見出し画像

地震は怖くない。ジェットコースターにも、乗れる。

「悪夢?そんなもの見ないですよ。ジェットコースターにも、平気で乗れます〜」

能登に入って2日目。3人の女の子に出会った。

まず1人目。その女の子は被災者や支援者に向けて豚汁を配っていたのだけど、なかなか気さくな子で、高校生か私と同じくらい。東京から来た2人の女の子と豚汁を配っていた。

「悪夢?そんなの全然見ませんよ。ジェットコースターもたくさん乗っちゃうくらい、大好きなんです。いつもと違うってことは、特にないかな。大丈夫です。」

実際に輪島出身のようで、被災されたらしい。家はどうなっているのか、そこまでは聞けなかったけれど彼女の明るい表情からはトラウマとかは大丈夫そうだなというのが私からの印象だった。

次は、小学校3年生。とにかく明るい、はしゃぎすぎ、かわいい、落ち着かない笑この年頃だったらそうだよね。かわいいなあと思った。

少しずつ遊んでいく中で途中震災当時のことを話してくれる場面があった。

「あんな〜かな(名前)は地震来た時車で寝とって〜びっくりして起きたんよ〜」

石川の訛り方って関西とは違くてなんて言うんだろ、伸ばし棒がグニョグニョ〜ってなる感じで私も小さい頃から祖父母の喋り方がこうなのですごい落ち着く方言だなと思う。あと「〜げんな」はよく言うよね。

そんなことはともかく震災のことについて話してくれたんだけど、そこで思い出すことがトラウマ解消の一歩だから、「怖かった?」とか「そんな泣いちゃうよな〜」とか私が言うと、

「そ〜泣いちゃったんだよね。家にお兄ちゃんが1人でいたからな、とりあえず家に帰ったんよ。珠洲の方にいてな。びっくりした。」

って答えてくれた。「そっか〜それはびっくりするね」って会話を続けて、でもすぐに話題は変わって「あそぼあそぼ〜!」そうだよね、遊ぶ方が好き〜!

で、3人目。小学校5年生。女の子。実は3年生の子のお姉ちゃん。

5年生にもなると少し大人になってちゃんと落ち着いて会話ができるようになるんだね。私もそうだったかな。とにかく、ちょっと子供っぽいかわいいところがありつつもちゃんとお姉ちゃんで、一番私の話を聞いてくれる。あとは少し甘えん坊さんだけどそれを表に出さずに擦り寄ってくる感じがかわいい。

その子も震災当時のことを教えてくれた。妹の方は割と楽しい感じで話してくれたんだけど、お姉ちゃんはまあ普通のテンションで

「昨日輪島に帰ってきてん。それまでは小松の旅館におってな、毎日朝からこんなに朝ご飯出てくるんよ。そんな食べられないって〜笑」

って。「へー!昨日帰ってきたん?そりゃ大変だったね」

「1月から小松の小学校に通っててん。でも4月からは輪島やよ。」

その他にもいろいろ細かい部分までこっちが聞いたことに対して答えてくれた。

余談だけど、その姉妹に会った日、ちょうど余震が来た。その子達と遊んでて、ぐらっと一回だけの揺れが来た。妹は大丈夫だったんだけど、お姉ちゃんの方が顔がいきなりくもって「怖い」って感じだった。私もめっちゃ怖かった。だってその建物の隣には30度くらい傾いたビルがあるからね。一回の揺れで折れてしまうこともあり得る。

だから即座にギュッてその姉妹のことをして、頭を手で守って抱き寄せちゃった。別に考えてないけどね。そしたら妹の方が「びっくりした〜急にぎゅってするから」って笑 ごめんごめん、私がビビりすぎたね
でも、お姉ちゃんの方は私にギュッてするようにちょっと怖がってた感じがした。

で、本題です。今出てきた女の子3人の中で、一番トラウマがあるのって誰だろうと思ったんだよね。復興のために豚汁を配るお姉ちゃん、そして小学校3年生と5年生の姉妹。

私は5年生かなと思った。なんでか、震災の話をしてくれた時にやっぱりちょっと苦しそうだったから。あと、余震の時明らかに怖がっていたから。

その仮説を次の日精神科医の先生に話してみたところ、

「お、鋭いね〜」(内心:やった!!)

先生:僕は、一番最初の豚汁の女の子がちょっと危険だなって思ったけどね〜

私:え??なんで?復興のために豚汁を配ったりまでしているのに?

先生:その子の言い方には少し、「私は弱くないですよ、大丈夫ですよ、悪夢なんて見たりしませんから、ジェットコースターも乗れるくらい、大丈夫なんです。本当に」ってニュアンスが含まれていた気がするんだ。大袈裟に言うとだけどね。

トラウマって自分では気づかないことの方が多い。しかもトラウマを認めにくくなる原因の一つに、「精神的な治療を受ける人は弱い人」と考えることも含まれるんだ。日本はまだメンタルケアという分野が他国に比べて随分と遅れているから、こういう被災地でもメンタルケアを積極的に受けたがらない人も多いんだ。

一方で小学生はそれを人に話せているという段階で圧倒的に安心だね。そしてみんなのワークショップにも参加できているんだから大丈夫。1人で溜め込んでしまったり、トラウマをトラウマと認識せずに自分の殻の中で悩む人の方がよっぽど心配だよ。

なるほど、トラウマって本当に「目に見えない」
目に見えることだけを変えようとする国、日本。私の大好きな日本のそんな一面が垣間見えたような気がした。

もちろん、最初の女の子が本当にトラウマを持っていなく、大丈夫なのかもしれない。でも被災地においてやっぱり震災当時のことを語る姿から「それ、トラウマじゃない?」って外部の人が気づいて近寄ってあげることはとても重要なんじゃないかなと思う。

先生が言っていたことのひとつで、なるほどなと思った言葉

「第三者だからこそ、何も知らないからこそ、聞ける話がたくさんある」

そっか、私だからこそできることがあるんだなと実感。エゴかもしれないけど、それでいい。とりあえず子供達と全力で向き合おう。

「地震は怖い、好きだったジェットコースターも地震を思い出して少し怖い。だけどなんだか逆にその怖さを体験して思い出すことが、私にとってトラウマへの向き合い方だったのかもしれない。」

私の頭の中ではこうじゃないかな〜と思うけど、それもまあ何も知らない外部の想像にすぎず、それが案外当たっていたりすることも100分の1であるのかもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?