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モダンアートと砂漠をつなぐ言葉〜『ポイント・オメガ』

◆ドン・デリーロ著『ポイント・オメガ』(都甲幸治訳)
出版社:水声社
発売時期:2019年1月

とある美術館の暗闇の中、超低速で映し出される映像。それを見つめ続ける「匿名」の人物。小説はその場面の描写から始まります。それはヒッチコックの『サイコ』を24時間にまで引き延ばした、ダグラス・ゴードンの《二十四時間サイコ》で、ニューヨーク近代美術館に展示された実存するビデオ作品です。

その映写スペースのなかで「匿名」の人物は男性の二人組を見かけます。そのシーンは後半への巧みな伏線になっているのですが、たまたま見かけた人物について主要な登場人物があれこれ作中で想像をたくましくするのはデリーロ作品ではおなじみの設定。短編集『天使エスメラルダ』に収録されている《ランナー》や《ドストエフスキーの深夜》にもそうした描写が出てきます。

余談ながら、デリーロ自身はあるインタビューの中で「私はやったことはありませんが、異質な誰かの人生を再創造したがる人たちのことはたやすく想像できます」と語っています。小説における人物造型の欲望やプロセスが作中人物の対話や想像という形をとおして自己言及的に叙述されているようにも読めます。

そして、読者を幻惑するようなモダンアートの空間から、一転して舞台は荒涼たる砂漠が広がるサンディエゴへと移ります。

ブッシュ政権のイラク戦争にブレーンとして関与したリチャード・エルスター。職を解かれた後「報道と交通による吐き気」から体を取り戻すために、誰もいない砂漠の家にやってきたのです。そんな彼のインタビューをもとに記録映画を撮ろうとしているジム・フィンリー。しかしカメラを回せないまま、長い時間が過ぎていきます。

戦争、記憶、意識、宇宙をめぐって続けられる対話。奇妙で晦渋な言葉のやりとり。

エルスターは俳句について語り、ズコフスキーやパウンドの詩を時に声を出して読み、テイヤール・ド・シャルダンの唱えた「オメガ・ポイント」仮説を口にします。
「我々は生物学の領域から飛び出すんだ。自分に問いかけてみたらいい。我々は永遠に人類じゃなきゃならないのかって。意識なんてもう干上がってしまった。今や無機質に還るんだ。我々はそうしたいのさ。野原の石ころになりたいんだ」。

エルスターの娘、ジェシーが途中から男二人の前に現れます。彼女はある男に付きまとわれて、ニューヨークから避難してきたのです。三人の奇妙な日々がしばらく続いた後、エルスターとジムが町まで買物に出かけ帰ってきた時にはジェシーの姿はありませんでした。

次第に焦燥感を募らせ、弱っていくエルスター。かつて、多くの死者を出した戦場に若者を駆り出した人間が、一人の娘の失踪に心身をすり減らしていく。人間という名の矛盾した存在。それを露骨に体現する元エリートを読者は蔑むべきなのでしょうか。あるいは人間とはなべてそのようなものだと諦念すべきなのでしょうか……。

喧騒と交通から遠く離れた砂漠で宇宙の運命までを夢想する一人の男。美術館の暗闇の中で映像を凝視し続ける匿名の人物。構成はシンプルですが、作中に仕掛けられた思索への契機は幾重にも広げられているようです。

私にはいささか難解な作品であるけれど、デリーロの研ぎ澄まされた文章に摩訶不思議な魅力を感じたことも確かです。

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