見出し画像

ペリクレスの葬礼演説を古典ギリシア語で読んでみた【第2回】

前回から引き続き、ペリクレス葬礼演説の2文目を解説していきたいと思います。早くも2文目からややこしくなってくるので、できるだけ「なぜそのような訳にしたか」を可視化してみました。

ペリクレス葬礼演説解説の第1回目はこちら!

原文(Thuc. 2.35)と翻訳:2文目

ἐμοὶ δὲ ἀρκοῦν ἂν ἐδόκει εἶναι ἀνδρῶν ἀγαθῶν ἔργῳ γενομένων ἔργῳ καὶ δηλοῦσθαι τὰς τιμάς, οἷα καὶ νῦν περὶ τὸν τάφον τόνδε δημοσίᾳ παρασκευασθέντα ὁρᾶτε, καὶ μὴ ἐν ἑνὶ ἀνδρὶ πολλῶν ἀρετὰς κινδυνεύεσθαι εὖ τε καὶ χεῖρον εἰπόντι πιστευθῆναι. 
※底本:Thucydides. Historiae in two volumes. Oxford, Oxford University Press. 1942.

筆者翻訳
しかし、行為で勇猛となった男たちの、公費で準備されたこの葬儀の周りであなた方が今見ているような名誉が、行為によって示されさえすれば、私としては充分であり、善く、そして悪く演説する男一人の為に、多くの者の武徳が危険に晒され、信じられることが無いようにすべきだと、考えたいものだ。

解説:語彙

・ἐμοί: 人称代名詞・一人称・男性・単数・与格、ἀρκοῦνとセット。「私にとって」
・δέ:小辞、一文目のμὲνと繋がり「一方で、〜」と対比を表す。
・ἀρκοῦν: 基本形はἀρκέω、動詞・分詞・現在形・能動態・中性・対格、不定詞を取って「(不定詞)で充分」という意味となる。δηλοῦσθαιと繋がる。ここでは形容詞的に使われている。※E.C. Marchant, 1891
・ἄν: 小辞、未完了過去形と合わせることで過去における推量・反実仮想(~だったかもしれない)を表す。但し、ここでは丁寧な言い方として解釈する。ἐδόκειと合わせて「…だと考えたいものだ」※E.C. Marchant, 1891.
・ἐδόκει:基本形はδοκέω、動詞・未完了過去形・能動態・3人称単数。不定詞を取り「(不定詞)だと考えたいものだ」となる。
・εἶναι:基本形はεἰμί、動詞・不定詞・現在形・中動態、「…である」。余談だが、このεἶναιは相当使い勝手が良かったのか、現代ギリシア語ではεἶναιで3人称単数と3人称複数の両方を同時に意味するように変化している。
・ἀνδρῶν:基本形はἀνήρ、名詞・男性・複数・属格、「男たちの」
・ἀγαθῶν:基本形はἀγαθός、形容詞・男性・複数・属格、ἀνδρῶνを形容する。「勇猛な」
・ἔργῳ:基本形はἔργον、名詞・中性・単数・与格、「行為によって」
・καὶ:副詞。andと同じく接続詞としての用法が有名だが、ここでは強調の副詞と取る。「…さえ」。余談だが、καὶを接続詞としてではなく強調として使うのは、現代ギリシア語でも頻出する。脈々と受け継がれる伝統…!
・δηλοῦσθαι:基本形はδηλόω、動詞・不定詞・現在形・受動態、ἀρκοῦνと繋がる。「示されれば」
・τὰς:定冠詞・女性・複数・対格、τιμάςと繋がる。
・τιμάς:基本形はτιμή、名詞・女性・複数・対格、δηλοῦσθαιの意味上の主語。「名誉が」
・οἷα:基本形はοἷος、関係代名詞・女性・単数・対格、先行詞と節で「(節)するような(先行詞)」という意味となる。先行詞と性・数が一致するのが普通だが、この場合は例外で、先行詞τιμάς(女性)とは性が異なる。この点については後述する。
・καὶ:強調の副詞、「まさに」「…も」
・νῦν:副詞、「今」
・περὶ:前置詞、対格を取ってその周辺を表す。「…の周りで」
・τὸν:定冠詞・男性・単数・対格、τάφονと繋がる。
・τάφον:基本形はτάφος、名詞・男性・単数・対格、「葬儀」
・τόνδε:指示代名詞・男性・単数・対格、τάφονと繋がる。「この」
・δημοσίᾳ:副詞、「公費で」。久保氏は同箇所を「国の手で」と与格的に訳しているが、副詞の用法と取る方が自然。Crawleyも副詞的に"at the people's cost"と取る。
・παρασκευασθέντα:基本形はπαρασκευάζω、動詞・分詞・アオリスト形・受動態・男性・単数・対格、先行詞はτάφον。「準備された」
・ὁρᾶτε:基本形はὁράω、動詞・現在形・能動態・2人称複数、「あなた方が見ている」
・καὶ:接続詞、「そして」
・μὴ:否定辞、κινδυνεύεσθαιとπιστευθῆναιに掛かる。「~しない」
・ἐν:前置詞、与格を取って力の及ぶ範囲を表す。「~によって」
・ἑνὶ:数詞・男性・単数・与格、「1人の」
・ἀνδρὶ:基本形はἀνήρ、名詞・男性・単数・与格、「男に」
・πολλῶν:基本形はπολύς、形容詞・男性・複数・属格、ἀνδρῶνが省略されている。「多くの者の」
・ἀρετὰς:基本形はἀρετή、名詞・女性・複数・対格、κινδυνεύεσθαιとπιστευθῆναιの意味上の主語。「武徳が」
・κινδυνεύεσθαι:基本形はκινδυνεύω、動詞・不定詞・現在形・受動態、「危険に晒されること」
・εὖ:副詞、「善く」
・τε:小辞、接続詞のκαὶと合わせて「AもBも」
・καὶ:接続詞、「…も」
・χεῖρον:副詞、「悪く」
・εἰπόντι:基本形はλέγω、動詞・分詞・アオリスト形・能動態・男性・単数・与格、ἀνδρὶと繋がる。「演説する」
・πιστευθῆναι:基本形はπιστεύω、動詞・不定詞・アオリスト形・受動態、「信じられること」

解説:文の構造

大きな構造としては、主文の動詞ἐδόκειに、下記不定詞が3つ繋がる構図になっています。

 ἐδόκει(…と考えたいものだ):
 ①→εἶναι(…であると)
 ②→κινδυνεύεσθαι(危険に晒されると)
 ③→πιστευθῆναι(信じられてしまうと)

凄いややこしいのですが、δηλοῦσθαιは名詞として扱い、εἶναιの意味上の主語として機能します。上記構造を少し肉付けしてみましょう。

ἐδόκει(…と考えたいものだ):
 ①→καὶ δηλοῦσθαι τὰς τιμάς(名誉が示されさえすれば)+ ἀρκοῦν(充分)+εἶναι(である)<と考えたいものだ>
 ②→πολλῶν ἀρετὰς(多くの者の武徳が)+ κινδυνεύεσθαι(危険に晒されることが)+ μὴ(無いように)<すべきと考えたいものだ>
 ③→πολλῶν ἀρετὰς(多くの者の武徳が)+ πιστευθῆναι(信じられてしまうことが)+ μὴ(無いように)<すべきと考えたいものだ>

接続詞と強調の καὶが入り乱れていて分かりづらいですが、上記の基本構造を押さえれば、大まかな理解が可能です。

ἀνδρῶν ἀγαθῶν ἔργῳ γενομένωνはどこに掛かる?

ἐμοὶ δὲ ἀρκοῦν ἂν ἐδόκει εἶναι ἀνδρῶν ἀγαθῶν ἔργῳ γενομένων ἔργῳ καὶ δηλοῦσθαι τὰς τιμάςにおける"ἀνδρῶν ἀγαθῶν ἔργῳ γενομένων"の箇所は3通りの解釈ができると思います。

①独立属格分詞と取る。「男たちが行為で勇猛となった時に、行為によって名誉が示されさえすれば充分であり…」
②γενομένωνをἀνδρῶνに掛け「行為で勇猛となった男たちの」と訳す。ἀνδρῶνはτιμάςと繋がる。「行為で勇猛となった男たちの名誉が、行為によって示されさえすれば充分であり…」
③γενομένωνをἀνδρῶνに掛け「行為で勇猛となった男たちの」と訳す。ἀνδρῶνはἔργῳと繋がる。「行為で勇猛となった男たちの行為に対して、名誉が示されさえすれば充分であり」

ἀνδρῶν ἀγαθῶν ἔργῳ γενομένων ἔργῳ καὶ δηλοῦσθαι τὰς τιμάςと、τιμάςは少し離れているため、最初は③が一番適しているものかと思いました。古典ギリシア語は語順が自由とはいえ、多少のカタマリを構成するからです。「行為で勇猛となった男たちの行為に対して名誉が示されさえすれば」となり、なんとなく意味も通りそうです。

しかし、Hobbesも久保氏も②の意味を取っています。 Jowettは①のようですね。(Jowett訳:when men's deeds have been brave)

このまま独自路線を貫いて③の意味で訳してもいいのですが、演説文の文脈からも、どれが一番適しているか考えてみました。

ペリクレスは演説だけで名誉を讃えることに対して、否定的な見解を示しています。1人の演説の良し悪しで武徳への評価が左右されてしまうのは避けるべきだと。ここで上記3通りの解釈を見てみると、①と②は、「行為によって名誉を示す」という風に、演説と対比されていて、意味が通じやすいです。葬儀を設営してお供え物をするという「行為」の方が、「演説」よりも肝要だということですね。対して、③だと名誉がどのように示されるのか明確ではありません。

行為(ἔργον)と弁舌(λόγος)の対比、そして弁舌に対する行為の優位性は、アッティカ法廷弁論においても、アンチレトリックのレトリックとしてよく登場します。弁舌の巧みなペリクレスが、ここで使っていてもおかしくはないでしょう。

よって、意味的には①か②が分かりやすい、という結果となりました。カタマリ的にはやや不自然ではあるものの、アッティカ弁論においてもこういう不自然な語の配置には度々遭遇します。最終的には、訳してみて一番意味がしっくりくる②を採用することにしました。

οἷαはなぜ中性?

次の問題が、οἷα節です。οἷαは関係代名詞なので、もちろん、οἷα節によって修飾される先行詞が想定されます。関係代名詞は先行詞と性・数で一致するので、οἷαと同様の性・数の単語をまずは探すことになります。οἷα節におけるὁρᾶτεが対格を取るので、οἷαも対格だと想定すると(関係代名詞の格は節の動詞に一致します)、性・数の可能性としては「中性・複数」「女性・単数」「女性・両数」の3つあります。

しかし、「解説:語彙」で見てきたように、この文に「中性・複数」「女性・単数」「女性・両数」は存在していません。中性名詞ではἔργῳは単数ですし、τιμάςは女性・複数で、合いません。私も初めて読んだ時は「?」となりました。

結論から言うと、οἷαは中性・複数ですが、τιμάς(女性・複数)が先行詞である可能性があります。中性になるのは、τιμάςの為に市民たちが公費で行った数々の具体的行動(葬儀を設営する、遺骨を埋葬する、葬儀ために集まる…etc)を意識しているからではないでしょうか。

この箇所をE.C. Marchantは注釈で "the change to neuter shows that only an instance of the many kinds of τιμαὶ is given."と解説しています。私と同じく、先行詞はτιμάςで、οἷαは中性・複数であると解釈しているようです。しかし、 only an instance of the many kinds of τιμαὶとあり、葬儀を執り行うことそれ自体が1つの例であると理解されています。それだとοἷαではなく、中性・単数のοἷονをなぜ選ばなかったのでしょうか?

逐語訳:2文目全体

しかし(δὲ)、行為で(ἔργῳ)勇猛(ἀγαθῶν)となった(γενομένων)男たちの(ἀνδρῶν)、公費で(δημοσίᾳ)準備された(παρασκευασθέντα)この(τόνδε)葬儀の(τὸν τάφον)周りで(περὶ)あなた方が今も(καὶ νῦν)見ている(ὁρᾶτε)ような(οἷα)名誉が(τὰς τιμάς)、行為によって(ἔργῳ)示され(δηλοῦσθαι)さえすれば(καὶ)私としては(ἐμοὶ)充分(ἀρκοῦν)であり(εἶναι)(καὶ)、善く(εὖ)、そして(τε καὶ)悪く(χεῖρον)演説する(εἰπόντι)男一人(ἑνὶ ἀνδρὶ)の為に(ἐν)、多くの者の(πολλῶν)武徳が(ἀρετὰς)危険に晒され(κινδυνεύεσθαι)、信じられることが(πιστευθῆναι)無いように(μὴ)すべきだと、考えたいものだ(ἂν ἐδόκει)。

ペリクレス葬礼演説解説の第3回目はこちら





拙文をお読みいただきありがとうございます。もし宜しければ、サポート頂けると嬉しいです!Περιμένω για την στήριξή σας!