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「年を取る」ということ

今日は母の誕生日。

プレゼントは、数日前にフライパンを贈った。選んだ理由は、我が家で餃子用に使っていたフライパンが劣化し、皮がめちゃくちゃこびりついてしまうようになったため。結果的に僕の欲しいものを選んだわけだが、気に入ってもらえたので良しとする。

誕生日当日を迎えた母が、先ほどポツリとつぶやいた。

「もう〇〇歳(昨日までの年齢)には戻れないのか・・・」


ほとんどの人が、子どもの頃に楽しみにしていたであろう誕生日。しかし、年を取れば取るほど、それが苦痛になるのはなぜか。

一番は老化だろう。年を取るたびに筋力は衰え、知能は衰え、肌質は衰え、である。母が嘆くのも無理はない。

しかし、劣化は年齢のせいだけではないと思っている。もちろん年齢によるものも多少あるのだろうが、筋力も、知能も、肌質も、努力次第でそれなりに若々しく維持できるはずだ。申し訳ないが、母の言い訳は怠慢でしかない。

生きている限り、どうしたって年は取る。何人たりとも、いつまでも若いままでいられないのは自明の理だ。それをあーだこーだと嘆くのは、ないものねだりでしかない。

余談だが、”年齢を聞かれたくないくせに、毎年誕生日を祝ってもらいたがる”人は、どういう心情なのだろう。これ、バカリズムも言ってた。


逆に言えば、老化を感じさせない人は、年を取ることをあまり苦に感じていないのではないだろうか。毎日を生き生きと過ごしているから、心身ともに若々しく健康でいられる。だから、年を取ること自体には頓着がないように思う。

と言いつつも、母は母で毎日それなりに楽しく過ごしているように見える。昼は一緒にラーメンを食べに行ったし、今もいつものように録画したドラマを観ている。僕がふざけたことを言えば、笑い袋のようにケタケタと笑う。すこぶる健康とは言い難いが、とりあえずこれでいいのではないだろうか。

個人的に、年齢はただの数字だと思っているので、年齢云々など気にせずに人生を謳歌してもらいたいものだ。


親の長生きを望むのは子のエゴだが、せめて「幸せだった」と思える人生を送ってほしい。そして、息子である僕も、自分の人生を楽しめるように努力せねばなるまい。僕の幸せが母の幸せにつながると信じて。


まぁ、いろいろと御託を並べてしまったが、最後に一番大事なことを書いておこう。

お母さん、誕生日おめでとう。


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