりも、考えさせる教育が行われているのかなっていう印象を強く受けます。

ありさ)そういった違いが生じる背景について思い当たることがあればお聞かせ願いたいです。例えば、ヨーロッパでは一次史料がより丁重に保管されていたり、「ホロコーストは無かった」と否認する言説が法的にも規制されていると聞いたことがあります。

石岡)そうですね、それもありますね。歴史の一次史料、生還者の証言。それからありささんが言ったように、ホロコーストを否定するようなことは法律で罰せられる。そのようなことは教科書における記述にも反映されるでしょうね。

政治の圧力というのも言われるけれど、わたしたち側からは「忖度」ということもある
教科書が作られる過程でも、教科書出版社は検定が通らなかった時にどこがどういう理由で通らなかったのか詳しく教えてもらえないとか。

経費かけて長いプロセスを経て作っているのに、教科書として販売できないというのは、小さい教科書会社にとってかなりの痛手です。それでも一次史料や証言の記録があったら否定のしようがないというのは大きいですよね。

ありさ)私もどういった過程で教科書が検定されているのか、ちゃんと勉強したいなと思いました。教科書を作る過程が民主的であるというのもすごく重要だなと感じます。

石岡)まさにその通りだと思います。検定のプロセスは不透明だし、なんでこの記述がダメなのか理由も言われないなんておかしいなと思いますよね。


「歴史修正主義」に対抗するには

ありさ)ありがとうございます。続いて、所謂「歴史修正主義」にはどのように対抗していけばよいでしょうか。

石岡)今年の1月、まさに「歴史修正主義」(中央公論社、2021)という本を出版された、学習院女子大学の武井彩佳先生をゲストにお迎えしてお話を聞いたんですけどね。

歴史は書き換えられていくものだから歴史修正っていうのは常に行われているもの。ただ、今日本の社会に溢れている「歴史否定」っていうのは、やっぱり一人一人がどう対抗していけば良いのだろうか。
日本の社会で一番問題だなって思うのは、マスコミの両論併記。例えば、関東大震災の時の朝鮮人虐殺について、小池都知事は虐殺があったということを認めていない。マスコミは「東京都は言及しなかった」というような表現を使うんだけど。結局は認めてないということ。

このように社会全体で「朝鮮人虐殺があったていう人もいるけど、無かったっていう人もいるよね」みたいな両論併記がされていくと、これから歴史を学んでいこうっていう子供たちも「あれ、両方の意見があるんだ。じゃあ無かった可能性もあるのかな」という社会の空気が作られていってしまうところがすごく問題だと思います。

犠牲者の声や一次史料が残っている。それらをどうやって社会で共有していったら良いんだろう。一人一人が犠牲者の声に触れて、史料をもとに学んで、歴史を否定する声が聞こえてきた時に「いやこういう史料が残ってるんだよ」って言えるようにもっともっと共有していかなきゃいけないのかな、と思いますね。

ありさ)私も報道機関に進む者として「中立報道」の意味や「中立」が孕む暴力性、「中立と公正はまた違うんじゃないかな」というようなことを考えるのですごく共感しました。

石岡)中立とか両論併記とかいった時に、誰に対して目線が向かっているのか、誰のための両論併記なのかというのを見極めなきゃいけない。日本の社会では、マスコミだけに限らず誰かの気分を害してしまったらいけないからとか。その誰かって誰なのかって考えてみたら結局、日本社会のマジョリティに忖度していた事実が見えてくることが多い。でも、「公正」ってありささんが言ったように、マイノリティの人たちの意見を守る形での報道とか教育も考えていかなければならないと思います。

参考:武井彩佳(2021)『歴史修正主義 ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで』中央公論新社


過去に対する責任は無いけれど、未来に対する責任がある

ありさ)ありがとうございます。これで予定していた最後の質問が終了しましたが、追加で質問してもよろしいですか?

よく「自分ごと」という言葉が使われると思うのですが、日韓の問題となった時に加害国に生きている人間としての「自分ごと」に偏ってしまう人もいるように思います。つまり、自分が罪悪感を感じて辛くなったり、責められているように感じるとか。そうなると、歴史を学ぶことが嫌になってしまったり、蓋をすることに繋がるんじゃないかなと考えています。
これはホロコーストを学ぶ現在のドイツ人にも通じるところがあるかもしれないのですが、加害国にルーツを持つ人が「自分ごと化する」といった時に留意しておくべきことはありますか。

石岡)そこすごく大事なところですよね。大日本帝国時代のシステムを批判するのであって、今の自分が責められてる訳じゃないよと、ちゃんと分けて考えていく必要がある
東京にいるドイツ大使や外交官たちが、イベントで挨拶をするときに必ず言うことがあります。それは「私は当時生きていなかったので、ホロコーストに直接的な責任はありません」ということを必ず言うんですよね。「だけど、やはり忘れてはいけない。繰り返さないための未来への責任がある」そういう言い方をします。世代によって違うけれども、ドイツでは必ず今の時代には直接の責任は無いということをきちんと伝えて、その上でどうしたら二度と繰り返さないことができるかを議論する。それは私も重要なことだと考えています。

ありさ)過去に対する責任は無いけれども、現在と未来に対する責任がある。確かに、そのように理解できるとより素直に考えられそうですね。本日はありがとうございました。



今回は、ホロコースト教育資料センターKokoro 石岡史子理事長にお話を伺いました。
現代を生きる私たちにも通ずる普遍的な心の動きや、未来への責任を考えることで、加害の歴史に対する自分なりの距離感を掴むきっかけになれば幸いです。

次回は、日韓の歴史を学ぶ資料館訪問レポートです。韓国人留学生と歴史認識についてざっくばらんに議論をしているので、是非読んでみてくださいね。

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