轍のゆくえ ~とある子供の話~

昔話。それは人々の間で語り継がれ、現在まで残るかつての話。非科学的なモノもあれば、知識を言葉で表したものもある。
 今から語られるは、もう誰も覚えていない。そんな昔の話。



むかしむかし

うまれるひ


視界が真っ暗だった。光を探して呼吸をするが、苦しい。生きようと藻掻けば藻掻くほど苦しさは増すばかり。まるで諦めろと言われているようだった。死ぬことが怖かった。いつから生きているのか分からないが、こんな真っ暗なところで死ぬのは嫌だ。上手く動かない体で必死に助けを求めた。見苦しいような叫びが届いたのか、暖かな光に包まれ、次第に心地よい眠りが訪れた。

眼を開けるとあまりの眩しさに目がくらんだ。どこまでも続くなだらかな山は自然の偉大さを示しているようだ。動物たちによる縄張り争いが行われる大きな戦場。そんな場所に子供は生まれた。
 子供は末っ子だった。兄弟の中でも身体は小さく、声も小さい。発達が特に遅かった。兄弟たちはどんどん成長していくのに、その子供は小さいままだった。大きくなろうと母親の手伝いをしたり、狩りに行くという父親の後を追いかけたり、兄弟たちと喧嘩をしたり。毎日努力はしたが実ることは無かった。

「まだあなたは幼いからよ。きっと大きく成れば兄弟たちみたいに一人前になれるわ」

兄弟たちは成長が早く、父親の手伝いに出かけるようになっていた。獲物を仕留めてくることもある。一人前になるにはそう時間もかからないだろう。 
 兄弟たちが出かけている間、子供はずっと家にいた。すくすくと成長する兄弟と自分。比べれば情けなく感じ、一層努力するが兄弟たちのようにはいかなかった。努力をすれば皆は褒めてくれる。しかし、子供は当たり前に成し遂げる家族が羨ましかった。
 もし父親や兄弟たちのような大きな身体があれば。立派な四肢があれば。きっと役に立てるのに。そんな風に考えて、春を過ごし、夏になり、秋になり、冬になった。子供は少し成長したが、兄弟たちには及ばなかった。


 ある日。子供は聞いた。

「そうやら、大規模な争いが近くで起きるらしい。ここもダメかもしれない」
「…そうね。いい場所で気に入っていたのだけれど…それなら仕方ないわよね」

父親と母親の会話だった。兄弟たちはすでに眠っており、起きているのは子供しかいない。子供は聞き耳をそっと立てる。

「できるだけ近場がいいわ。川もあって食料もあるような場所が一番」
「そうだね。そんな場所があればいいんだろうけど」

二人の間に沈黙が訪れる。子供は二人の内心を悟っていた。きっと自分が枷になっているのだろうと。この小さな体では大移動に耐えれるか分からない。時間がかかるのは目に見えている。その間にその争いとやらに巻き込まれでもしたら…

「いつ引っ越すの?」
「…できるなら明日と言いたいが、子供たちのこともあるだろうから明後日には」

その後会話は少し続いたが、すぐに二人とも眠りに入った。
 何処までも広がる空を子供は見上げる。子供の決心は固まった。後は実践に移すだけである。

「明日遠出しましょう。しばらく出先で生活をするから、準備をしてね」

何も知らないであろう母親に言われた。子供は素直に返事をして、その日を過ごすべくいつも通りできる範囲の手伝いをする。母親はいつもより上手にできていると褒めてくれた。父親はそれを聞いて喜んでいた。その日は凄く楽しかった。そんな日々が出先でも続けばいいのにと思わずにはいられなかった。その日のことを今でも思い出せる。
 その日の晩。皆が寝静まった頃に、子供は起き上がった。皆深い眠りについたため、少しの物音では起きない。兄弟たちを踏まないようにそっと寝室を抜け出して、家を出た。これが最後の家族と過ごした日になるだろう。そう考えると悲しさがこみ上げてくるが、家族のためだと自分を奮い立たせた。


 初めて一人で夜を明かした。夜の間にできるだけ遠くに歩いたと思うが、虫や動物に襲われながら来たため、来た方角も距離も分からなくなってしまった。初めての一人暮らしである。恐怖は勿論あるが、それよりも好奇心の方が勝っていた。今日は何が起こるのだろうか。今までの知識でどこまでやれるのか、高揚する気持ちを抑えることはできない。

 初日に寝床は見つけたため、後は食料と水である。何となくの記憶をたどって食べられそうな木の実を見つけては齧り味見をした。水を見つけようと耳を澄まして歩き回り迷子になりかけたこともある。困難が立ちはだかる度に、いかに自分が支えられてきたかを痛感した。

 なんとか初日をやり過ごし来た二日目。怒鳴り声で目が覚めた。寝床から這い出ると、数メートル先で取っ組み合いの喧嘩が勃発していた。両陣営多くの仲間を引き連れていたが、お互いに傷だらけである。辺りに血をまき散らしながら殴り合っているため、寝床の前まで血が飛んできていた。
 今まで怪我をすることはあれど、噴き出す血液を見たことが無かった子供は顔面蒼白である。倒れる仲間を踏みながら必死に戦う姿を見て、子供は怖くなり外に出ることもできず二日目は寝床の中で過ごした。
 夜になれば辺りは静寂に包まれた。朝から続いた争いが嘘のようだ。子供は目を瞑ったが、恐怖した記憶が思い出され眠れなかった。遠くから落雷の音が響いてきて、もうじき雨が降ってくるだろう。そうすればきっとさらに眠れなくなる。必死に寝ようとするが、目がさえるばかりだった。母親に会いたい。父親に会いたい。兄弟たちに会いたい。こみ上げてくる涙を堪え、子供は眠りに落ちた。

 そうして何とかその場しのぎでひと月。子供は生き延びていた。争いに巻き込まれそうになったこともあるが、強運でなんとか逃げ出した。食料がすべて腐ってしまうこともあったが、別の場所に行き新しく見つけた。水が濁って飲めなくなることもあった。ひと月で子供は大きく成長した。
 すっかり家族への恋しさを忘れかけていた頃、とある話を聞いた。

「どうやら争いが終わったらしい」
「ここいらもようやく平穏が訪れたという訳かい。そりゃよかった」

通行人が話していたのを盗み聞きしただけだったが、思わぬ朗報に喜びを隠せなかった。寝床を出て、家族に会いに行こう。そう決心すると、子供はさっさと寝床を出て家族に出会うべく歩き出した。家族の居場所など到底分からない。だから、住んでいた家に向かうつもりだった。そうすればどこかに手掛かりがあるはずだと考えていた。
 家出の際、襲われながら逃げたため迷子になるだろう。しかし家族に会えるそう思うだけで、不安はどこかに飛んで行った。どんどん突き進んでいって、ああでもないと引き返す。引き返したはいいが、引き返す道を間違えてさらに迷子になる。森はまさに迷路だった。

 シンシンと季節外れの雪が降る。やっとのことで辿り着いたかつての家。もうボロボロになり果て、数日前の大雨で泥まみれになっていた。寝床には誰の姿も無く、まだだれも帰ってきていない様である。雪が布団の上に落ち、すぐに溶けた。
 子供は暫く待ってみることにした。もしかしたらそのうち帰ってくるかもしれない、と淡い希望を抱きながら待った。森はやけに静かだった。鳥の鳴き声すらしない、まるで自然そのものが死んでしまったようだった。小さな物音すら立ててはいけない様なそんな静けさ。子供は自然と息をひそめる。森と一体になるように、そっと。

 突如怒号が子供の鼓膜を襲った。子供は体を震わせ、物陰に身をひそめた。何事かとパニックに陥るが、なんとか落ちつくよう自分に言い聞かせる。深呼吸をしていると、草木をかき分ける音がした。

「さっきのヤツ、どこかに逃げちゃいましたね」
「一発で仕留めきれなかったか。次だ、次の獲物を探せ」

男たちは子供に気付くことなく、子供が隠れる目の前を通り過ぎていく。心臓が五月蠅い。子供は必死に息を押し殺した。
 この森にはヤツらが来る。母親に聞いたことがある。急に襲い掛かってきては、私たちを殺して持ち帰るのだと。母親は悲しそうな声をしていた。父親はヤツラに襲われ、家族を全員失ったらしい。絶望のさなか母親と出会って、持ちこたえたのだと話していた。
 きっとその話のヤツラが今のヤツら。誰かを殺しに来たのだ。物陰から顔を出して周りを伺う。人影はない。奴らは通り過ぎて行ったようだった。そっと静かに物陰から出て、音を出さぬように水を飲んでいた川の方に向かう。母親は、父親は、兄弟は無事だろうか。無事を願いながら。

 この道で兄弟と木の実取り競争をした。あの木で誰が一番高く昇れるか、あの川で誰が大きな魚を取れるか、誰が一番大きい声を出せるか、誰が上手く隠れられるか、誰が一番喧嘩が強いか。本当にくだらないことを競い合った。その後が今も残っている。
 それを目印にして、記憶をたどり川までを急ぐ。頭の中は思い出で溢れていた。
 人生は残酷だ。誰かが言っていた。神は人生の中で耐えがたいほどの絶望を与える。それを乗り越えることができたものには、人生が続く。
 では、その試練はどう乗り越えればいい。目の前には、母親と父親、兄弟がいた。川の水を真っ赤に染めながら。動かない彼らは、瞳を開いたまま口を大きく開けて…まるで生きているようだった。手で母親を触ってみる。水に濡れた毛が冷たい。揺すってみるも、何にも言ってくれない。

「お久しぶりです。俺は大きくなりましたよ、見てください」

母親に声をかけてみる。大きくなったと報告したら喜んで聞いてくれていたのに、今はどうして何も言ってくれないのですか。子供は父親にも声をかけた。父親は片目に大きな傷があり、もう片方の目は固く閉じられている。傷がある方の目は、見えていなかったのだろう。この数か月で大怪我を負ったのだろう。きっと痛かったに違いない。傷が癒えるように舐める。やはり水で湿っている冷たい感触しかしない。

「大きくなっただろ。これで一緒に出掛けてくれるよな」

きっとちっとも変わらないと返事を返してくれるだろう。それで喧嘩になって、兄弟そろって父親に怒られる。怒られた原因は誰だって言い合って、また喧嘩になる。きっと。そうだったはず。
 自分から出て行ったのに、涙が止まらなかった。あの時一緒にいれば、家出をしなければ変わっただろうか。神様、どうかお答えください。そんなどうしようもない嘆きを吐き出した。そのとき、重い衝撃が身体を襲った。あまりにも強く、身体が前に倒れる。なにやら騒がしい声がして、逃げないとと立ち上がろうとするが上手く力が入らない。そしてまたあの衝撃に襲われた。




第二のうまれたひ


静まり返った森に雨がシンシンと降り注ぐ。雨は地を伝い、辺りを湿らせていた血を掃除していった。そんな中を傘を差さずに歩く一人の女がいた。女は髪や服が濡れるのを全く気にせずに、森を歩きある川にたどり着く。

「可哀想に」

ポツリと女は呟いた、女の前には、死体があった。まだ幼い狐のものである。辺りに付着する血液の量から、まだ複数体いたのだろうと推測される。女は子狐のもとまでゆっくり歩み寄った。小さな体には幾数にも及ぶ傷跡が残っており、生きることへの苦労が見えた。
 女はそっと子狐を抱きかかえる。指で優しく撫でると、腕の中でぐったりする子狐はピクリと反応した。なんと息を吹き返したのである。女は驚いた。命を失うと二度と戻れない。それが世の掟だからである。

「…生きたいのか」

子狐は呼吸をするばかりで返事をしない。女にはその呼吸こそが生きたいという意志に感じられた。冷たい体に宿る消えそうな命の炎をそっと抱きしめ、女は瞬時に姿を消した。
 のちに知られることになる。女の名前は|宇迦之御霊神≪うかのみたまのかみ≫。狐を神使とする神である。






狐が目を覚ますと、そこには一人の女がいた。

「目が覚めたよ」

顔を上げると見知らぬ男の顔が目に入る。ここは一体どこなのか、お前たちは誰なのか、首を傾げた。確か森にいたはずである。森で暮らしていて…そこからの記憶がない。まるで空白のような期間がある。

「混乱しているようだから、教えてあげようか。頼むよ、ウッチー」
「はいはい、ありがとう|世隠≪よいん≫さん」

ヒョイっと狐は男から女に渡される。狐は状況が読み込めず暴れたが、女にすんなり抱きかかえられると気分が落ち着いた。なんともぬるま湯のような体温である。
 女は狐の脇に手を差し込み持ち上げて、狐と顔を突き合わせた。

「元気そうで何より。知らない人…神に連れてこられて驚いたよね、ごめんなさい」

狐はきょとんとした顔で話を聞いていた。なぜ女は悲しそうな顔をしているのか。よくわからなかった。

「貴方はこれから私の神使になります。これから宜しくね」

トントン拍子で話を進められ、狐はいつの間にか神の使いになっていた。神の言語を話せることや死ぬ前のことなど整理しなければならないことはあったが、それよりも神の仕事に忙殺された。あれこれ任され、見知らぬ神の手伝いを命じられることも少なくなかった。
 自分の出自を詳しく聞けたのは、数百年後。狐がめでたく独り立ちをする頃のことであった。



とある森


経過報告

これは○村に関する調査書である。
以後、○村について調査し此処に綴る。

○県×市。人口が減少し続ける村では古くから狩りが盛んに行われていた。貴族たちが出入りしたという趣旨の記録まで残っている。村の北東には大きな森があり、いまでも多くの野生動物が住んでいる。村人からは別名恵みの森と呼ばれている場所であるが、不自然なことにある時期からピタリと狩りが行われなくなった。
 ○月×日。村の人々に森についてインタビューする。詳しくは知らないが祖先たちが神を怒らせたとかで流行り病が流行したということらしい。病名も症状も分かるものは残されていない。口伝えで受け継がれて来たものが今は現存する手がかりである。
 何が起きたのか調査を始めたが、調査は難航した。国の情報網を利用しても、それらしきものはない。もしかすると回収はされているが、相当昔のものなので劣化で判別できない、という可能性があるかもしれない。
 調査の中断を考えたが、ここで吉報が届いた。調査のことを聞いた村人が何かの役に立てばと、狩猟記録を送ってくれたのだった。
 狩猟記録には何の変哲もなかった。ただ獲物の大きさや種類が書き込まれているだけである。もしかするとの可能性も捨てきれず、すべてを読むことにした。それが何百冊もあるのだから、すべてに目を通すのは骨が折れた。


全てをまとめ終えた感想は、無駄な作業だったということだけである。たまに絶滅したはずの動物や気候的に住むことができないはずの動物が狩られていたという記録には驚いたが、恐らく業績を立てるための嘘なのだろう。はたしてこれを書いた人物は正当な評価を受けたのだろうか。
 長い調査であったが、まだ気になる点もあるため続くだろう。後世の人々にこの研究に協力してもらえることを願う。

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