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気になる祟り系の場所 其の参

⚪︎ 慈眼院 澤蔵司稲荷(東京都文京区小石川)

 徳川家康の生母が眠る傳通院の護法神(仏法とその信者を護る神のこと)が澤蔵司稲荷で、その別当寺(専ら神仏習合が行われていた江戸時代以前に、神社を管理するために置かれた寺のこと)が慈眼院なのだという。
 時は元和4年(1618年)、この傳通院の学寮に澤蔵司(たくぞうす)と名乗る僧が「浄土宗を学ばせてほしい」と入寮してきた。この澤蔵司、めちゃくちゃ優秀で浄土宗の奥義を僅か3年でマスターしてしまう。やがて傳通院の学寮長と住職の枕元に澤蔵司が現れ「自分の正体は太田道灌(室町後期関東で活躍した偉い武将で江戸城作った凄い人)が江戸城築城の際に勧請(神仏の来臨を願うこと)した稲荷神である。かねてよりこの地で浄土宗を学びたいという願いが叶ったので、これからは神様に戻ってこのお寺守るので、社を一つ作ってほしい。」と言ってきたので、慈眼院ができた。この澤蔵司、近くのお蕎麦屋さんが大好きで足繁く通っていたのだが、お金に木の葉が混じっていたので店主に狐であることを看破され、それがきっかけで住職などに自分が狐であったことを打ち明けたらしい(詰めが甘く可愛い)。他にも夜の境内の見回りをする敬虔なお爺ちゃんを労り、雪の夜や雨の晩は「汝休め。予代らん。」と代わりに見回ってあげたりするイケメンな一面もある。詳しくはWikiを参照されたし。

 境内には霊狐の棲む霊窟「お穴」が有るらしく、他にも伐ると祟るというムクノキがある。嘘か本当かは知らんが、この木の伐採計画に携わった文京区職員が2名ほど怪我したとか殉職したとかいう噂をどこかで聞いた。実際、奇妙なことに道路がムクノキを迂回するように敷設されている。

現在は天然記念物だが、少なくとも江戸時代から祟りの木として恐れられているようだ

 ちなみに、澤蔵司がお釣りに木の葉を混ぜてしまった蕎麦屋は現存しているので是非とも行ってみてほしい。本尊が食べたという飲食店が未だに営業してるというのは、超貴重なことだと思う。

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