20世紀の歴史と文学(1906年)

先週に続き、1900年代の歴史と文学を今週も解説していくが、その前に触れておきたいことがある。

1905年の記事は、日露戦争が年またぎで続いたこともあり、戦争一色の記事になり、文学に触れていなかった。

今日は、文学の解説を多めに行おう。

1905年は、実は夏目漱石が『吾輩は猫である』という長編小説を、雑誌『ホトトギス』に連載して、好評を博した1年だった。

この連載は、1906年8月まで続き、その後は、上中下巻の3分冊の本が順次刊行されていった。

漱石は、1906年には『坊っちゃん』と『草枕』も発表しており、この3作品は、現代も名作として読み継がれている。

ちなみに、『吾輩は猫である』は漱石の処女作である。(今の時代に「処女作」という表現がマッチしているのか疑問だが、「初めての作品」という意味での転用はまだ続いているようだ。)

もう一人、1905年に起稿した小説を、1906年に自費出版で世に出し、大きな関心を集めた作家がいる。

島崎藤村である。

藤村は、もともと詩人だったのだが、小説家に転向して初めての作品となる『破戒』を執筆した。(くどいようだが、これも「処女小説」である)

『破戒』は、被差別部落出身の教師を主人公に据えて世の中を描写した作品で大きな反響を呼んだのだが、夏目漱石は、この作品を「明治の小説としては後世に伝ふべき名篇だ」と評した。

このとき、夏目漱石は39才、島崎藤村は34才だった。

この二人の作品が世に出てから、1920年代まで次々と近代の名作が名だたる作家から発表されるのである。

このシリーズでは20世紀ものを扱っているので、残念ながら1900年以前の作品が有名な作家については簡単にしか触れることができないが、とりあえず以下に挙げておこう。

坪内逍遥『小説神髄』(1885年)
二葉亭四迷『浮雲』(1887年)
森鷗外『舞姫』(1890年)
幸田露伴『五重塔』(1891年)
樋口一葉『たけくらべ』(1895年)
尾崎紅葉『金色夜叉』(1897年)
徳冨蘆花『不如帰』(1898年)
泉鏡花『高野聖』(1900年)

樋口一葉は、『たけくらべ』の発表の年の翌年(1896年)、24才の若さで亡くなった。

尾崎紅葉も、1903年に36才で亡くなった。同じく短命で亡くなった著名人に、1902年に34才で亡くなった正岡子規(俳人)、1903年に23才で亡くなった滝廉太郎(作曲家)がいる。『荒城の月』を歌ったことがある人もいるだろう。

さて、日露戦争が終わり、ポーツマス条約で日本は中国の南満州の利権を得て、南満州鉄道株式会社を設立した。

これが1906年11月のことである。

この南満州鉄道をめぐっては、25年後に起こる「満州事変」にも大いに関係するのだが、日本軍が中国軍のしわざだと言って自ら爆破したのも、南満州鉄道なのである。

1906年当時、約30年後の日中戦争や第二次世界大戦の勃発を誰が予想できただろうか。

日本が進むべき道を間違えたのは、この年ではなかったであろうか。






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