歴史をたどる-小国の宿命(46)

第75代の崇徳天皇が即位して、6年後に白河法皇は亡くなった。

入れ替わりで実権を握ったのが、崇徳天皇の父親にあたる鳥羽上皇(第74代天皇)である。

鳥羽上皇は、第76代の近衛天皇、第77代の後白河天皇の代まで、3代にわたって実権を握り、その年数は、白河法皇の半分にあたる28年であった。

実は、崇徳天皇も近衛天皇も後白河天皇も、鳥羽上皇の子どもである。

崇徳天皇は第1皇子、近衛天皇は第9皇子、後白河天皇は第4皇子である。

ここで、近衛天皇が9番目の子どもであることに注目してほしい。

近衛天皇は、即位したとき、わずか3才だった。

この即位は、崇徳天皇による譲位で実現したが、実は、鳥羽上皇が崇徳天皇に譲位を迫ったのである。

崇徳天皇自身は、まだ健在であったし、病気でもないのに、なぜまだ3才の幼い弟に譲位しなければならないのか不満であった。

以後、鳥羽上皇と対立するようになり、これが、のちの「保元(ほうげん)の乱」につながっていく。

ところで、以前に、本シリーズで、日本三大怨霊の話をしたのを覚えているだろうか。

菅原道真と平将門が、日本三大怨霊のうちの2人である。

残る1人が、この崇徳天皇になる。

自分の意に反して退位させられ、その後も、父親が権力を握っていたために、思い通りにならない人生を生きることになった彼は、本当に気の毒である。

崇徳天皇の最期は、どのような状況だったのか。そして、なぜ怨霊と化したのか。

1142年、近衛天皇が即位して、世の中はは一気に怪しい雲行きとなっていく。







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