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[悪用厳禁]トップ1%のモテ男だけが知っている”陽キャ哲学”を伝授

(3341文字)

どうも、ナンパで100人斬りしたビッグボスだ。
最近彼女できて即るのやめたけど、まあ100人くらいは常識だよね。

むしろ少ないくらいかっ笑

え、1人も斬ったことがありませんって???
可哀想に、、、でもそんなあなたでも大丈夫。

モテない陰キャから主体的な陽キャに導くバイブル、超陽キャ哲学を読めば、少なくとも私以上にはなれるね。

なんでかって?それは私がこの本を読んだお陰で100人斬りできるようになったからだよ


可愛い!私の彼女に似ているような全然違うような
あの千葉雅也も大絶賛はおもろい笑 みなさんご存知の!なわけないのに笑 
著者ぱくもと氏の御本尊。平成の坂本龍馬が福山雅治なら、令和の坂本龍馬は俺だ!ぱくもとだ!と言わんばかりのイケメンっぷりである。陽キャ哲学の説得力の高さをまずは見て体感してほしい。

陽キャ哲学とは、モテる陽キャを取り戻すことである

著者の主張はこうだ
「人間はもともと陽キャに生まれたが、後天的に人間は陰キャを演じさせられているのだ」と。

演じさせられている、つまり陰キャとはあなたのパーソナリティ、性格ではなく、あなたが"誰か"によって与えられている役割なのだ。

ここが本書の骨子となるので、よく覚えていてほしい。

さらに著者は主張する

物事の起点となる能動性を持つことで陰キャは本来の姿、陽キャを取り戻すことができるのだ」
と。

ここの能動性というワードが重要である。陽キャになりたい!といって明るく爽やかに振舞っても、それでは陽キャたりえないというわけだ。

さて、巧妙にもあなたに陰キャという役割を与えているものは何か?友達?先生?上司?家族?どれも正解だが、本文では”誰か”=資本主義で本書の一端を説明してみたい。

美はアート

資本主義があなたをモテない陰キャにさせている

資本主義についておさらいする(実際私もほとんど分かってないが)。

資本主義は個人が利益を追求して資本(財・サービスを生み出すための生産手段)を使って自由競争すれば結果社会の利益にもなるよねという考え方のこと。

資本を持っている人(既得権益者)は資本を使ってさらに資本を増やせるし、持たざる者はこき使われて小銭を稼ぐだけ。

こんな程度の理解だけど、まあよしとして、なにが陽キャ陰キャと関係しているかと言うと、

既得権益者をありがたがるのは消費者根性だし、俺も既得権益者だったらなは地位名誉お金さえあれば自動的(↔︎能動的)にモテるだろうと夢見る陰キャ(貧者VR)だよねという話。(消費、貧者VRは次章で説明する)

詳しくは本書でいろんな角度から説明されてるのでぜひ読んでほしい。

さて、

ではどうやって陽キャを取り戻すことができるのか?物事の起点になれる能動性って具体的になにしたらいいのか?

詳しくは本書を読んで脳に汗をかきまくってほしいが、その前に一つだけ忠告しなければいけないことがある。

それは、

本書は陽キャへ回帰する方法をハウツーとして、自己啓発的には書かれていない

ということだ。

陽キャになる方法その一、その二、のような構成で本書は展開していかない。むしろその反対といっていいくらいで、いかにして人間が陰キャとして生きることを余儀なくされているかを色々な角度から著者の見識の限りを尽くして説明されている。

本書だけを読んでメタモンのごとく陽キャに変身できるわけではなく、むしろ絶望というか、陽キャ哲学って屁理屈じゃね?とへそを曲げられる可能性はかなり高いと思う。

二つ、私オリジナルだが、補助線となる本と人物を紹介したい。

恋した?

「暇と退屈の倫理学」と貧者VR(落合陽一)

生きる日本天才イケメン哲学者、國分功一郎が書いた本「暇と退屈の倫理学」をご存知だろうか?

本書は202×年に東大で一番読まれた本らしい。つまりこれを読めばあなたも東大生を味わえる!?というわけである。

そんなことはどうでもいいが、どのような内容が書かれているかを世界一短く説明したい。

内容はタイトル通り、暇と退屈についてあれこれ書かれているが結論、「暇じゃないけど退屈なあの感じ、結局あれが一番イイんじゃないか」という話である。

ただ、退屈のしのぎかたが問題で、例えば「アサヒスーパードライ春モデルを飲むぞ!あ〜春モデル〜」はダメだ!と國分功一郎は叱責するだろう。それは”春モデル”という価値観を消費しているのだ。

「ビール”そのもの”を味わえ!(=浪費)。それこそが最高の退屈しのぎだ!」というのが國分功一郎の主張である。

なぜこのような主張をしているのか?

価値観の消費では、中途半端な満足に止まってしまうだけでなく欲望が際限なく溢れ出てしまうため(キリンの春モデルはどうかな?あれはどうかな?)、メーカーの思惑通り無限に消費サイクルを回されてしまうのだ。

対して浪費の場合は、ビール”そのもの”を味わうことには限界があり、満足しきれるため、自分で浪費サイクルを定めることができる。

これはAVと生身の彼女で考えれば秒で分かる話である。そのまま春モデル=AV=陰キャ、ビール"そのもの"=生身の彼女=陽キャの対立軸はなかなか腑に落ちやすいのではないかと思う。

さらにここでもう一つ、補助線として紹介しなければならない概念がある。貧者VRという概念である。これはおそらく落合陽一が生み出した用語で

貧乏人はVRゴーグルかぶって勝ち組の生活を眺めさせてあげて、彼らをまるで同じ体験をしたかのような気分にさせるのがイイよね

という悪魔的な意味が込められている。私が勝手に解釈したわけでなく落合陽一の著作にそのような文章がちりばめられているのである。

國分功一郎が提示した「”そのもの”を味わえ!(=陽キャたれ!)」という話のむずかしさは、この貧者VRで説明ができる。

例えばマックでピーチティーを飲んだとする。「あ〜桃だなぁ」と思うなかれ。あれはただのフレーバー付きシロップなのである。貧者VR!

國分功一郎よろしく退屈を浪費で気持ちよく満足しようとしたつもりが、実はただの価値観の消費になってました貧者VRでしたという恐ろしい話である。

(先生だと思ってリモート授業受けていたらぁ、ただのAIでした〜〜チキショーーー!!問題と少し似ている。落合陽一は「その頃には子供達もAIに馴染んでるから大丈夫っしょ」という立場をとっている。さすが貧者VRの権化だ。)

たとえわかりやすく貧者VRでも避けがたいものもある。ヒロシのぼっちキャンプのような遠くに行ってキャンプするなんてのは最たる例。そんなんできへんて普通と嘆く大衆をあざわらう落合陽一が容易に浮かび上がる。

あるいは、べつにフレーバーでもいいでしょ!と開き直っても、桃フレーバーの種類、成分、実際のピーチティーの作り方を能動的に学ばないことには”誰か”によって「ピーチティーだ〜〜〜♡」と演じさせられているにすぎないのである。

どう?少しはやる気出た?

さいごに。当たり前ながら

こつこつ能動的にナニかを生み出してやっていくこと、共同体は生み出してる者同士で築いていこう

中島みゆき作詞作曲のTOKIO宙船を借りれば

お前の船はお前の手で漕げ。お前が消えて喜ぶものにお前のオールを任せるな

それが難しいねんボケ!と俺の中のリトルホンダが叫んでいるが、当たり前ながら、それが陰キャから脱する唯一の方法ではないかと、本書を読んではっきり気づかされた。

あなたも本書を読んであなたなりの解釈をもって陰キャからの脱出を試みてほしい。

見よこの男前っぷりを。彼クラスの哲学者になるとマルクスの資本論付きのラブレターが届くとか届かないとか。羨ましい限りである。

↑令和のひろゆきと称される(得意即妙な返し、二枚目、分かりやすい)彼のYoutube、noteのリンクを貼ってあげるので、要チェック!


kindle250円で買えるのは今だけ!unlimitedなら無料で読めるよ!

https://www.amazon.co.jp/超-陽キャ哲学-ぱくもと/dp/B0CSSHHZ

補足
超陽キャ哲学はナンパ本史上最高傑作といえる。しかし、迷える同士たちよ、次のnoteで同書唯一の欠点を指摘した。ぜひ読んでほしい。最後に、お前らの活躍、祈ってるぜ。じゃあな