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留学と戦争 あるいは友情について

ドイツ留学

noteを書くのはいつぶりだろうか。多忙で、すっかり忘れていたことをまずはお詫びしたい。
旧TwitterことXで知っていることだろうが、僕は現在8月の頭から、ブレーメンに1か月の留学中である。そしてもちろん、この文章を書いている8月23日現在、ロシアとウクライナはなおも戦争を続行中だ。

ブレーメンの旅の模様については、こちらのnoteでは書いていなかった。書く暇がなかったのもあるが、なるべく英語とドイツ語で生活を試みていたために、日本語を使いたくなかったから、というのもある。

旅の詳細については、また今度改めて書きたい。

ウクライナとロシア 考えざるを得ない関係

僕のクラスには日本人の僕を含め、全部で10人ほどのメンバーがいる。先生はドイツ人。授業は全編ドイツ語だ。へたくそな僕のドイツ語力をどうにか駆使して、せめて意思疎通を可能にしようと懸命に努力していた。

クラスの中でも当然仲の良いもの同士は出てくる。僕の場合は1つ年上のアメリカ人男性Cole(仮名)と同い年の韓国人女性のJiun、リトアニア人女性のCamilaがそうだ。

他にクラスにいた人に、ウクライナ人とロシア人がいた。
ウクライナ人のほうは子供もいる年上の女性。おそらく30代半ばくらいだろう。ロシア人のほうは僕よりも年下の背の低い女の子だ。そして、この二人は僕ら4人が仲が良いのと同じくらい、仲が良い。

戦争中の国同士だというのに、まったくそんなこと気にしない。
互いの国を尊重し、互いにロシア語で会話して笑い合う。わからないところは教え合い、助け合う。そこにあったのは、ごく普通の人間の付き合いだった。そこには政治の介入する余地も、利益による対立もない。ただ、同じクラスにいる、言葉の通じる友達。それだけだ。

ミサイルが飛んだ

ウクライナ人の友人、Katjaの父が務める学校にミサイルが命中した。校長を含め4人が死亡した。
幸い、父は無事とのことだ。

絶句。
言葉が出ないとはこのことだ。

僕はいつも、テレビや動画で、あの場所のことを知っている。ニュース番組でレポーターが「客観的な情報」を流し、衛星写真を前に評論家が語るのが戦争だと、心のどこかで考えていた。正直に言おう。僕は、僕は戦争というものを全くの無関係のどこか遠い場所の出来事だと思っていたのだ。

それが、友人の父親が通う学校にミサイルが落ちたと聞いたときに、崩れた。心のどこかで恐怖が沸いた。頭の中に、死と、憎悪と、悲しみと、怒りと、為すすべの無さが、瞬時に現れては消え去った。次いで、得体の知れない、底なしの暗い泥沼のような感情が全身を覆った。

それは、メディアを介さない、クラスメイトから直接聞いた惨状というただ一つの方法で、僕を強烈に揺さぶった。心臓が底のほうから冷たくキーンと響くのが分かった。それが、あの泥沼のような感情によるものなのだと分かった。

                        ーーーこれが戦争だ。

"Auf dem gleichen Boden leben wir zusammen."

「同じ土地の上に私たちは生きている」

そんなの、当たり前のことだと思っていた。当たり前すぎて考えたこともないくらいのことだった。でも、今ではそうじゃない。そこで人が生きて、人が死んで、人が積み重なって、町ができていることを知った。

地球の裏側で出会った友達たちとは、最高の思い出を作った。
みんなで食事をして、美術館を回り、船に乗り、写真を撮った。授業で悩み、バカ騒ぎをして、楽しんだ。何もかも、世界のすべてが特別で、知らないことばかりだった。

僕の心は真っ青で、真っ白なノートだった。
日記を買って、旅行の記録をつけるたびに、自分が少し成長したのだと実感した。有頂天になって、うれしくてうれしくてたまらなくなったりした。

その心に、この言葉は重くのしかかる。

友情は剣に勝る

「明日学校に来れなくなってもいいからね。あたしたちがどうにかするから。今は心を安静にして、Katja」

ロシア人のValeriaはそう言った。
彼女は本気で、ウクライナのことを憂いている。

これが演技じゃないことは、以前に聞いたことがあった。
彼女が授業のプログラムで、自分の国について話をした時のことだ。ロシア国内の反プーチン体制派の写真を見せたとき、先生がこんな質問をしたのだ。

「ところで、この写真は自分で撮ったの?」

この質問の意図がお分かりだろうか。
普通は、撮れないし、持ち出せないのだ。

老齢のKarl先生は、かつてソ連にいたことがあり、アフガニスタンなどを転々としていた時期があるのだという。ロシアの事情に精通し、ロシア語も堪能だ。そんな彼の質問に、Valeriaはこう返す。

「いいえ、これはネットから持ってきた過去の写真です。
 でも、私は当時このデモに参加していました

彼女は、語学力が堪能だ。
独学でドイツ語を学び、B2レベルを習得済みだという。
本当ならC1クラスに入るはずなのだろうが、今回はそのレベルの人間が彼女しかいなかったために、僕と同じクラスになったのだ。

そんな彼女が口にしたドイツ語には、日本人の僕にでもわかる決意じみた何かが響いていた。

友情は剣に勝る。圧政のもとに、博愛の精神は確かに息づいている。



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