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「父と暮せば」The Face of Jizoをアメリカの俳優とアメリカでの上演について〜その①自己紹介〜

はじめまして。平野綾子(ひらのりょうこ)です。
大分県出身、通学路に牛がいるような山の中で育ちました。
小さい頃、ダウン症の弟が体がとても弱く手術と入退院を繰り返していた為、おばあちゃん、おじいちゃんが私の面倒を見ていてくれていた記憶があります。その時におばあちゃんから戦争の時の話をたくさん聞いていました。しかし、おじいちゃんは全くノーコメントでした。
そして、小さい頃から体で表現することが好きで、保育園の発表会や、運動会でのダンス、高校生の時の文化祭のステージ発表などは毎回かなり燃えていました。
4歳の時に保育園のお遊戯会で演じたウサギ役では、お姉ちゃんから「うさぎは手で耳つくらん!」とダメ出しをされ、子供ながらに納得し反省した記憶があります。
本格的にお芝居を始めたのは16才の頃から、地元にあった俳優養成所と事務所がくっついたような所で活動を始めました。
その後上京し、フリーで俳優の活動を始めることになり、2016年、井上ひさしさんの「父と暮せば」に出演することになります。
「父と暮せば」は、原爆投下3年後の広島の父と娘の絆の物語です。
リサーチ期間は一年間。その間に、8/6 8:15 原爆の被害に遭われた方からお話を聞いたり、広島へ訪れたり、政治的な背景だったり、その当時の生活だったり色んなことを調べました。


広島にリサーチしに来た時の写真。宮島にて。

おばあちゃんからも電話で話をたくさん聞き出し、次第に私は全く話さなかったおじいちゃんからも話を聞いてみたいと思うようになりました。おじいちゃんは広島出身だからです。
おじいちゃんに話を聞くと「そんなことは知らん!」と怒鳴られてしまいかなり衝撃を受けました。
おじいちゃんが怒った所を全く見たことがなかったからです。

衝撃を受けすぎて、お父さんに「おじいちゃんからこういう風に怒鳴られたんやけど、おじいちゃんから話を聞くことは難しいんかなぁ?」と聞いたら、「電話じゃなくて、直接会って聞いてみよ。俺だってじいちゃんから戦争の話は聞いたことねぇけん。」と。

おじいちゃんから話を聞くことは、とてもハードルが高そうだぞ。と思いつつも大分に帰郷し、おじいちゃんに頭を下げて話を聞きました。

すると、二つのことを教えてくれました。

①中国に地上戦に行って、お腹に銃弾があたり中国の捕虜になった
②今もずっと書き続けている日記は、18才に兵隊になると決まった日から書き続けている。

それ以外の詳しい話は聞くことができませんでしたが、二つのことだけでも、私はたくさんのことを感じとることができました。

そんなことから、私はどんどん、「父と暮せば」について深掘りの沼にハマることになります。

次へ続く。


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