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翁のことほぎ

「ことほぎ」は、「寿ぎ」や「言祝ぎ」とも書かれ、結婚などの祝儀の場面には、寿(ことぶき)があふれます。

今は少なくなりましたが、婚約に際しての結納の品々の中に高砂人形があったり、結婚の披露宴では親戚の長にあたる男性が『高砂』を謡うなどして、若い二人の和合による子孫繁栄と共白髪の老になるまでの長寿を祝い願ってきました。

こうして古来より日本では、子孫繁栄の証として「寿」「若」「結」「老」が、順にめぐり続けることが、めでたいこととされてきたのです。


そうした「一族の再生」のために見出された方法、つまり、老から若への若返りの重要な結節点となるのが「ことほぎ」という行為で、古来よりこの「寿ぎ」に重要な役割をはたすのが「翁」でした。

国立劇場(東京)開場45周年記念
「人形浄瑠璃文楽九月公演」2011年
『寿式三番叟』


この「寿ぎ」によって「若」が出現します。

記紀に登場する神さまの名の「若」が、「分」や「別」と書かれることがありますが、若いというのは「別け」「分け」の意味が含まれているのですね。

結婚の相手としては血の遠い同族以外の異性と結びつかなくてはいけませんので、結婚にあたって(嫁入りも、婿入りも)自分が所属していた一族から別れることが、当然前提になります。


つまり、「若い」とは、何にも従属していない状態(何かから分れ、独立している状態)をあらわしているのです。

こうして、人間という生き物としての生存戦略として、まず最初に「従来属してきたものから分かれること」そして次に「異質な他者と合わさること」が繰り返されてきたのです。


けれども、幼い頃から慣れ親しんだ場所(家族)からは離れがたく、自分の意志で(恋に落ちたりして)離れようとする以外には、動機が立ちにくい。

特に一族の都合で結婚させられるような場合には、翁のような長老からの「心をほぐす言葉」が必要だったのでしょう。

これまでの一緒にいた一族(家族)に対して固い絆を感じている心を、笑いで揺らし、言葉でほぐし、別の世界への興味の入る隙間をつくる。そうして「別れ・分れ」をもたらすものが「ことほぎ」でした。


志賀海神社 歩射祭
『アースダイバー 神社編』中沢新一
講談社 p.285

いよいよ祭りの当日になると、射手たちは、大宮司の扮する「いとうべんさし」の指揮のもとに、神庭に大的をしつらえて、始まりを待つ。まずは的を持って庭をおごそかに廻る「的廻り」がおこなわれる。射手たちは、弓矢を手にもって、おごそかに的のまわりを廻り、それがすむと、射手は順々に「いとうべんさし」に近づいていって、扇子をその人のあごに差しつけて「大宮司さん、お笑いなさい」と言う。大宮司はそれを受けて、「ワッハッハ」と声高に笑うことが作法となっている。

『アースダイバー 神社編』中沢新一
講談社 p.284
『アースダイバー 神社編』中沢新一
講談社

古代の祭りではよく、接近してはならないものが近づきすぎたり、くっついたりしているのを、儀礼の作法によって、みごとに分離することができたとき、神官たちが「ワッハッハ」と儀礼的な高笑いをする。このアズミ族の祭りでも、なにかを分離して遠ざけることに成功したから、大宮司は声高に笑っているのである。

『アースダイバー 神社編』中沢新一
講談社 p.284


「パッかーん」と割れて別れて、翁が笑う。

日本語では、「割れる」も「破れる」も「われる」と言い、「笑う」の「わらう」に近い。

そして「笑うかどには福きたる」。




こうして日本では、新たな「結び」の前には、「別れ」(若)が必要で、さらに、「別れ」の前には「ことほぎ」(寿)が必要で、そしてめでたく「結び」が実ったあとは、再び、「老い」て固まり、また再び、「ことほぎ」される。

日本では、「寿、若、結、老」の循環が目出度い


この永遠の廻りの祈りにとって、翁は欠かせない存在であり、猿楽の流れを受け継いだお能の『翁』の後半の「三番叟」では、翁が天下泰平を祈り舞います。


そして「寿、若、結、老」の循環は、萌えの春、盛りの夏、稔りの秋、籠りの冬、と季節が移ってゆくことにも重なっていて、冬から再び春へ向かう前に、若水を汲んで、全てを新たにして年を迎える行事にも、この循環への願いが潜んでいます。


また記紀に登場する神々にも、旧を壊し新たにする神「荒御魂(あらみたま)」と、結びと実りをもたらす神「和御魂(にぎみたま)」の両方が認識されてゆき、荒ぶる神のスサノオ、和する神のアマテラスとして象徴されたのです。




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