古典100選(13)宇治拾遺物語

このシリーズですでに紹介した『醒睡笑』という笑い話は、江戸時代初期(1620年代)に世に出たものだが、今日は、鎌倉時代初期に成立した『宇治拾遺物語』を紹介しよう。

これも、現代語訳を確認しながら読んでみると、なかなかおもしろい話がたくさん詰まっている。

『宇治拾遺物語』は、1200年代初期に世に出たものだが、作者は不詳である。鎌倉時代が1192年頃に始まったので、おそらく平安時代に語り継がれた有名な話などがまとめられたのだろう。中国やインド(天竺)の説話もあり、遣唐使や大陸・朝鮮半島からの留学生の往来で広まったと考えられ、当時の庶民の生活もうかがい知ることができる。

時代は違えど、やはり今も昔も、同じ人間の所業や思いは、共通して受け入れられるものだなと実感できるだろう。

江戸時代の『醒睡笑』にも影響を与えた作品で、全15巻(197話)から成っている。

では、第1巻の第13話の原文を読んでみよう。

これも今は昔、田舎の児(ちご)の比叡の山へ登りたりけるが、桜のめでたく咲きたるけるに、風のはげしく吹きけるを見て、この児さめざめと泣きけるを見て、僧のやはら寄りて、「などかうは泣かせ給ふぞ。この花の散るを惜しう覚えさせ給ふか。桜ははかなきものにて、かく程なくうつろひ候ふなり。されどもさのみぞ候ふ」と慰めければ、「桜の散らんはあながちにいかがせん、苦しからず。我が父の作りたる麦の花の散りて実(み)の入らざらん思ふがわびしき」といひて、さくりあげて、よよと泣きければ、うたてしやな。

以上である。

比叡山の桜が満開の頃に、ある子どもがやってきたのだが、風が激しく吹いて花びらが次々に散っていたわけである。

その状況でその子どもが「さめざめと」(=しくしく)泣いていたので、比叡山のお坊さんが「桜の花が散っていくのを見て惜しみながら泣く」ことに感動したのだろうか。子どものところへ歩み寄って慰めたわけである。

そうしたら、その子どもが「桜が散っているのは、そんなに苦しいことではない。」と答え、「ぼくのお父さんが育てた麦の花が早くに散って、(自然な散り方をしてできるはずの)穂が実らないのが惜しいのです。」と、しゃくり上げて「わあわあ」(=よよ)と泣き出したので、お坊さんはがっかり(=うたてし)したというのだ。

この「麦」というのは、当時は大麦の栽培が、米との二毛作でさかんだったのだが、だいたい冬季に麦踏みがあって、桜の季節が終わったら、収穫の時期がやってくる。

風流を理解できるのだなと感動したお坊さんはがっかりしただろうが、子どもの泣き方をしっかりと対比させて描写しているところがおもしろい。

「だったら、こんなところで泣くなよ」という話なのだが、そもそも麦の花の話を子どもがしている時点で、子どもの賢しさが見て取れる。

麦の花は、稲の花と同様に、ほんの小さな花である。

思い込みで人の心を読もうとしてはダメである。


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