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勝手に書評|メイキング 人類学・考古学・芸術・建築

ティム・インゴルド(2013), 金子遊・水野友美子・小林耕二訳(2017)『メイキング 人類学・考古学・芸術・建築』左右社

Ingold, T. 2013. Making: Anthropology, archaeology, art and architecture. London, Routledge.

4つのA

 ティム・インゴルドは1948年イギリス生まれの社会人類学者であり、1976年にケンブリッジ大学で博士号を取得している。彼の博士論文は、フィンランド北東部のラップランドに暮らすサーミ人を人類学的に研究したものだった。その後彼はヘルシンキ大学やマンチェスター大学で教鞭をとり、1999年からはアバンティ―ン大学で人類学を教えている。そこで彼は、本書の副題でもある、人類学(Anthropology)・考古学(Archaeology)・芸術(Art)・建築(Architecture)というアルファベットのAを頭文字とする4つの学問領域を組み合わせた「4つのA」というコースを創設し、講義を始めた。本書では、人類学を主軸としつつ、これら4つのAを横断しながら、つくること(Making)に関する考察がなされていく。

 ところで、このタイトルに惹かれた人は多いのではないだろうか。メイキングという分かりやすく、しかし言葉にするのが難しい抽象的な単語と、その後に続く、人類学・考古学・芸術・建築という4つの学問。特に最近は人類学に関する書籍が多く出版されており、ある種ブームにもなっているから、メイキング(つくること)と人類学が組み合わさっているだけでも魅力的なのに、そこに考古学・芸術・建築という、デザインやアートを勉強している人なら少なくともどれかには関心があるだろう学問が並んでいる。これだけで本書を手に取る理由としては十分だろう。そして、実際にその期待を裏切らない議論が織りなされていく。リファレンスや引用の多さ、扱っているテーマの抽象性などから多少読むのに苦労するかもしれないが、それでも通読する価値のある一冊だと思う。

〜とともに学ぶこと

 本書の中心的な議論は第一章と第二章に要約されていると言っても良い。第三章以降は、第一、二章でなされた議論が具体例とともに派生していく形で展開される。第一章の最初に議論されるのは、人類学と民族誌の違いについてだ。一見混同されやすいこれら二つの分野は、その学びの態度において決定的に異なる。インゴルドによれば、人類学は人びととともに研究をするのに対して、民族誌は記録作業をベースにしているという。

人類学は誰かとともに研究し、そこから学ぶことだ。人生の道を前に進み、その過程で生成変化をもたらす。民族誌は何かに関する研究であり、何かについて学ぶことだ。長期にわたって保存されることになる成果物は、記録するための記述である。それは資料収集の目的に従事する。(p.19)

 (本書ではチェロ奏者の例が挙げられているが、ここでは大工で例をあげてみたい。)例えば、ある大工について研究をしようと思った時には二つのアプローチが考えられる。一つ目は、その大工のもとで自らも大工の修行を行い、家の建て方や道具の使い方について学ぶことだ。大工のもとで、そうした技術や知恵について学ぶことで、家の構造や造作、道具の持つ可能性などについて学ぶことができる。これに対して二つ目は、その大工に関する証言を集め、インタビューなどを行うことで、研究のための情報を集めるやり方である。そうして得られた情報からテーマに沿って考察を行い、一つの論文としてまとめるというアプローチだ。こうした二つのアプローチのうち、前者は人類学的なやり方であり、後者は民族誌的なやり方である。もちろん、どちらが優れているということはない。単純に両者ではやり方が異なり、民族誌においては記録作業がそのベースになるのに対して、人類学においては大工とともに学ぶことがベースとなり、その過程の中で自分自身も学んだことを身につけ、そこから深い理解と考察が可能になるのである。この点において、人類学は生成変化をはらむ一つの実践なのだとインゴルドは言う。

動くことによって知るのではなく、動くことこそが知ることなのだ。(p.14)

つくること:応答のプロセス

 先述のように、本書において人類学は生成変化を伴う一つの実践として強調される。そしてこのことが、つくること(Making)の地平にも平行投影される。つまり、つくることも生成変化を伴う一つの実践なのである。それでは、ここにおける生成変化とはどういうものなのだろうか。本書では、つくることの題材として、握斧や家、時計や円形のマウンド、凧や銅像などが豊富に扱われるが、その根底にある考え方は一貫している。結論から言ってしまえば、インゴルドにとって、つくることとは世界との応答(コレスポンダンス)による生成変化のプロセスそのものである。

本書の目的は、質量形相論のモデルを無批判に適用したことで生じた幻影から、つくることを表舞台に引っぱりだし、つくることが成し遂げてみせる創造性を祝福することにある。(p.57)

 そしてこのコレスポンダンスという考え方と対置されるのが、質量形相論という考え方である。質量形相論とは、元々はアリストテレスの時代に端を発し、物質はそれを構成する素材(=質量)と、形状(=形相)からなるという考え方である。(例えば、ペットボトルはブラスチックという素材と、ボトルという形状からなるという考え方だ。)しかし、ここでは一歩踏み込んで、質量形相論とは自然の素材を物質的に形作られた観念の器に当てはめるといったモデルを指す。端的に言えば、作り手がまず最初に頭の中で形をイメージし、それを実際の物質的世界(素材)に押しつけるという考え方だ。例えば、頭の中で鮭を捕らえる熊を先にイメージし、そのイメージに従って木を彫り具現化する、というのは質量形相論のモデルに則っていると考えられる。私たちがつくるということについて考えた時、まず最初に思い浮かぶのはこういったプロセスだ。

 しかし、インゴルドに言わせてみれば、つくることは実際は別のものだと言う。インゴルドによれば、つくることは応答の連続である。木を彫ってみて生まれた変化に対して、再び応答をし、そうした行為や諸力の流れによって形が生まれるという、そのプロセスこそがつくることだという。

 何かを作ろうとしてモノを切ったり削ったりする。そうすると、新しいモノのかたちが生まれると同時に、そのモノの性質や特徴、あるいは技術などを学ぶことができる。そうして得られた知見を引っさげて、再びそのモノを切ったり削ったり、貼ったり磨いたりする。そうすると再び新たな考えや知恵が得られる。そうして、モノと、あるいはそのモノだけでなく、その物理的性質や特徴、あるいは自分自身の知恵や技術、あるいは更に別の偶然の要素(例えば作業中に風が吹いたりといったように)などと繰り返し向き合い答えを出しながら(=応答しながら)何かをつくること、このプロセスこそがつくるということであり、それはとてつもなく創造的なことだといえる。しかし、この行ったり来たりするような道筋が、質量形相論という考え方の陰に隠れてしまってきたのだとインゴルドは指摘する。

ロバの道

 それでは、なぜつくること、すなわち応答のプロセスが、質量形相論の陰に隠れてしまってきたのだろうか。それは、近代以降のものづくりの価値観に関係がある。モダニズム建築の巨匠ル・コルビュジェは、近代都市計画への声明において、「ひとがまっすぐに歩くのは、彼には目標があり、自分がどこへ向かおうとしているかを知っているからだ。ある場所に行こうと心に決めると彼はそこを目指してまっすぐに進む」と述べた。彼にとって、近代生活にふさわしいのは直線的な人間であり、曲がりくねりながら道を進む人はロバのようなものだという。自動車や電車も真っ直ぐな道の方が効率が良く、あるいは人生も何かの目標を持ち、それに向かって進むべきだと私たちは常々教えられてきた。

 ここで、つくることに話を戻すと、実は質量形相論モデルも直線的である。すなわち、①頭の中で完成形をイメージする→②それを設計図に書き起こす→③実際のモノへと具現化する、という直線を進む。近代以降ではこうした直線的な価値観が流布した。そこでは曲がりくねった道を進み、時に行ったり来たり道草をしながら歩くロバはのろまで非効率な登場人物として描かれる。しかし、インゴルドはこのロバの道にある種の豊かさを見いだす。なぜなら、ロバは道に固執する代わりに、野原を歩き回り、時に休憩をし、誰かとおしゃべりをし、あたりを見渡す。ロバの道にはロバの道なりの楽しみや希望がある。つくることもまた同様である。直線的なつくることでは得られない発見や変化、あるいは楽しみや希望がある。更に言えば、これはつくることに留まらず、人生においてもそうなのだろう。最後にインゴルドは以下の文で本書を締めくくっている。

真の学者はみな、ロバなのである。頑固で、むら気があり、粘り強く、好奇心旺盛で、気が短い。同時に自分たちの世界に魅せられ、感嘆している。ロバはあせらない。自分のペースで進んでいく。彼らは希望を頼りに生きる。確実性などという幻を頼ったりはしない。彼らの行く道はあちらこちらへむかう。それは予測不可能である。彼らは些細な事物を心に留めて追いかける。そんなことをつづけながら、自分自身を見いだしていく。もうご承知のことだと思うが、すべての学びは己を知ることなのだ。さあ、この次はどこへ行くのか。それはあなた自身が見いだすことだ。(p.298)





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