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30歳になっても、まだ自分の可能性を捨てきれない

幼い頃にずっとテレビで観ていたヒーローたち。世界の平和を守るために悪と闘うことで、世の人たちから賞賛を得る。そんな人たちを観て育ったからか、自分もいつかは世界を救うヒーローになると信じて疑わなかった。でも、歳を重ね大人になっても、ヒーローはおろか何者かにもなれていない。

人間は自分以外にはなれない。そんな当たり前の言葉を言われても、納得できなくて、何者かになるためにもがく30歳になってしまった。

学生時代に読書感想文で賞を取ったことがきっかけで文章にハマった。それ以降、ブログを立ち上げて、自由気ままに文章を書いてきた。いつしか文章が仕事になって、編集者となった。文章を書いていたい気持ちはあるけれど、編集の仕事の方が楽しいと自分に言い聞かせて、失いそうになる自信を維持していた。

自分より年下の方がどんどん結果を残していく。それに比べて、何者かになりたいと願う虚無な男がいて、年齢は関係ないと心に強く言い聞かせてきた。30歳を機に一旗上げようと上京した。文章に携わる仕事に就いたものの、何も成し遂げていない。心のどこかで環境のせいにしている自分がいて、東京に住めば何かが変わると思っていた。でも、移住してから3ヶ月が経っても厳しい現実を突きつけられるだけで、何も変わっていない。

自分を守るためのうまい言い訳をずっと探している。そして、諦める理由も同じように探している。過去の偉人が30歳の時にクソみたいな生活をしていると知り、まだ30歳だし、何かを成し遂げるのに遅くないと自分の心を守っていた。彼らと僕の違いは、たとえクソみたいな生活を送っていたとしても最後には何かを残していることだ。奇跡が起こって、僕も偉人のようになるかもしれないけれど、このままではその可能性は極めて低い。

何者かになることを諦めれば、今すぐにでも楽になる。生活を楽しむためだけに仕事を選び、週の5日を心を殺して過ごす。休日はどこかへ出かけて、仕事のことを考えない。きっと楽なのだろうけれど、絶対に後悔が残る。

自分は頑張っているという心の安定剤が欲しかった。地元の友人たちは結婚して、子を設け、マイホームを購入している。仕事については一切触れなず、Instagramには家族との日々を楽しむストーリーが流れている。楽しそうだとは思うし、自分もできることなら彼らのようになっていたかった。彼らも彼らなりの悩みがあって、それについては知る由もない。

1本の糸に縋り付いていた心が挫けていく音がする。そして、自分を守るために、まだ何者かになろうともがいている自分は彼らとは違うと言い聞かせてきた。言うならば、劣等感の塊だった。昔からみんなと同じものは嫌と、流行りを好きになれなかった。それは社会に迎合できなかった過去でもある。自分の道を行くとは、他者から煙たがられる存在になると言っても差し支えない。同年代の友人はあいつは痛いと思っている可能性もある。この先に進む場所が茨の道で泥まみれになったとても、僕は無様な格好を晒しながら前進し続けたい。たとえ何かを成し遂げられなくとも、自分の納得した生き方を選ぶ。

僕が上京したのは、退路をなくすためである。大阪でも十分生活ができていたのだけれど、それに満足している自分を壊したかった。頑張っている人たちがたくさんいるこの環境はとてもありがたい。めんどくさがりの自分でも頑張ろうと思えるし、身一つで上京した自分に失うものは何もない。

どこかにツテがあったわけではないし、これから作っていく必要がある。3ヶ月が経っても何も変わっていないのは、紛れもなく自分のせいだ。言い訳の余地もない。これを前向きに捉えるのであれば、「3ヶ月で変わるわけがないし、まだ始まったばかりだ」である。1年経っても変化がないのは問題で、何をやっていたと自分を責められるのだけれど、まだ3ヶ月しか経っておらず、自分を諦める期間には至っていない。

たかが30歳、されど30歳。しかし、このもがいている時間は嫌いではない。神は乗り越えられる試練しか与えないし、壁を乗り越えるたびにレベルアップしてきた自分を知っている。乗り越えた先にどんな景色が広がっているのかを見たい。だから、僕はまだ自分の可能性を捨てきれないのだろう。

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