記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

映画『オアシス』を観て ~孤独な惑星のボーイミーツガール~

◇ 孤独な惑星のボーイミーツガール ◇

主人公のジョンドゥは、傷害、強姦未遂、ひき逃げなどの前科を持つ29歳。
ひき逃げの罪で服役していたジョンドゥが、刑務所から出所したところから映画は始まる。

寒風吹きすさぶ真冬のシャバに半袖シャツのまま放り出された彼に、家族の迎えはない。
ジョンドゥは、背中を丸めひっきりなしに鼻をスンスンすすりながら、見知らぬ人に煙草をたかり、公衆電話ボックスで女子学生に小銭をせびり、店先の豆腐を勝手に手づかみして齧りつき、あげく焼き肉店で無銭飲食をする。
のっけから怒濤のろくでなしぶりを見せつけられ、果たしてこの主人公に心を寄り添わせることが可能なのかと一観客としては不安になる。
要するにこのジョンドゥという男は、一般的価値基準では明らかに低評価を受けやすい人物と言える。

一方、ヒロインのコンジュは、重度の脳性麻痺を患っている。
彼女は、ジョンドゥの起こしたひき逃げ事件の被害者男性の娘だ。出所したジョンドゥが被害者宅に謝罪に訪れた際、二人は出会うことになる。

コンジュは、ジョンドゥのように人間性でマイナス評価を与えられるようなキャラクターではない。しかし、健常者のように自由に動いたり、会話したりは出来ない分、とっさに不憫さや哀れみの情を抱く人はいても、我が身とリンクさせて容易に感情移入出来るヒロインとは言えない。

つまりジョンドゥもコンジュも、その質はまったく違えど、やすやすと心を寄り添わせることを決して許さない、ある意味、こちらの気持ちが試されるような登場人物たちなのである。

とりあえず家族のもとで暮らせるようになったジョンドゥだが、家の中では完全に厄介者。とにかく彼は、全然空気を読まない、後先も考えない、人の話も聞かない、指示にも命令にも従わない。ないない尽くしで、どこまでも無邪気かつ奔放に振る舞っているので、厄介者扱いも仕方ないと言えば仕方ない。
それに比べて兄と弟は、まるで兄弟とは思えぬ常識人ぶり。
「もう少し大人になれよ」、「責任を持てよ」といった月並みな説教を繰り返すのみで、逆に凡庸過ぎてつまらないキャラクターだ。とは言え、少なくとも序盤においては、兄や弟の気持ちの方が理解しやすい。ジョンドゥのような家族を持ってしまったら、さぞかし面倒だろうと同情すらしてしまう。

ただヒロインのコンジュに出会ったあたりから、ジョンドゥのその困った無邪気さが、少しずつ魅力に変わり始める。

おそらく私を含め多くの人々は、障碍者とコミュニケーションをはかる経験をあまり持たずに暮らしていると思う。なので、もし何の前知識も心の準備もなくふいに重度障碍者と接する機会が訪れた場合、どのように接して良いか戸惑うはずだ。たとえ偏見や差別意識といった悪感情が皆無だったとしても、変に気を遣い過ぎるなどして、ぎこちない対応になりかねない。

だが、ジョンドゥは違った。コンジュを見てもまるで動じることなく、自然に話しかけ、いつも通り自由に振る舞うのである。
偏見や差別意識はもちろんのこと、同情や哀れみすらもない。
初めて会った若い女子に、下心をやんわり漂わせつつナンパ目的で話しかけている普通の男子といった感じ。彼女を自分と地続きにある存在として戸惑いなくすんなり受け入れる彼の様子は、どこか超人的である。

その後、家族に置き去りにされ古いアパートで一人暮らしを強いられるコンジュのもとに、ジョンドゥは花束を持って再び訪れる。
そこまでは良かった。
だが鍵のありかを突き止めた彼は、こともあろうにこっそり住居侵入。
さらには欲望のままにコンジュを襲おうとするから、ああこりゃダメだと激しく失望させられる。そうした行動には、確かに前科者の片鱗が見受けられるし、やっぱりこの粗野な男には、もとより女性を大切にしようなどという優しさやモラルなんて持ち合わせていないのだなとガッカリ千万。

がしかし、その行為によって確かにジョンドゥの株は一挙大暴落するのだが、破産寸前からの巻き返しが何とも凄い。
彼は反省した後、なし崩し的にコンジュとの絆を深め始めるのだ。その様子は神々しささえ感じられ、この作品の大いなる見所の一つにもなっている。

引き籠もっていたコンジュを外へ連れ出し、今まで彼女が経験し得なかった普通の人々の楽しみを次々と与えていくジョンドゥ。
常識をこれでもかと押し付けてくる没個性的な人々とはどうしても折り合えず、悪気はないのにどんどん輪の中からズレていく彼は、他の周囲の人々にとって相変わらずのダメ人間だ。良い所なんて何一つ認めてもらえない。
だが、コンジュにとっては輝く世界を見せてくれた唯一の恋人である。
その価値は、計り知れないものだろう。

巡り合う以前には、圧倒的に孤独な存在だった二人。
そんな世界で、自分が捧げる愛を素直に受け入れ、幸せを感じてくれるコンジュに出会ったジョンドゥ。自分を一人の女性として尊重し、喜びを与えてくれようと必死になってくれるジョンドゥと出会ったコンジュ。
まさに砂漠の中に見つけたオアシスのような、ボーイ・ミーツ・ガール極まれりの運命の恋。

オアシス2

◇ 私もまた醜悪なクズ凡人 ◇ ※以降、ネタバレあり

ジョンドゥとコンジュの世界が輝き始める一方で、彼らを排除してきた人々が、決してただの常識人ではないことも浮き彫りになっていく。
否。奴らはむしろ、かなり非常識な人間達だったと言っていい。

コンジュの障碍を利用して障碍者用マンションに住み、当の障碍のあるコンジュだけ、古いアパートに一人ぼっちで住まわせるコンジュの兄夫婦。

本当は自分が起こした事故なのに、前科者のジョンドゥを身代わりで服役させたジョンドゥの兄。

コンジュを感情のある一人の人間として扱わず、彼女から見えている場所で平気でセックスをするお隣の夫婦。

皆、ジョンドゥやコンジュを弱者として扱い、いかにも自分達が真っ当な人間であるかのようにふるまっているが、その実、傲慢さ、自己中心性、狡猾さなど、ありとあらゆる醜悪な本性を併せ持っている。
さらにジョンドゥやコンジュに対して、じゃっかん優越意識を抱いている。

しかし、何もそんな人間は珍しくない。

むしろ根っ子に醜悪さを秘めながら、己自身でもそれに気づかず、あくまで自分は常識人だと思い込んでいる人は案外少なくないと思う。かくいう私も、きっとその一人だ。
ジョンドゥとコンジュのラブストーリーをこうして丁寧に映画として観たからこそ、私は彼らの愛に素直に感動したし、二人の魅力にも気づくことが出来たわけで、もし彼らが周囲にリアルに存在していて、二人の関係について何も知らない状態だったなら、かように美しくピュアなラブストーリーが人知れず進行しているなどとは絶対に想像だにしなかったろう。

おそらく私は、ジョンドゥのような男が近くに寄って来たらあからさまに嫌な顔をして避けると思う。
もしコンジュのような人を目の前にしていたら、どう接して良いかわからずおろおろするばかりだったと思う。

結局、彼らが心の中で何を思い、何を望み、自分とどんな関係を築きたいと思っているかということまでは決して深く考えず、無関係な人として自動的に区別して、別段それが酷いこととも思わずにコミュニケーションを断っていただろう。
つまり私のマインドも、本作に登場する醜悪で凡庸な人々と大差ないというわけだ。

ゆえに、もし私がコンジュの兄夫婦のように二人のセックスを偶然目撃してしまったとしたら、やはり合意のもとに行われている行為だとは絶対に思わなかった。そして、ジョンドゥを最低最悪の極悪人と認定し、コンジュに対しては、まったくトンチンカンな同情を寄せていたはず。
だから、彼らが愛し合っているなどとは夢にも考えないクズ凡人達を責める権利など、もとより私自身には無かったのだ。

◇ 神聖なるオアシスよ、永遠に◇

最終的にジョンドゥは、コンジュと性行為に及んだことで再び強姦容疑で逮捕される。コンジュがきちんと自分達が恋人同士であることを説明出来れば良かったのだが、精神的ショックが大きすぎてそれも叶わずに終ってしまった。そして、最終的に引き裂かれる二人。

しかし、最後までジョンドゥ自身も言い訳をしなかった。
それは何故だったか?
もしかしたら、女性としてのコンジュの立場を守ろうとしたのかもしれない。あるいは、言い訳するだけ無駄だと感じたのか。
にも関わらずジョンドゥは、コンジュが怖がる木を切ってあげるためだけに脱獄をはかる。
木の影を恐怖する彼女を守りたい一心で。
なるほどこのシーンのジョンドゥは、物語の主役にふさわしい堂々たるヒーローぶりではないか。世間では最低のクズ扱いしかされないジョンドゥの最高に「神」な瞬間だ。

こんな神レベルに達したジョンドゥを見て、ふと一つの考えが浮かんだ。
彼がコンジュと恋人同士であることを主張せず、強姦罪であっさり服役してしたのは、むしろ自分達の愛を守るためだったのではないか、と。

そもそもあんな下衆な連中に、自分達のピュアな思いを知られたくないという気持ちもわかるし、もし万が一上っ面だけで二人の関係に理解を示されたとしても、その後、訳知り顔のあの連中が、彼女に対してもっと残酷な仕打ちを仕掛けてくる恐れもある。
ならば、何も知られない方がいい。
ジョンドゥが意識的にそう考えたかは怪しいが、少なくとも潜在意識のレベルで判断し、聖域が汚されないために沈黙していた可能性が高い。
これはあくまで私の想像ではあるが、もし仮にそうだったとすれば、誰にも足を踏み入れられることなく神聖なまま、彼らの尊い愛のオアシスは永遠に守られていくことだろう。

◇ 新自由主義者の優生思想 ◇

日本には、1948年から1996年にかけて優生保護法なるとんでもない法律があった。そして、この法律の下に障碍者の強制不妊手術が行われていたのである。1996年と言えば、まだまだ最近のことだ。
2018年には、実際にこの手術を受けさせられたという60代の女性が、憲法違反だとして国家賠償請求を起こしている。

「優生保護法」など、およそ現在のモラル基準では考えられない非人間的で残酷な法律である。
しかし『オアシス』のような映画を観て、自分のクズ凡人ぶりに気づく時、私自身、このような「優生思想」について、単に一方から糾弾する立場にはないのかもしれないという気持ちがわいてくる。
断じて自分を優生だなどとは思っていないし、決して差別意識など持たない人間でありたいとも思っている。とは言え、実際に多様性というものを何のてらいもなく真に受容出来ているかと言えば、それも自信がない。
やはり、心のどこかでジョンドゥやコンジュのような立場の人を「自分とは違う人」と考えているきらいがあることを否定出来ない。
そういう意味でも、彼らのラブストーリーに感動するという体験は、非常に意義あることだと感じた。

では世の中的な流れとして、そうした優生思想なるものが衰退しているのかと言えば、実はまったくそうではない。
むしろ今の日本にはびこる新自由主義的な風潮が、優生思想なるものを大いに助長させている。これは、本当に恐ろしいことだ。

最近では、大阪府知事のトリアージ」発言、あるいは、元れいわ新選組参院選候補者だった人間の命の選別」発言などがある。こうした優生思想の台頭例をあげれば枚挙にいとまが無い。

事あるごとに「自己責任」やら「命の選別」などを強調する権力者や著名人は、どうやら己を優生だと認識しているふしがある。いくら本人が否定したとて、そう考えることに迷いがないからこそ、そんなことを平気で言えるのだ。もし少しでも、弱者と呼ばれたり、不遇な、あるいは不自由な状況にある人々に心を寄り添わせる想像力があるなら、当然「明日は我が身」という発想にも至るはずだ。
そして自分らが優位な立場にあるのは、決して自分達が優生だったからではなく、運も大きく関わっていることが理解できるだろう。と言うか、そもそもそのような考えにおよばないこと自体、私からすれば全然優秀だとも優生だとも思えないのだが、いずれにせよ新自由主義者を含む優生思想の持ち主たちは、「共感力」や「想像力」には価値を見出さない。

人の価値すら「生産性」ではかり、それがないと判断されれば容赦なく切り捨てる。理不尽極まりないが、実際今の日本は、そういった方向に大きく傾いているようだ。

だからこそ、相模原障害者施設殺傷事件のような残虐な事件も起こる。
犯人はとても若い男だった。そして彼は、「役に立つことをしたい」と考えて障害者を殺害したとしている。
彼自身もまた、己は役に立っていない人間だと自己評価し、価値ある人間として認められたいという願望があったわけだ。
そして、「生産性」がないと彼が判断した者を大量に殺害することで「人」の役に立とうとした。だが一体、この犯罪の向こう側にいる「人」とは誰のことなのか。恐らくこの幾重にもねじれた理屈の向こう側にいる「人」とは、自己責任論を軸とした新自由主義を人の世の正解としている者たちのことであろう。

資本主義のグローバル化からの新自由主義という流れ、私は本当に憂慮している。これが本流とされ、圧倒的に支持されるような世界になってしまっては、映画や文学といった文化芸術も衰退していくだろう。
現コロナ禍においても、政府はまったく文化芸術というものに支援する姿勢を見せない。これもまた、「生産性」云々の新自由主義化の流れが関係しているのは間違いない。

そもそも「生産性」とは何なのか?

いわゆる「生産性」という価値基準から切り離されたジョンドゥやコンジュ。そんな二人の出会いによって紡ぎ出されるラブストーリーは、人の心を大いに感動させる。
『オアシス』から生み出された感動は、果たして価値のないものなのかと言えば、もちろん全然そんなことはなくて、むしろ逆で、大いなる価値を生んでいる。これぞ真の「生産性」とは言えまいか。

私は、『オアシス』のような映画に感動する人の多い世界であって欲しい。

新自由主義者が国を仕切り、自己責任論や新自由主義を支持する国民が跋扈するような世の中になっては、決してこのような映画は生まれない。
そうなれば、ある意味、本当に「生産性」のない世界になってしまうだろう。

アフターコロナと呼ばれる時代が、そんな殺伐とした荒野にならないことを今は切に願っている。

『オアシス』(原題:오아시스)
2002年公開/133分/韓国
監督:イ・チャンドン
脚本:イ・チャンドン
出演:ソル・ギョング ムン・ソリ


この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?