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宇宙戦艦ヤマト/ささきいさお Space Battleship Yamato / Isao Sasaki

N県M市に母親の親戚があってお盆やお正月にたびたび訪れていた。
ある時3つぐらい年下のいとこOが今上映している宇宙戦艦ヤマトの映画が観たいと言い出した。
俺は中学生になっていたから小学生のOを連れて行ってやることになった。
いとこOは、なかなかおっちょこちょいで、面白くて憎めないやつだった。

その宇宙戦艦ヤマトの映画を見た後、家に帰ってきて、
Oが「財布がない!財布がない!」と騒ぎ出した。
多分映画館に忘れてきたんだということになり、
懐中電灯を持ってもう一度一緒に映画館に行った。
上映中の映画館に入れてもらい、座っていたあたりを探した。
お客さんが映画を見ている足元を懐中電灯で照らして探したが、
結局財布は見つからなかった。

彼の父親は俺の母の兄、つまり俺のおじさんで「流し」の仕事をしていた。
「流し」とはギターを持って飲み屋を歩いて周り、お客さんのリクエストで歌を歌ってご祝儀をもらう商売だ。
ちょっとあっち系なのかな?
よくわからないけど。
俺の結婚式の余興で1曲歌ってもらったけど、そこらの歌手よりはるかに上手かった。
式に出席した人の多くがあの人は誰だと俺に聞きに来た。

その2年後、俺はギターを覚えて、少し弾けるようになっていた。
両親とM市を訪ねると、いとこのOが弦が切れたギターがあるから張り直してギターを教えて欲しいという。
父親みたいにギターを弾きたいのだと。
俺は弦を買ってきて替えてやり、簡単な弾き方とコードを教えてあげた。

俺に最初の弟子ができた。

それから4年後俺は東京の学校に行き、Oは高校生になっていた。
あるときF原さんと二人で東京からM市のOがいる親戚を訪ねた。
彼の部屋に入ってビックリした。
ギターが所狭しと並べられていて、多分20本ぐらいあったんじゃないか。
そしてギターの腕前は俺よりはるかに上手になっていた。

後でわかったことだが、当時はM市にギターの製造工場がいくつかあり、そこに通ううちにパーツを貰ったりして自分で組み立てたという。
親戚の叔母さんはOのギターへの「のめりこみ方」にほとほと参っていて、俺はギターを教えて良かったのか悪かったのかほんの少し悩んだりもした。

それからまた何年か経って、ある時俺の母から電話があり、OがCDデビューすることになったという。

おおおおおおおおおよかったじゃん!
俺の弟子だよ。弟子。

今度ミュージックステーションに出るから見てやって。

おおおおおおおお!
ミュージックステーションかよ!
そりゃすげえ。
わかったわかった。

弟子は軽々と師匠である俺を超えて行った。

放送当日テレビを見るとOがタモリさんの横に座って話をしている。
おー、何か頭にきてガラスを殴って手から血が出たとかちょっと何言ってるかわからないけど、まあいいか。
いいぞいいぞがんばれ。

そして演奏。

売れるといいな。
CD買ってやろう。
周りにも宣伝してやろう。
親戚一同多いに盛り上がった。

しかし、残念なことにあまり売れなかった。
いやほとんど売れなかった。
ミュージックステーションに出演して唯一売れなかったバンドだという。

そんなことってある?
ミュージックステーションに出ればスターへの道が約束されてるんじゃないの?

なんで売れなかったのか本人たちにも分からなかっただろう。
もちろん俺にもわかるはずがない。

ギターの腕は一流、父親譲りで歌も上手い、さらに甘いマスク。
でもそれだけでは売れないのか。

世の中ってやっぱり難しい。


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