柳宗理と日本の洋食

帰省のおり、94歳をむかえようとする祖母にあってきた。年相応にからだがよわってきたこともあり、このしばらくは母が食事をたべさせるかたちになっている。そのとき、柳宗理のデザート・スプーンが大変重宝しているそうだ。先端のまるみや、容量、かるさ、うすさ……そうしたいろいろがちょうどよく、あつかいやすいとのこと。ちなみに、介護施設や病院の備品など、ほかのスプーンだと、祖母が嫌がるのだそうだ。

十余年まえの高校生時分、大学の入学試験後、祖母への東京みやげにしたのが、このスプーン。当時、南青山のブルーノート東京むかいにあったイデーでもとめたもの。たしか複数セットで購入したはず。そのころは盆正月と、年数度、親戚一同で祖母のもとにあつまっていたので、そうしたとき、みなでつかえるようこれを選んだ記憶がある。ときを経て、ちがうかたちでも、こうして役だっているのはうれしいもの。

あらためて、柳宗理のスプーンをみると、つくづく不思議なかたちをしていることにきづかされる。柳とほぼ同世代となるエットレ・ソットサスによるカトラリー ヌーヴォー・ミラノと比較すれば、その特異性はより浮き彫りになる。はやいはなし、ソットサスはフォークにナイフ、スプーンからなる食文化のなかうまれてきたデザイン。

つまり、左右にたくさんのカトラリーをならべ、アミューズ、前菜、スープ、魚料理、肉料理、デザート……と、皿ごとに、それらをつかいわけてゆく食文化に最適化されたもの。Schoo「デザインのよみかた」講座の第一回で、大林寛先生が紹介されたように、西洋ではもともとナイフをもちいて食事をしており、それは当然、口にする際、危険をともなうものであった。それを回避することがテーブル・マナーの発生となったというはなしは、なんとも興味深いところである。たしかに、ナイフで食するとなれば、料理それぞれに最適化されたかたちはことなるだろう。

柳宗理の場合、カトラリーとしてしかるべき種類はもちろん用意されているが、基本的にこれらは、日本固有の洋食文化のなかからでてきたデザインと想像する。つまり、カレーライスもオムライスもナポリタンも。すべてをおなじフォークとスプーンで食してゆく文化。箸がひとつあればことたりるように、そもそもわたしたちにとって、カトラリーを多数あつかう習慣は日常的ではない。おおくの品数が提供される懐石料理でさえ、基本的にはひとつの箸で食してゆく。そういえば日本国内では、洋食店やファミリーレストランでも、カトラリーはフォーク、スプーン、ナイフと、それぞれ一種類しか用意されないことも、けっして珍しいことではない。目的別に細分化・特化されたものではなく、モードレスなデザインを日本の食文化はもとめるのだろう。

そうしたおおらかさを象徴するような柳宗理のカトラリー。それがゆえ、祖母もうけいれてくれるのかもしれない。このスプーンのシルエットは、どこか仙厓による匙の絵を連想する。このスプーンをフォークのしたに敷き、たらこスパゲティをいきおいよく、ぐるぐる巻きながら食べたくなった。

15 August 2018

中村将大

追記
このはなしのきっかけとなった祖母はその後、9月6日に永眠しました。94歳をむかることはできなかったのですが、まさにしあわせな最後とよべるものでした。柳のカトラリーがすこしでも助けになっていたのであれば、うれしい(27, October 2018 追記)

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