歴史をたどるー小国の宿命(50)

保元の乱の勝者には、恩賞が与えられた。後白河天皇の側についた平清盛もその一人である。

しかし、勝利に貢献したのは、清盛だけではない。

のちに鎌倉幕府の初代征夷大将軍となった源頼朝の父、源義朝もそうであった。

この源義朝や平清盛と関わりがあったのが、僧侶の信西(しんぜい)である。

信西の妻は、後白河天皇の乳母であった。その縁もあって、信西は後白河天皇の側近として権力を持っていた。

実は、保元の乱で敵同士になったのは、崇徳上皇と後白河天皇だけではない。

源義朝も、父である源為義と敵同士になったのである。義朝は後白河天皇のほうについたが、父親は崇徳上皇側についた。

崇徳上皇は島流しの刑を受けたが、義朝の父親は斬首の刑を受けることになった。

信西は、後白河天皇の側近としての権力を使って、それを義朝に命じたのである。

もちろん、義朝は自分の戦果と引き換えに、父親の助命を嘆願した。だが、結局、願いも叶わず、父親は斬首された。

父親だけではない。義朝の幼い弟たちも、崇徳上皇側についたので、斬首されたのである。

このときの義朝の心中、いかばかりか。

崇徳上皇、源義朝。

彼らの運命は、信西の手に握られていた。来週から、いよいよ武士の時代に突入する。









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