続 織田信長から学ぶ価値の転換 ー 土地から茶器へ

織田信長が日本の戦国時代に行った数多くの革新の中で、特に注目すべきは、土地から茶器への価値転換であることを前回の記事で述べました。この斬新なアプローチは、単に物資の交換以上の意味を持ち、当時の社会構造や価値観に深い影響を与えました。本章では、この価値転換の背景、意義、そしてその影響について深掘りしていきます。


土地という有限資源

戦国時代の日本では、土地は最も重要な資源であり、武士の地位や富は土地の広さや質によって決まっていました。しかし、土地は有限であり、すべての武士や家臣に十分な土地を分配することは不可能でした。この制約は、信長が直面した最大の課題の一つであり、彼はこの問題を解決するために、従来の価値観を覆す斬新なアプローチを考案しました。


価値の転換:土地から茶器へ

信長は、価値を「生産的に使えるもの」から「生産的・経済的な役にはあまり立たないが、それ自体を所有していることに意味があるもの」へと転換しました。この転換は、土地という有限資源から、茶器という無形の価値を持つアイテムへのシフトを意味します。

ここで、当時の土地がどれくらいの経済的価値(収益)を生み出したのか計算してみます。


土地の価値

1万石の土地から生産できる米の量を考える際、"石"は江戸時代の日本で使用された穀物の量を表す単位であり、1石は約150kgの米に相当します。したがって、1万石は約1,500,000kg(1,500トン)の米を生産することができると考えられます。ただし、これは理想的な条件下での数値であり、実際の生産量は気候や農法、土地の肥沃度によって変動します。1石は約180リットルでおよそ一人の人間が1年間に消費する米の量に相当します。

現代の価値に置き換える際、米1kgの価格は地域や品種によって大きく異なりますが、大まかな計算のために、1kgあたり300円と仮定します。この場合、1,500,000kgの米は約4億5000万円の価値があると言えます。
※あくまで一例であり、市場価格の変動や品種による価格差を考慮する必要があります。

計算はあくまでも試算レベルですが、これ程の経済的実用性の高い土地(わかりやすい収益)よりも道具としての使途が限定的である茶器により多くの大名が魅力を感じさせた(そのように価値転換をした)信長の器量は計り知れないものを感じます。


茶器の価値

茶器の価格は、その種類、希少性、歴史的背景、作り手によって大きく異なります。特に有名な茶人や武将、大名から贈られた茶器は、その物自体の価値以上に高い価格で取引されることがあります。例えば、歴史的に有名な茶人による茶碗一点が、数百万円から数千万円、場合によってはそれ以上の価格で取引されることもあります。

信長が贈った茶器が具体的にどれほどの価格だったかは、記録によって異なりますが、当時としては非常に高価な贈り物であったことは間違いありません。特に、信長や他の有力な武将から贈られた茶器は、その歴史的価値や希少性から、現代でも非常に高い価格で取引される可能性が高いです。

これらの価格は、茶器が単なる飲食器以上の意味を持っていた戦国時代の文化的背景を反映しています。茶器一点一点には、その時代の美意識、茶の湯の精神性、そして贈与された社会的・政治的な文脈が込められており、これらが価格に反映されていますが、これは現金化できるような代物では無いため、直接的な経済的実用性は低いといえるのではないでしょうか。

なぜなら、もし茶器を転売した場合、それは信長からの贈り物を転売したというメッセージを社会に発信することになり、その行為自体が持つリスクは計り知れません。茶器の転売は、信長との関係を損なうだけでなく、その人物の社会的地位にも影響を及ぼす可能性がありました。したがって、茶器は金銭的価値を超えた「意味」を持っていたのです。


さいごに

信長が行った価値の転換は「価値とは絶対的なものでなく、非常に主観的で相対的なものである」ということを証明しています。ここで注目したいのが、茶器は誰にとっても価値があるものではなかったという点です。明日、食べるものにも困ったいる人にとっての茶器の価値は大して高くはありませんが(転売での換金可能性はここでは除く)衣食住が十分な環境にあり、社会的・経済的にも高い位置に属している人々にとって、信長から与えられる茶器は非常に高い価値と意味を持ったのです。つまり、価値とは人々が置かれている環境や主観によって定められている流動的なものであり、価格(数字)と結びついている固定的なものではないのです。

信長が与えた茶器がもたらしたのは、数値化できないものであり、お金では買えない体験(社会的ネットワーク=コミュニティや信長から与えられたという文脈を持つ権力の象徴)という体験価値だったのだと考えます。

現代の資本主義社会では多くの人々が盲目的に通貨を絶対的な価値だと認識して疑いもしていませんが、現在の価値基準が信長のようなルーキーによって転換される日も近いかもしれません。何を価値があるものとするか?を各々が選べる時代が来たら面白いなと思います。

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