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なぜ僕は生きるのか

終戦記念日を迎えた日本。
僕のおじいちゃんの誕生日でもある。

おじいちゃんは、僕が生まれる前に亡くなったけど、戦時中は人間魚雷に乗って、アメリカ海軍に突っ込む予定だったらしい。もしおじいちゃんが人間魚雷に乗って死んでたら、僕はこの世に生まれていなかった。

参考までに。
人間魚雷ってこんな感じ。

生存確率は0%の乗り物。
確実に死んでしまう。

命を犠牲にしてまでも、戦争に勝たなきゃいけなかったのか。もう後にも引けない状況だったのか。そう思うと戦争は怖い。二度と起きて欲しくないと思うんだ。


僕が生きる意味


なぜ僕はこの世界で生きるのか。戦争の時代が終わることなく、同じ地球上でも飢えに苦しんでいる人もいれば、競争社会に置いていかれ苦しむ人も、もちろんいる。それが資本主義社会だ。

そんな現実を目の前に、僕は幸せに生きてもいいのかと、少し悩ましいところではあるが、僕は幸せに生きようと思う。本来人間には幸せに生きる権利があると思っている。

戦争を乗り越え、繋いでもらった命に感謝して生きようと思う。

そして、僕が生きる意味。

効率化を求められ、どこか無機質に感じる世の中で、心の豊かさや感動を、これからはテーマににて生きていく。とあるデータでは幸せであると創造性が3倍に、生産性は31%アップ、売上も37%アップするそうだ。

これからの時代は幸福を考える時代である。幸せとは何なのか?という深いテーマが時代と共にやってくる。自分の知らない誰かが押したいいねの数にあまり興味がない。インフルエンサーとやらは今の時代に溢れ過ぎている。

もっと本当の意味で影響力は自分は持ちたいと思っている。世間に対しての影響力ではなく、その人の人生においての影響力の方が、僕は影響力があると思っている。


なぜ僕は生きるのか。


ここに立ち返った時には、やはり、僕は感動を創造するために生きるのだと思う。まだ見ぬ感動を作り出すために、僕は今、この時を生きているのではないかと思うんだ。

この先のことは分からない。
分からないことが多すぎる。

だから、もう自分を信じるしかないんだと思う。これからやっていくことを信じていくしかないのだろうと思う。自分の生み出すプロダクトや、サービスに対して誇りを持てるように、生きる。


かつて特攻隊員として、生きたくても生きられなかった、先人たちの分まで精一杯生きるんだ。簡単に死にたくない。死ぬことが怖いというのもあるけど、僕にはまだ夢があって、希望がある。

かつての日本は、そんな将来の光をことごとく潰していった。戦争という、一部の人間しか得しない、そんなエゴで惨い戦を77年前までやっていた。

現代社会でも、今もなお戦争は起きているし、資本主義社会は血の流れない戦争という風に言われている。結局争いから逃れられない。でも、僕は争うことなく自分の道を歩んでいく。力強く。一歩一歩。

可能性の芽を摘む社会に、一筋の光を灯せる人間でありたいんだ。それは真っ黒な海に灯される船の光のように儚くてもいい。だけど、その光を求めている人がいるなら、この身を使って灯そうと思う。

社会でどう生きるか


勝ち負けにこだわりを持つ性格だから、本音を言うと勝ちたい。この社会の中で勝ち切りたいんだ。そして社会に出るのが怖い人を勝たせてあげられるプロデュースをしたいんだ。

資本主義社会が急に社会主義になることはない。切りたくても切れないものが資本主義社会であり、お金持ちが偉いと言われる社会なんだ。だから僕はお金持ちになる。偉くなる。それは地位や名誉のためではなく、守りたい人を守れるように。僕はお金持ちになろうと思う。



すごく共感できる記事。資本主義マーケットで勝つことでそれ以外の部分に投資ができる。自分がこの世の中で強くならないと誰も助けられない。そう思ったから、助けたいと思っている目の前の人でさえも、僕はまだまだ助けられる力を持っていない。

だから、愛のある強さが欲しいんだ。

未来の笑顔のために。
感動のために。




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