ミュータンス先生  【SF小話・2186字】

 われわれの住む地球からどれぐらい離れているのだろうか。人間がまだ知らない太陽系外惑星に、地球とよく似た惑星がある。そこには、地球のそれと同じような構造をした生態系が存在している。その惑星の環境も生物も地球人からすれば全てが未確認であるが、この小話の中では、地球における人間の立ち位置によく似たその惑星に住む生物を、宇宙人と呼ぶことにしよう。
 その惑星の宇宙人の容姿は、ヒトとは全く似ていない。足が3本で腕は4本、頭部は2つある。肌の色はカラフルで、見る角度によって赤色、橙色、黄色、緑色、青色、藍色、紫色、白色、黒色、何色とも表現しがたい色と、さまざまに変わる玉虫色をしている。目は5つに鼻の穴は3つ、口は大きくて、1つの顔につき歯が200本はえている。左右の顔で合計400本の歯だ。人間の歯の数は親知らずを入れて32本、ワニの歯は約80本なのに対して、この宇宙人の歯は全部で400本である。(カタツムリの歯の話は、ここでは横に置いておくことにする)。
 この口の大きい宇宙人たちにも虫歯の悩みがある。何しろ口が大きくて、歯が多いから大変なのだ。右の顔の右の奥歯の治療が終わったと思ったら、左の顔の左の奥歯が痛みだすという始末。歯科医院はたくさんあるが、いつでもどこへ行っても混んでいる。

 このほど、この惑星で飛沫感染する新型のウイルスが宇宙人の間で蔓延した。われわれ地球人もまさにそんな状況におかれているわけであるが、この未確認惑星においても、同じようなことが起こっているのだ。
 ここで問題になったのが、歯科医院だ。なんといってもこの宇宙人たち、口が大きくて歯が多い。2日1回は歯科医院に行くというのが当たり前。ウイルスの蔓延を前にして、歯科医院はてんてこまいだ。

 とある歯科医院の院長のミュータンス先生も困り果てていた。家には糖尿病を患う高齢の父がいる。本心としては、行政から休業要請を受けたいところだ。歯科医院を閉めて、なるべく感染のリスクを減らしたい。しかし、それはこの惑星ではできない。なんたって、1個体につき顔は2つあって、歯は全部で400本あるからだ。

「どうすればいいのだ!」

 ミュータンス院長は頭を抱えていた。このウイルスは飛沫感染する。歯科医院では、口の中を診る。患者に「息をしないでください」とは言えない。

 そこで出てきたのが、口腔外バキュームだ。口腔外バキュームとは、患者の呼気をバキュームで吸い取れるという代物だ。営業を続けなければならない。だから、感染リスクを最大限回避しなければならない。口腔外バキュームがあれば、安全に歯科医院の営業を続けられると思われた。ところが、実はこのバキュームのフィルターは、0.3μm以上の大きさのものしか除去することができない。ウイルスの大きさは、およそ0.1μm。つまり、掃除機で吸い取った塵がフィルターを通過して排気口から飛び散っているのと同じようなことになってしまっていたりするのだ。

「どうすればいいというのだ!」

 ミュータンス先生が2つの頭を抱えてうんうん唸っていると、一通のメールが届いた。宇宙治安維持開発機構に勤めている友人からのものだった。

「ミュータンス君、どうしている? ウイルスのせいで大変だろう。僕のところに入った情報に、君の役に立つかもしれないと思ったものがあったからメールしたよ。地球と呼ばれる惑星は今、僕らと同じように新型のウイルスが流行しているらしい。日本と呼ばれている島では歯科治療が発達しているから、そこを調べれば、何かこれからのヒントになることが得られるかもしれないよ」

 ミュータンス先生はその情報を得て、一度、探査のために飛行球を飛ばした。日本時間にすると、2020年6月16日から17日にかけてである。日本の宮城県の辺りを近距離から観察することができたが、飛行球から送られてくる映像では、歯科医院の中までは見ることができなかった。

 この惑星では、宇宙治安維持法と呼ばれる法律によって、先進惑星から発展途上惑星へ行くことは禁止されている。しかし、このままではウイルス問題を解決できない。「もうこうなったら、行くしかない!」と、ミュータンス先生は意を決して宇宙船に乗り込んだ。

「モクテキチハ、チキュウデ、ヨロシイデスカ?」

 AI技術による自動操縦の宇宙船だ。

「ああ。地球へ行ってくれ」

 ミュータンス先生はそう言うと、眠りについた。

 ところが、けたたましい警報で起こされた。

「キンキュウジタイハッセイ、キンキュウジタイハッセイ、タダチニダッシュツセヨ」

 中古で買った宇宙船が最新モデルではないことをミュータンス先生は後悔した。

「緊急事態確認、救命艇で家に帰るぞ」

「リョウカイシマシタ」

 ミュータンス先生はすんでのところで緊急脱出に成功。救命艇で家に帰った。

 中古品の宇宙船は最新ではないものの、緊急時には素粒子レベルにまで粉砕されるようにプログラムされている。しかし、不具合を起こした部品が地球の大気圏に突入し、その破片は、日本時間2020年7月2日午前2時32分ごろ、地球の日本の関東辺りの上空で、火球として地球人に目撃されてしまった。

「はあ、しまった」

 ミュータンス先生は、自分の惑星へ帰ったら宇宙治安維持法違反で罰金を取られるだろう。先生は無事に家に帰ることができたが、ウイルスの問題は依然として解決できていない。


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