【続編】歴史をたどるー小国の宿命(80)

福沢諭吉や勝海舟が乗り込んだ咸臨丸は、木造の船であり、我が国の歴史上、初めて太平洋を横断して渡米に成功した。

1860年の1月半ばに浦賀沖を出発した咸臨丸は、アメリカ人の乗組員の指導を受けながら、1ヶ月あまり(37日間)かけて、無事にたどり着いた。

今ならば、飛行機であっという間に着くのだが、当時は、悪天候もあったり、長時間の乗船による船酔いもあったりで、大変な苦労を強いられた。

この咸臨丸であるが、実は、ペリー来航のときに幕府が海防の強化の一環で、オランダに発注して造らせたものである。

オランダで咸臨丸は3年かけて造られた。すでに一足先に大海原を何度も航海しており、経験が豊富な西洋人の手によって造られた咸臨丸の品質は安心できるものだった。

無事に渡米した勝海舟や福沢諭吉は、アメリカで53日間も過ごした。諭吉の学びは、日本に持ち帰られ、書物を通して後世に語り継がれた。

最後に、福沢諭吉の『学問のすゝめ』の序文を紹介して締めくくろう。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。『実語教』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。また世の中にむずかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。すべて心を用い、心配する仕事はむずかしくして、手足を用うる力役はやすし。ゆえに医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召し使う大百姓などは、身分重くして貴き者と言うべし。

以上に述べているとおり、人はみなうまれながらにして平等であるが、いつしか貴賤上下の身分差が生じるのは、学問に励んだかどうかの差だと言っている。

学校教育を受けたかどうかではなく、日頃から自分が何かを学ぼうとしているかどうかが重要なのである。

では、幕末クライマックスは、9月11日再開である。



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