20世紀の歴史と文学(1927年)

とうとう昭和の時代が到来した。

1927年(=昭和2年)から1988年までは、完全に昭和の時代であり、1989年(=昭和64年)1月7日に昭和天皇がお亡くなりになるまで、激動の世の中であった。

昭和天皇は、即位したときは25才だったので、川端康成や横溝正史とは同世代だった。

明治時代は45年、平成は31年、令和はまだ6年目ということを考えると、いかに長い時代だったかが分かるだろう。

そして、昭和天皇の立場は、1890年(=明治23年)に施行された大日本帝国憲法において、次のように規定されていた。(もちろん、明治天皇も大正天皇も同じである)

【第1条】
大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス 
【第3条】
天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
【第11条】
天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス

逆に、戦後に制定された日本国憲法では、第1条で次のように定められている。

【第1条】
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

「天皇は神聖にして侵すべからず」という文言によって天皇の神格化が図られ、「天皇は陸海軍を統帥す」という文言で、天皇の戦争責任がのちに議論を呼ぶことになった。

結果的に、昭和天皇は日本が敗戦した後もずっと天皇としての地位にとどまり、実に43年間も戦後日本の発展を見届けることになったのである。

さて、1927年も、ある作家の死が大きな話題を呼んだ。

7月の下旬に、芥川龍之介が、睡眠薬を大量に飲んで自殺したのである。

この年の1月に、芥川龍之介の義兄が放火と保険金詐欺の嫌疑をかけられて、鉄道で自殺したことが遠因ではないかと推測されている。

芥川龍之介の最後の小説となった『歯車』を読むと、彼が義兄の自殺による影響を受けていたことがうかがい知れる。

実際、彼は義兄の遺した借金や、残された家族の面倒まで見る羽目になってしまったのであるが、35才での自殺はあまりにも早すぎる死であった。

彼は、同じ1927年に『河童』という小説も発表しており、『歯車』も『河童』も青空文庫で読めるので、興味がある方はネット検索して読むと良いだろう。

『歯車』には幻視体験が描かれているし、『河童』にも精神病院の患者が登場する。

それほどまでに、芥川龍之介が死の直前まで精神に異常をきたしていたのだろう。

本シリーズですでに触れているが、彼の死後に、菊池寛が「芥川賞」を創設した。それは、現在も毎年のように注目されている。

また、芥川龍之介が自殺する前日に、同じ作家である室生犀星の家を訪ねたのだが、室生犀星は外出していて、芥川と会うことができなかった。

室生犀星は、芥川より3つ年上で、芥川の家の近所に住んでいた。

自分がもし外出していなかったら、彼に自殺を思いとどまらせることができたのではないかと、犀星は後悔したという。

いつの時代も、人の自殺というものは、その経緯といい、死の直前に頼る人がそばにいたかどうかという状況といい、本当に共通しているものだ。

「明日は我が身」と思いながら、暗いイメージではあるが、改めて芥川龍之介の晩年の小説を読み返しておきたいものである。





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