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【説教集×英語学習4】 わかろうとする #214

2024年1月7日(顕現後第1主日、主イエス洗礼の日)



説教集より

Certaine Sermons or Homilies 1547-1571, Rickey and Stroup, 2nd ed, 1993, II, p152.

If we cannot understand the sense and the reason of the saying, yet let us not be scorners, jesters, and deriders, for that is the uttermost token and shew of a reprobate, of a plain enemy to God and his wisdom.  

「み言葉の意味や奥深さを読み取れないからといって、それを嘲る者や侮る者や蔑む者となってはいけません。そうなることは神に見放された者の、つまり神とその知恵にたむかう敵の明らかな徴であり兆しであるからです。」(第二説教集10章2部:全訳はこちら↓)


ヨハネの勧話

学生時代の恩師がよく口にしていた言葉で、いまだに私にとっての軸となっている言葉があります。それは「『わからない』という言葉を軽々しく用いてはならない」というものです。

「わからない」という言葉はある意味で万能です。この言葉を言いさえすれば多くの場合、もはや干渉を受けることはない。追及されることもない。「わからない」は外界と明確な境界線を引くことのできる魔法の言葉と言えます。これは、わが身に置き換えてみて、誰かに問を向けたときにその相手から言下に「わからない」と答えられたときの自分の気持ちを思い出すとわかることであると思います。

「君は○○についてどう思う?」と尋ねて、「わからない」と言下に答えられたら、場合によってはコミュニケーションの拒否を感じるでしょう。疎外感を持つかもしれません。答える側は本当に「わからない」であったのかもしれませんが。しかし尋ねる側はいつも相手に明確な答えを要求しているものでしょうか。ひょっとするとそれよりは「自身の悩みに寄り添ってほしい」という一種のSOSであるのかもしれません。

「わからない」を連発してしまうとどうなるのでしょうか。世界を閉ざしてしまう。そうしてこそ内的な省察を深めることができるという人もいるかもしれませんが、そのための前提は思索の材料を多く保持していることです。そしてその材料というのは自己発生的に出てくるものではありません。結果的に視野は狭くなり、内的世界も小さくなり、尻すぼみになっていきます。

「わからない」を連発するのではなく「わかろう」と己を開くことが大切です。己を開いて異なる価値観を受け入れ、自身の内的世界を大きくしてこそ精神の深まりを持つことができます。視野が広くなって多様な価値観に触れることで人は成長します。

トルストイの名作「光あるうちに光のなかを歩め」にこのようなくだりがあります。「自らの低劣を恥じないで済む最も簡単な方法は、他でもない、高遠なるものを軽蔑することである。」恐ろしい言葉です「わからない」の連発の究極として行きつく先がここではないでしょうか。「わからない」と相手を拒否し、そのうえで相手を貶める。安易に「わからない」に逃げず、異なる価値観を理解しよう、目の前の隣人を理解しようという姿勢を持って豊かにこの世で生きていきたいものです。


英文の解説

大きくは If から saying までが副詞節、yet 以降が主節になります。ただし主節は等位接続詞として用いられている for でもって前半と後半に分かれています。

副詞節の SV は we cannot understand で、他動詞 understand の目的語は the sense and the reason、この二つの名詞を前置詞句 of the saying が修飾しています。ここでいう the saying は周囲の文脈から「み言葉」となり、したがって sense は「(み言葉の)意味」ですが、reason の訳語を辞書どおりにすると「(み言葉の)道理」などとなり、いまいちしっくりきません。ここは「(み言葉の)奥深さ」としました。

主節の前半は使役動詞 let が構成する命令文であるのですが、その前にある yet が気になるところです。yet には「しかし」の意味で接続詞の用法がありますが、この yet は副詞です。とはいえ副詞の yet も接続詞の yet に近い意味で用いられることはあります。わざわざここに置かなくても意味は通じるのではないかとも思えますが、ここに yet があることで、聞いている側として次に続く内容を想起しやすいと言えます。

scorners、jesters、そして derivers はすべてネガティブな語感を持ち、したがって訳語の重なりが出てしまいやすいのですが、それぞれの核心的な意味をみて「嘲る」「侮る」「蔑む」者としました。ちなみにこの説教集には全体を通してこういう箇所がかなり多くあります。

等位接続詞 for のあとは第二文型で SVC は that is the uttermost token and shew です。この that は前節の内容を指すもので、現代英語では this を用いることが多いはずですが、ここでは that が用いられています。これもこの説教集の全体を通してよくあることです。shew は show の古い形(発音は変わりません)で、「徴」の token と合わせて「兆し」と訳しました。

二つの前置詞句 of a reprobate と of … his wisdom は同格的なもので、ともに前の名詞を修飾しています。reprobate には「神に見放された者」という名詞の意味があります。ちなみに反対語(神に選ばれた者)を表すのには elect が用いられます。 


英文の見取り図


おまけ(顕現後第1主日聖餐式)

所属している教会の今日の礼拝(聖餐式)がライブ配信されました。使徒書の朗読を担当しました(「使徒言行録」19章1節から)。12分45秒あたりからです。



最後までお読みいただきありがとうございます。今後は主日のたびにこのシリーズを投稿していきたいと思います。引き続きご愛読ください。よろしくお願いいたします。


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