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京都エッセイ⑨師匠と呼ばせてください、先輩♡

 これまで数人を作中で紹介してきた。美味しいお店を紹介する昭和レトロな雰囲気の先輩、イベントというきっかけをくれた先生、そして僕の創作を認めてくれた先生。

そして今回は僕が創作する上で欠かせない二人の先輩のお話。


 一人は昭和レトロ先輩と一緒に、当時大学一年生だった僕に話しかけてくれたI先輩。彼にはよく創作の相談に乗ってもらった。主に先生に認めてもらえた作品を描く以前、授業で書かねばならなかった作品たちだ。そしてそれ以降、例の作品から現在までずっと創作の相談に乗ってもらっているK先輩。いやK師匠である。

 前者にはよくご飯を奢ってもらった。その中でいろんな相談に乗ってもらった。
 しかし先輩は大抵、読め、書け、いろんなものに触れろ、足で歩け、カフェはいいぞ。
 というばかりだ。女性が男性を褒めるさしすせそみたくそれらを繰り返すので、正直テキトーに相談に乗っているのではないかと当時は思っていた。
 そのせいで一時期不仲にまでなるのだが、今となっては仰っていただいたこと全てが確かにのオンパレード。感謝のアメアラレ。
 ちなみにもう一人の先輩の方が噛み砕くのにいろいろを要するコメントをしてくるので、I先輩はまだ優しい方だった。

 I先輩に散々相談に乗ってもらったが、一番印象に残っているのは、大学近くの王将での一件。確か僕は周りとのうまくいかなさを、彼らの怠惰だと良い、情熱がないと批判し、とはいえ創作している彼らの方が偉くて自分はダメだといった話をしていた。

 先輩は珍しくそれらに口出すことなく、うんうんと聞いてくれる。今日はなんか話しやすいな、と思っていた。

 全て言い終わると、I先輩は「じゃあ......」と口火を切る。
 一体どんな言葉をもらえるのだろうとワクワクしていたら

「分かった。じゃあ書け、以上」

の一言。

 僕はポカンとした。ポケモンが技を忘れるときのあの音と同じくらいの音が頭で鳴ったし、それくらいの時間困惑していた。ようやく理解した僕は、先輩に食ってかかったが、それ以上の言葉はもらえなかった。

 K先輩にその話をする。

 するとK先輩は「言っていることは間違ってないな」と言った。
「ですよねー! あの先輩いつも同じことしか言わなくて」
「勘違いしてたらごめんけど、その先輩が言ってることが間違ってないって言ったよ」

 ショックを受けた。しかし丁寧に説明してくれるK先輩に感銘をうけ、
(そのときはあまりにもI先輩の直線的なアドバイスを受け止め切れなかった)それからはI先輩ではなくK先輩にひっついて回るようになる。

 しかしI先輩は丁寧に説明してくれる分、大事なところはぼかすところがあった。当時のことを聞いてみると、

「君なら考えて気づいてくれるギリギリのところまでしか話さないようにしてた」と言ってくださった。
 今となってはありがたい話だが、これも受け取る技術がそのときはまだなかった。そのせいでやはり噛みついてしまうのだが、K先輩は困った顔をしつつも、それを受け止めてくれる。

 まず「ごめん」と謝ってくれ、それからこういう意味や意図で言ったのだと説明してくれる。僕がまだ理解できないことを言語化してくれるだけでなく、そういった一つ一つの丁寧な所作に対してはさすがに噛みつくことができず、しだいに僕はしっかりと話を聞くようになっていった。

 そうすると先輩が言っていることも理解ができ、言わないでいてくれていることやぼかしてくれていることもさっせるようになった。

 しかし良いことばかりではない。そうなると次には自己嫌悪が始まるのが僕の面倒なところだ。

 こんなにしてくれたのに自分は何も返せてない。こんなにしてもらったのに自分はまだ何も書けていない。それから逃れるようにK先輩のところに行くも、自己嫌悪には火をくべられ、炎は大きくなる。ついには希死念慮に襲われるようにまでなってしまった。

「死にたい」と言った僕に先輩は「ダメだよ」と言う。
「なんでですか?」と僕は食ってかかるように言った。
 その頃僕はK先輩以外にも死にたいと言っていた。それに対してダメだと否定から入る人が多く、僕はその度になぜかと問いかけた。そうすると誰しも響かない言葉で説得するか押し黙るかの二択で、飽き飽きしていた。簡単に死にたい気持ちを否定するなと内心思い、実際噛みつき、毒ついていた。

 しかし先輩の返答はそのどれでもない。

「僕が殺すから」


 胸を撃ち抜かれたような感覚。僕の方が言葉を失ってしまった。
 先輩は悪びれる様子も、戸惑いもなく、こたつに体を入れた状態で、くたびれた上下のスウェットを着ていて、ポテトサラダを肴にビールを飲んでいた。

 そんな彼から放たれた「僕が殺すから」は、特にカッコつけたものではない。そこにある〇〇とってと言わんばかりの自然さで、普通なら恐ろしい言葉を発した。その姿を、言葉を、衝撃を僕は一生忘れられないだろう。

 僕は涙を流す余裕も、怒る気力も、その言葉によって吹き飛ばされ、ただただ放心した。ドラクエで例えるならいてつくはどうを受けてしまったというところだろうか。

 心にまとっていたわだかまりも自分への期待もプライドもすべてがなくなり丸裸になった気分だ。裸を隠すようになんとか食ってかかろうとするが、暖簾に腕押し。またK先輩はポテトサラダを肴にビールを飲む。中身が無くなった缶を振って、こたつのうえに置くと、「なんならベランダ貸そうか?」と微笑んですら見せた。

 僕はそれにも食ってかかろうとしたがダメだった。軽くなった心から出るどんな言葉も中身を伴わない。

 普通殺害予告をされた人間の反応ではないと思うが、あの感覚は恋をしたのに似ている。K先輩の言葉に救われ、ときめいていた。

「ダメだよ〜僕が殺すから〜」そんなくだけた殺害予告は、自殺を認めない。どうせ死ぬなら俺様が殺してやるからそれまで待ってろという内容で、どこか暴力的にも感じられるが、その背後に隠されている、普通に言っても伝わらないだろうからという優しさ。殺すということは責任を持ってやるという意味で、それも優しさ。

 そこから僕は、先輩の虜になった。先輩が良いと言った映画や小説を片っ端から観て読んで感想を言った。先輩の作品に線を入れまくり、どうしてこういうふうにしたのか、意図を聞いた。模写もした。自作にいただいたコメントは全て受け入れ、取り込もうとしてみた。

 そのコメントの中で、僕が先生に認められた作品を書き上げるきっかけになったものがある。

「お前の核はなんだ?」


 これもまた忘れられない言葉だ。僕の作品に命が吹き込まれ、立体的になり、得意な作風を見つけるきっかけになった。

 そんなK先輩を師匠とあがめ、今もなおその背中を追い続けている。まだまだ距離は凄まじいが、それが僕が創作を続ける理由であり、諦めてしまいたくなる理由でもある。

 分かりづらいが、分かりやすい。不思議な人だ。

 ちなみに「僕が殺すから」と言ったことを先輩は覚えていないらしい。

「でも僕やったら、当時の君にやったら言いそうやな」とまた微笑むのだ。

はぁ、好き……。


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