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『患者』から学んだ"家族のカタチ"。

はじめに…

どうも、作業療法士×セクシャルマイノリティのRuwaです。
今回は、私の考える「家族のカタチ。」について皆様に心の中をお届けしようと思います。
(長いので目次を活用してくださいませ)


心の解放を決意した2つの訳

1つは最近、TwitterやTikTok、Youtubeなどの SNSや TVのニュース番組で”芸能人の離婚について”や里親制度、同性婚など『家族』についてメディアが取り上げているのを良く耳にすることが多い。



もう一つは作業療法士として病院や在宅の現場で勤務する中で「家族」についてよく考えさせられる機会が多いことや私自身が同性を愛することのできる人間として生きていることもあり、今後の人生や「家族」について考える機会ことが多い。
そのため、私の経験を通して培った、感性に満ち溢れた心の中を解放することを決めたのだ。「こんな考え方もあるんだな」と少しでも”皆様の感性の引き出しを増やす”ことができれば幸いだ。


家族とは?

読者の皆さんは『家族』というと、どのようなモノを思い浮かべるであろうか。血縁関係にある父親、母親、兄弟、祖父母といったところだろうか。家族について簡単に調べてみると、Wikipedia大先生は、こう述べている。

家族とは、婚姻によって結びつけられている夫婦、および血縁関係のある人々で、ひとつのまとまりを形成した集団。また、血縁関係や婚姻関係だけではなく、情緒的なつながりが現在の家族の多様性によって最重要視されている。
Wikipediaより一部抜粋

後述に家族のカタチは多様的であると述べられている。私も同感だ。

また、「家族とは?」と数人の友人に質問したことがあった。
「血のつながった関係」「なんでも言い合える関係」「自分らしく居れる関係」と様々な意見をくれた。どの意見も正解や不正解はなく、その人の経験から導き出された素敵な意見だ。”人間の数だけ、多様な意見”がある。

私の考える家族とは「支え合う関係」である。

上記の様に考えた理由を、これまでの経験やエピソードを通して紹介する。


作業療法士が「患者」に学んだ”2つの事”

私は約10年程、作業療法士として働き、色々なクライエント(以下CL)との出会いがあった。いくつもの出会いの中で、家族とは「支え合う関係」であるということや「様々な家族のカタチがある」という2つの事を強く学ばせもらった様な気がする。

作業療法の仕事を簡単に伝えると、何らかの病気や怪我で入院し、身の回りの事や家事、仕事や趣味などの作業が難しく生活できなくなってしまったCLに対して色々な手段や方法を使って生活するために必要な作業を行えるように支援する仕事である。

作業療法士の扱う作業について

そのため作業療法士は、CLの生活のことをより具体的にしっかりと聴取・把握しなければならない。

そして、殆どのCLの生活には家族がいるのだ。
私は数多くのCLと関わる中で色々な家族のカタチがあることを知った。

例えば”両親と住んでいるCL”、”妻と子供2人がいて円満そうなCL”、”彼女と同棲中のCL”もいた。中には”友人とシェアハウスをしているCL”もいるなど様々で多様性に富んでいる家族のカタチがあった。

また、色々な家族のカタチがあるからこそ、深く足を踏み入れると色々な事情を持った家族も少なく無かった。

 ある男性CLは一流企業に勤めており、金銭的な余裕もある。都内の一等地と呼ばれる場所に建つタワーマンションに妻と子供と暮らしていた。素敵な人生を歩んでおり、幸せそうな家族像を私は勝手に想像する。

一流企業と思われる建物


しかし、入院中に家族の面会はほとんどなく、幸せそうな家族の姿はない。面会に来るのは一人の女性のみ。奥さんかと思い、CLに「綺麗な方がよく来ますね」と声をかける。返ってきたコメントは「内縁の妻だよ」「本妻とは離婚を検討している最中なんだ」と。

 そのCLは後遺症もあり、今後の生活の中で家族に助けてもらう必要があった。上記のことを家族に伝えると「私たちは助ける気はありません。内縁の妻の方を頼ってください」と一言。色々な事情をもった家族がいることも知った。

隣の芝生は青く見えるという言葉が存在するが、実際に隣の芝生に足を踏み入れてみると、芝生の所有者でしか分からない色々な家族のカタチがあることを知ったのだ。

青い綺麗な芝生

80代の女性CLにも家族について教えてもらった。
そのCLは、ご主人と二人暮らしで生活している。よく、家族であるご主人の存在に感謝していると言っていた。「昔はできたけど、今の私は腰が曲がっているから、高いところは爺さんがやるから助かってる」と。まさに「支え合いの関係」である。

老夫婦の支え合い

この世には時間というものがある。年齢を重ねていくに連れて”今までできていたことができなくなってしまう”のだ。中には、喪失感に苦しみ精神的に落ち込んでしまうCLもいた。

そして、それにはスピードや個人差がある。この世で終わりを迎えるまで生活をしていくために”人は自分以外の人と助け合い、補い、支え合う”必要があるのだ。人は1人で生きることは容易ではないことを教えてもらった。
若くて健康なうちは独りでできてしまうため、分からないだろう。

人という字は支え合い成り立つ by金八先生



私はこうして、作業療法士としての経験の中で「家族のカタチには多様性がある」「人は生きるために支え合える家族が必要」という2つのことを教えてもらった。



家族のカタチは変わりゆくモノ〜血縁関係だけが家族ではない〜

家族のカタチは時代によって変化していくモノだと感じる。
戦前の日本は、拡大家族が主流で当たり前の時代だった。

磯野家:拡大家族

しかし、戦後の高度経済成長と共に祖父母と暮らす家庭は時代と共に少なくなり核家族が増えた。現在の家族の大半は核家族だ。

のび家:核家族

そして、現在もWikipediaにも血縁関係だけでなく情緒的なつながりもあると記載されている様に時代と共に家族のカタチはアップデートされているのかもしれない。しかし、どの時代も共通しているのは「支え合っている関係」ということは変わりないだろう。

世の中には「血縁関係の集団以外は家族とは認めない」という声もあるだろう。上記の声も間違ってはいない
何故なら血縁関係の集団も「家族のカタチ」の一つであるからだ。

しかし、皆の両親は元を辿れば他人同士なのである。


”血縁関係=家族”の考えを無理に当てはめてみると……

子供✖️両親は血縁関係=家族。
父親
✖️母親≠他人同士のため家族ではない
ということになり、親戚同士で結婚している世帯しか「家族」とは呼べないという摩訶不思議なことになってしまうのだ(笑)

だからこそ、人は支え合って生きるためであれば、どんなカタチでも「家族」といえるのではないかと私は最近そう感じる。

この世の中には様々な生活集団がある。例えば「シェアハウス」「養子縁組」「里親制度」「パートナーシップ制度」様々あるが、どれも血縁関係はない。しかし、全てにおいて「人が支えあって生きている」ことは共通しているため、私は立派な”家族”だと思う。

シェアハウス
パートナー

このように、家族のカタチは時代と共にこれからも変わっていくのだ。


最後に

現在の日本の家族制度では、血縁関係を持つ家族のみに認められる制度がたくさんある。しかし、男女共同参画社会により独身者が多いこの時代、血縁関係の集団のみを家族とするならば家族の数は減少し衰退していくだろう。人は支え合い、これからの社会を”自分らしく”生きていくためにも、家族制度を含めて「家族のカタチ」今一度見直し、未来のために進んでいかなければならない。

もちろん、人類が滅亡しない限り
これからも家族のカタチは変わり続けていくだろう……

                        2022.10.4 Ruwa










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